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楽譜のお勉強①ベント・ソーレンスン『シャドウランド』

先週から始めたnoteの記事、おかげさまでたくさんの方に読んでいただけているようで、嬉しく思います。ありがとうございます。noteは「いいね」などのリアクションがなくても、読まれた総数が分かるシステムであることを始めてから知りました。とてもいいシステムだと思います。記事を書いていこうというモチベーションに繋がります。

さて、noteを始めたばかりということもあって、今回も新シリーズ記事の第1回です。私は普段作曲をする以外に、ドイツのデトモルトとケルンの音楽大学で作曲や管弦楽法を教えています。管弦楽法の授業ではいろいろな曲を勉強するのですが、ケルンの音楽大学では特に「現代の管弦楽法」という講義を受け持っていることもあって、わりと近年作曲された作品について生徒と読んでいくことが多いのです。手前味噌ですが、作曲を勉強する学生にはわりと人気の講座で、必修単位数を履修し終えた生徒さんたちも、単純な興味から再履修してくれたりしています。再履修生にいつも同じ曲を聴かせても仕方ないので、私自身わりといつも新しい作品の勉強を続けている状況なのです。そんなわけで、うちの書棚には「ちょっと興味があるからそのうち勉強することもあるだろう」という楽譜が大量に(おそらく文字通り大量です)あります。何度かさらっと目を通したくらいのものが結構あるのです。そんな楽譜を、音源と併せてちょっとずつ勉強していこうという企画です。

楽譜は、著作権が残っているものはお見せすることができません。ですから楽譜の画像はお見せできないのですが、頑張ってちょっと具体的に説明できたらと思います。また、授業ですぐに使う曲ではないものを扱っていきますので、浅く薄く、気付いたことをメモしていく程度の内容になります。分析講義のようなものを期待されると、がっかりされるかもしれません。

第1回の今回は、デンマークの作曲家、ベント・ソーレンスン(Bent Sørensen)の『シャドウランド』(Shadowland)という作品です。CDと楽譜が両方すぐに見つけられてパッと取れる位置にあったのでこの曲になりました。CDはdacapoレーベルから出ているソーレンスンの作品集CDで、今回取り上げる»Shadowland«がCDのタイトルにもなっています。CDでの演奏時間は19分20秒、演奏はEsbjerg Ensemble(読めません)で、指揮はジュール・ヴァン・ヘッセン氏です。

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楽譜をめくるとまず、作品の基本情報が書かれていることが多いです。この作品はロンドン・シンフォニエッタのために書かれたもので、編成はフルート(ピッコロとアルトフルート持ち替え)、オーボエ(オーボエダモーレとイングリッシュホルン持ち替え)、クラリネット(Esクラリネット持ち替え)、ファゴット、ホルン、弦楽四重奏、コントラバスとなっています。また、楽譜冒頭には楽器のステージ上での配置が書かれていますが、これが結構特殊です。指揮者の目の前、中央にコントラバスがいます。指揮者から見てコントラバスの左側に左から第1、第2ヴァイオリン、コントラバスの右側に右からチェロ、ヴィオラが並びます。ヴァイオリンの後方に左からフルート、クラリネット、ホルンが、そしてヴィオラとチェロの後方に右からファゴット、オーボエが並んでいます。丁度、オーケストラがコントラバスを中心として右舷と左舷でグループ分けされているような状態です。

そして説明は更に続き、続くページにソーレンスン自身の楽曲説明文と、楽章構成が書かれています。曲は4楽章構成で、I. Fluente e luminoso con molto trasparenza (流れるように光るように、透明感をもって)、 II. Lontano… quasi una funerale (彼方から… 葬列のように)、 III. Maniaco con delicatezza (繊細かつマニアックに)、 IV. Sostenuto, molto calmo (音を保って、静かに)という楽想を持っています。3楽章の「繊細かつマニアック」という表現は、ソーレンスンの響きへの固執を端的に表していて綺麗な表現だと思いました。現在、現代の新しい音楽を発表するシーンで流行している、楽器の特殊な奏法から生じる繊細なノイズとは全然違う、楽音のニュアンスを丁寧にオーケストレーションしていくイメージのある作曲家です。

作曲者による説明文では、タイトルの意味について言及しています。『シャドウランド』は二重の意味を持っているようです。まず、文字通り影で成り立っているランドスケープ(風景)を狙っているということ。輪郭の不明瞭な影が重なって、輪郭はあるけれども滲んでいるという様子。そしてもう一つは作曲者が作曲中に翳りを帯びた響きの中から出会った、現実にはない幻想的な心象風景、ということです。このような説明があると、楽譜を読む時に方向性が出来るので少し楽譜の解読が楽になります。私は実は作曲者が考える音楽の内容に沿って楽譜を読むことはメリットとデメリットの両方があると考えているので、そのように楽譜を読むことが必ずしも良いとは思っていないのですが、そのお話はまた別の記事でいつか書こうと思います。今回のように、ざっと読みたい場合にはとても助かります。

ようやくスコアが始まります。スコアの1ページ目を見ると、通常のスコアのフォーマットでないことに気付き、音源を聴きながら読むのにちょっと戸惑いました。上から、フルート、クラリネット、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ホルン、コントラバス、ヴィオラ、チェロ、オーボエ、ファゴットの順で書かれています。丁度真ん中にコントラバスがあるので、聴いている音を普段よりも探してしまいます。ですが、先ほどのように右舷と左舷で分けて考えて書いてあるアンサンブルなので、慣れればこの形が指揮者も指示を出しやすくて良いのかもしれません。冒頭、ヴィオラとチェロがたくさんのハーモニクスを含む上下動の激しい6連符アルペッジョをフォルテで奏します(♩=72)。他の楽器たちは、左舷グループ(ヴァイオリンたち)が長3度を軸に少しずつグリッサンドしてニュアンスを変えていく速くないトレモロ(6連符)、オーボエとファゴットが復調的な三和音のアルペッジョを分断的に演奏していく感じで、ホルンとコントラバスはロングトーンで和声を支えています。ヴィオラとチェロ以外の楽器は全員ppppという強弱です。

ヴィオラとチェロは急速にディミヌエンドしていき、他の楽器群に混ざりますが、基本的に冒頭で示された音型を軸に音楽が展開していきます。アルペッジョもトレモロも徐々に身じろぎをして、挿句的に入るモチーフ的な動きを聴かせながらゆっくりと混ざり合って、テンポを速めていきます。実際にテンポが早まるのではなく、6連符が徐々に7連符に変更され、最終的に9連符まで加速します。強弱もフラグメント的なメロディーラインが聞こえる声部が気ままにクレッシェンドをしたりして、輪郭の掴みづらい滲みが美しく響きます。

楽譜8ページ目からはセクションが変わって、ヴィオラ、チェロ、コントラバスがじっくり時間をかけた小さな音程のグリッサンドを背景で奏しながら、左舷のグループは32分音符の刻みで音程が増殖していくトレモロを聴かせています。楽譜上はとても忙しく見える箇所になるのですが、実はここからは全員がしばらくppppに留まって、ほんの少しのクレッシェンドをしたりするので、大変繊細で美しい効果になっています。じっくり時間をかけて少しずつ全体がクレッシェンドと加速をしていき、16ページ目でプレストに到達する時には、少しのクレッシェンドとデクレシェンドだったものがフォルティシモを含む大きな波になっているのです。そして丁寧にポリリズムのズレや強弱の波で勢いを増した影の景色は、19ページ目である種の飽和状態に達します。クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、オーボエが小節を失いセンツァ・ミズーラで細かな装飾音を奏して、滲みの密度が最も高くなるのです。その後時間をかけて収束していく様子も見事でした。

ここまで第1楽章についてのみを書きました。楽譜をお見せできればすぐに伝わることも、言葉で説明しようとするとなかなか大変です。曲は最後まで読みましたが、第2楽章もとても素晴らしい構成になっています。スコアは全127ページと大作です。さすがにこのペースで楽譜の説明をし続けるのは厳しいので、残りは感想を少しずつ。第2楽章は時間の使い方が秀逸です。本当にゆっくりとたゆたい続けるグリッサンドの背景が妖しく美しいゆったりとした時間が流れます。第3楽章はリズミカルな楽章で、スタッカートやレガート等のアーティキュレーションを神経質に指示して驚くべき響きの立体感を作っています。楽器間でのピッチの距離の取り方が絶妙で、アーティキュレーションを立体的に聴く際には音高の意識も強くもつべきなのだと分かります。最終楽章はそれまでの楽章で聴かれた技法を少しずつ用いながら、自由な後奏という趣です。全楽章を通してソーレンスンの管弦楽法に感じるのは、はっきりと聞こえない背景の音響の作り込みの丁寧さでした。執念すら感じます。前景に聞こえる要素をうまく作曲することは重要ですが、耳が捉えられないくらいの音たちの役割の深さに想いを至らせることも大切なことだと気付きました。

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