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森田観察日記2019.06.03その2

ふわふわ、もやもやした不安、どちらかというと、何もないからこその不安、のような、そういう感覚で、胸のなかがふわふわしたまま、図書館に行った

すなおに、椅子に座って、読みかけの中村航の『夏休み』を読むべきだ、と思うものの、どうしても本を読む気になれず、座って本を読みはじめて、いまの感覚を忘れてしまうと、なにかとりかえしのつかないことになってしまうような、そんな気持ちで、ふらふらと書棚の中を歩く

初めての図書館や書店でよく観察しに行く、精神医学の棚と、心理学の棚を見に行く(このへんの棚を見て何となく、ここは「あたりだな」とか「注意しよう」とか、考えるのだ)
家からすぐの図書館なので、もう何回も来ているはずなのだけど、初めて見たような気がする 忘れているのか、棚の入れ替えがあったのか
「この規模にしては、あたり」のような棚が、そこにはあったので、しばらくしげしげとながめる

このあいだ、PTSDに関する本で、「境界性パーソナリティ障害と複雑性PTSDとは、同じものと見なしてもよいのではないかと思うほど、その症状が似ている(まだ確証はないが)」というような記述を、読んだのを思い出して、「境界性パーソナリティ障害」の本をぼんやり手にとり、ひらき、……とてもシンプルながめんで、読みやすいうえ、口当たりのやさしい、好感のもてる概説書だったので、ぱらぱらとひと通りながめる
でも、いまは、こういうことが必要なわけじゃないんだいまは、と思って、また棚に戻す

「歴史」の棚をとおりすぎて、「心理学」の棚まで行く そういえば、発達心理学について少し勉強しておいたほうがよさそうなのだった、と思い、二冊手にとる 二冊しかなかった
どちらも、いまはとても読めそうになくて、棚に戻す

ノートがほしい、と思う 質問と解答欄があり、空欄を埋めてゆくとわかる、そういうノートがいまはほしい、と思う
書棚のあいだをゆっくり歩いて、ソファに座る
ノートを出して、ぼんやりと考えはじめたことを図に書いてみる

(この???になってるところがいまの「何もないからこわい」みたいなものではないかということを考え、自分が自分だということを考えるのがしんどすぎてずっとそこから逃げ回っているというようなことを考え、ゆっくりストレッチとか、ゆっくり呼吸とか、ああいうことをすると涙が出てきてつらい、ということを考える)


ひと息ついて『夏休み』をひらく
いくらも読まないうちに、「家に帰って布団をとりこみなさい」というアラームが鳴る
一回だけスヌーズをして、少しだけつづきを読む
二回めのアラームが鳴る 「解除」をタップして、区切りのよいところまでを読み、つづきを読みながら家に帰る
流れるように、布団と洗濯ものをとりこみ、迷いなく、しゃもじを水にさらし、「保温」になっている炊飯器のふたを開けて、米をかき立てて、またふたを閉める 蒸らすのだ

次のステップは、ゆうちょに行ってお金を下ろすこと
次のステップは、コンビニでお茶を買うこと
その次のステップは、スーパーに行って、夕飯の買い物をすること

もう十八時だ、と思って、でも十八時まで何とかなった、よかった、とも思う
これからしばらく自分は「機能」だけになる 家事をしたりごはんをしたりする「機能」だけになる ということを考える そしてそのとおりになる

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