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良い時代に生きたのよ

 塩と梅干しがもう無いから。
 誰もいない部屋に言い訳だけを残し、がちゃりと鍵をかけた。
 テレビもネットも感染症のニュースばかりで、その日の私は疲れ果てていた。
 それでも初夏の街並は言葉に尽くせぬほどに美しく、深く息を吸い込む。
 生成り色の麻で出来たワンピースの下の體に、じんわりと汗が滲み、それを甘やかな夏風がさっと拭き取って、さらりと乾かしてくれる。
 都心からもそう遠くない小さな町。田舎というほど田舎ではないが、都会というほどでもないこの町には、まだまだ舗装されていない道も多い。
 土の匂い、鳥たちの囀り、梢の触れ合う音。
 私はこの町が好きだ。
 今年でこの町に産まれてから、三十と余年になる。世間も、周囲も変わっていったが、この町の木々たちだけは変わらない。季節の流れの中で生き死にを繰り返し、誰よりも変わり続けながら変わらずにここで風に揺られている。
 私はといえば、変わったのだろうか。変わらないのだろうか。
 変わったにしても変わらないにしても、結局のらりくらりと暮らしてしまっている。その日も抱えている仕事を部屋に置き去りにしたまま、初夏のうららかな陽気に誘われて外に飛び出したのだった。梅干しと塩がもう無かったので、隣町まで買いに行ってくると口実を口ずさんで。

 私の家は、山の上にある。と言っても、険しい本当の山というわけではなく、駅から十五分ほど歩いたところにある、坂の上という意味だが。
 それでもお店は半径1キロ以内には無いし、猫やら狸やら鳥や蟲なんかが我が物顔で歩いているし、先述した通り舗装されていない道や田圃もまだまだ沢山残っている。
 家の近所での私の一番のお気に入りスポットは、野良猫たちの溜まり場になっている公園だ。それは小さな山の途中にあり、広い道路の脇に草木に被われて隠れるようにしてある細い階段を通って入っていくのだ。
 普段、そこに入って行く人は少ない。認識していないのかもしれないし、あまりに木々が生い茂っている為に入ろうという氣にならないのかもしれなかった。だがそれはそれで良い。私は鼻歌を歌いながら、小さな蟲や植物に挨拶をして山へ分け入る。人がいないことは、夜道や険しい山道ではない限り、望ましくないことではない。むしろ歓迎すべきことだ。私にとっては。人が嫌いなわけではないが苦手なのだ。特に集団でいる人は。なので家で出来る仕事に就いている。
 そういったわけで家で出来る事務作業系の仕事をしていると、どうしても電子機器と仲良くせざるを得なくなる。そうこうしているうちに、電氣というか電磁波というか、そういったものが體の中に溜まってくるような感覚がある。
 體がぴりぴりと電氣を帯び、ぎくしゃくしてくるような氣がするのだ。
 電話連絡やメールの応酬に加えて、作業までもパソコンで行っているのだから当然と言えば当然だろう。それでも満員電車での通勤や、頻繁に人と会っておべんちゃらを言わなければならない機会が少ない点は、私にとって何にも代え難い安心だった。電磁波くらいは、我慢しなければ。

 とは言え、體がぎくしゃくしたままパソコンの前でうんうん唸っているのも、體と精神に良いとは言えない。なので私は時々仕事を部屋に置き去りにして、買い物に出たり、自然と触れ合いに来たりする。今がそうだ。いわば必要悪ならぬ、必要さぼりであり、これがより仕事の効率を良くしてくれるのだと、そうであればいいけれどと願いながら私は山道をぐんぐんと昇っていく。
 草叢の陰で猫たちが私の様子を伺い、木漏れ日の下で蟲たちが一所懸命に餌を探している。私は蟲を踏んづけたりしないように氣をつける。
 新緑の産毛を指先で撫でて、綺麗ねと褒めると彼女たちは照れくさそうに軽い会釈を返してくれた。
 その公園の中腹とも言える、一番木々の生い茂った木陰にあるベンチ。彼はそこに座っていた。ベージュのチノパンに、開衿シャツ。白髪頭は短く刈り込まれていて清潔感がある。
 こんにちわ、と挨拶すると、こんにちわ、と彼は微笑んだ。人なつっこい笑顔だった。
 「良いお天気ですね」
 「本当に。もう夏がやってくるようですね」
 公園という仕切りの外にある、人が立ち入ることのない木漏れ日の射す獣道を眺めながら彼はそう言った。青い声だった。縁側で転寝をしている時に吹く、氣持ちのいい風によく似た声。私はなんだかきんきんに冷えた麦茶でも飲み干したいような氣分になって、けれど麦茶などないので木陰のベンチに腰かけた。彼が座っているベンチの隣に併設されているベンチに。
 「僕ね、今日で八十五歳になったんです」
 彼は獣道から目を逸らさずに、微笑みながらそう呟いた。私は、え、と小さく叫んで、それから彼の方を見る。彼は八十五歳にはとてもじゃないが見えないし、それに見知らぬ人の誕生日に居合わせるという体験も初めてだったから。
 「おめでとうございます。お若いですね。とても八十五歳には見えないわ」
 「いや、歳には勝てません。ここまで昇ってくるのでもへとへとになってしまった。それでここでへばって休んでいるんですよ。昔は山登りなんて、専門にやっていたのにな」
 「山登り? お仕事をされていらしたんですか?」
 「仕事、ってわけじゃないんですがね。渓流釣りが好きなもので、協会なんかにも入って、専門でやってたんです。どこへでも行きました。岩手が多かったですかね。あのへんは人が少ないもんでね、大きな岩魚なんかが釣れるんですよ。逆に山形なんかはだめだ。有名になり過ぎてね」
 今日が誕生日の老人は訥々と語り始める。誰に聞かせるでもなく。もちろん隣では私が聞いているのだが、私に何かを伝えたいというよりは、それは目の前の新緑に映し出される懐かしい過去の映像をただ指でなぞっているような語り口だった。

 恵比寿の方に渓流釣りの協会っていうのがあってね、僕はそこの上の方にいたんですよ。幹部だった。若い人を育成したりね、仲間と色んな場所に行ったりして。簡単にいける場所は駄目なんだ。人に荒らされていてね。だから険しい山の奥にある渓流を目指す。そういう所は自然豊かでね、こんなに大きな岩魚が釣れるんですよ。
 え? そうそう。釣り人が中々来ないから、大きく育つんだな。お嬢さんなんか見たことないでしょう? そうですね、東北の方によく行ってましたよ。今はもう無い渓流も多いけどね。ほら、三・一一の地震。あの津波で全部飲まれちゃった。あれは、凄かったようだよ。予想以上なんだもんな。誰もあんな高い津波が来るなんて、思わない。僕もお世話になった旅館やなんかには、寄付をしたけどね。本当に大変だったみたいだ。うん、渓流釣りをした後は大体そのあたりの温泉宿に泊まるからね。色んなところに泊まったよ。
 え? そう、秘湯なんかも入ったね。色んな場所に寝泊まりしたけど、一番厭だったのは、山小屋だね。もうそこは山深くて、旅館なんてないわけ。その辺りの猟師が使う、猟師小屋だけ。そこに寝泊まりするんだけど、山ダニが出るんだなぁ。喰われてね。上から落っこちてきやがるんだ。痒いのか? いや、痒くない。痛いんだよ。いてっと思って腹を見ると、こんなでかいのが腹に食いついてる。あれは参っちゃったな。結局、一晩寝れなくてね。ひいひい言いながら山を下りましたよ。ははは。
 妻もね、その時ばかりは少し呆れてましたけど。でも、妻も割に山が好きで、一緒に昇ったりして。だから理解がある。そんな険しいとこには行かないけど、丹沢とかね。登山道のあるところ。
 あれは食べるのが好きでねぇ。僕は釣りだけど、あれは食べ物専門だ。よく調べちゃあ、『お父さん、次はどこどこに行きましょう』って目を輝かせる。楽しそうなんだな。僕より断然詳しい。だから知り合いに『どこか美味い店知りませんか』なんて言われるとね、ちょっと待てと。今、妻に聞いてみるから、って。そうするとあの町だと此処だとか、蕎麦ならここが良いとか、色々教えてくれる。
 活発で、明るい奴です。人生、色々なことが起きますよ。
 まさか、俺より先にあいつが認知症になるなんて、思わなかったものな。あんなに活発でうるさいほどだった妻がね。予想もしなかった。人生は本当に、色々なことが起きる。

 美しい新緑が触れ合う波音に近いさざめきの中、彼はゆっくりと微笑んだ。そこには悲壮感などなく、ただ時の流れをありのままに受け止める、一人の痩せた老人の姿があった。
 「奥様、今は?」
 「今は、向こう側の老人ホームに。で、今日は会ってきたんです。その帰りなんですよ。前は電車で何駅も行かなければいけない場所にいたから、あそこに入り直せて良かった。歩いて行けるもんな。電車は面倒でね。三十分くらい歩くけれど、あそこなら会いに行くのも良い運動になりますよ」
 闊達な話し方で、八十年以上を生きてきた老人は、さっぱりと笑った。
 「じゃあ、今はお一人暮らしですか」
 「ええ、この山を越した先の団地でね。息子と娘はもう結婚して出ていきました」
 「それは、お寂しいことですね」
 「いや、なに。息子は心配して、うちに来いなんて言ってくれるけどね。八十五で一人暮らしなんて大丈夫かよ、と。でもやっぱり一人が良いんですよ。體が動くうちはね。自分で出来るうちは、自分でやります」
 鳥たちが、ちちちと唄い、それからばっと空に羽ばたいてどこかへ旅立った。彼らは旅人だ。一羽で彷徨う鳥もいれば、隊列を組んで飛んで行く鳥もいる。美しい空の下、一瞬でも彼らと共にいれたことを、私は嬉しく思った。今日が誕生日の見知らぬ老紳士の話を聞けることと同様に。
 人間は動かなくッちゃ駄目だ。動けるうちは、動かなくッちゃ。
 彼はそう呟く。自分のくたびれかけている體に、話しかけるようにして。
 「僕は学卒で車の会社に入りましてね。でかい会社の傘下だ。セールスマンでした。そりゃ、歩きましたよ。その分、よくさぼりもしましたがね。一所懸命に働いて、一所懸命に休む。これです。いや、それにしてもたくさんの車を売りました。景気が良かったんだな」 
 「時代ですかね。今は車を持たない方も多いみたいですよね」
 彼は少し寂しそうに笑って、ええ、時代でしょうな、と繰り返した。
 「みんなが車を持ちたくて、家を持ちたくて、色んなことに夢を見た時代でした。戦後復興、それからバブル。売れば売るほど、給料に更に歩合が乗っかる。頑張れば結果に繫がる、稼ぐことが楽しい時代でしたなぁ」
 そんな脂ぎった時代に生きたとは思えないほど、今の彼は山に同化していた。枯れた肌は伸びを無くして、彼が手を動かす度につっぱって皺が寄る。彼の皮膚からは脂がなくなり、その質感は木々とよく似ていた。人は死ねば土に戻る。土は木を育てる。だから人の肉體は死に近づくほどに自然に近づくのかもしれない。老いとは土に戻るための、下準備なのだろうか。腐敗して大地へ戻る為に、全ての命は季節を通り過ぎて少しずつ枯れてゆくのだ。
 「稼いだ金で、長野に別荘を建てました。子供たちに選ばせてね」
 死生観の中で揺蕩う私の陽炎を置いて、彼はまた思い出の波音の中にその自然に近づいた體を横たわらせていく。心地よさそうに、うっすらと汗をかいて。

 子供たちに選ばせてね。
 『おい、お前たち。どちらかを選びなさい。山の中に別荘を建てるか、この団地を出て大きな一軒家に住むか』
 子供たちは即答で、別荘だと言いましたよ。
 『良いんだな。その代わり、一生我々は団地暮らしだぞ』
 『お父さん、良うござんす。僕たちは団地暮らしでも構いませんので、それよりも山の上にコテージが欲しいです』
 とこう言いました。なんでもすぱっと決める子供たちでした。私に似たのかもしれません。迷うことがない。こう、と決めたら、こう。だから私もね、うむと頷いて『相分かった』と。
 しかし、ログハウスなんぞ建てるものじゃありませんな。あれは反省しました。今はもう少し、建築技術も高くなっているんでしょうが、当時はまだ荒くてね。子供たちが丸太小屋が良い、というもんでそうしたんですが、丸太を積んで作るでしょう? どうしても隙間が出来る。そこから蟲が入ってくるんですなァ。百足やら蛾やら、また山の蟲たちはでかいですから。ええ。あれには流石の僕でも閉口しました。
 ですが、それ以外は良かったですね。長野の山奥に建てたんですが、長野オリンピックの誘致が決定される前に買ってね。そしてトカトントンと建てているうちに、誘致が決まった。ラッキーでしたね。あのピューっと滑って一回転なんかするような競技、なんて言いましたか。あれ。あれをね、見に行くのに我々なんて徒歩で行きましたから。別荘から子供たちを連れて、とことこと歩いて行く。
 オリンピックの年以外にも、かまくらを作ってみたり、スキーなんて毎日出来ますしね。楽しい思い出だ。長野での暮らしはよかった。しかし、住むことは叶いませんでした。ん? いえいえ、蟲のせいじゃありません。妻がね。
 此処に住んでも良いかもな、と笑う僕に、『私は此処には住みません。お住みになりたいのなら、お父さんお一人でどうぞ。私は方舟町から動きません』ときっぱり言いましてね。まぁなにせ山の中だ。たまに行って遊ぶのならまだしも、生活するとなると山の厳しいことを彼女は知っていたんでしょう。あれも長野の出ですから。えぇ。そうなんです。その長野の土地もあいつの伝手で買えたんですよ。『知り合いの土地が売りに出るらしいわよ』と。
 子供たちとも何度も山に行きました。長野の別荘もそうだし、それ以外も。スキーやらキャンプやらしてよく遊んだものだが、不思議なことに二人とも大きくなったら一向に山になど行かなくなりました。別荘も息子が去年、処分しました。『お父さん、誰も行かないし所有だけしていても勿体ないので、僕が処分してもいいですか』と言うので、『お前に任せる』と。
 二人ともこの町の近くの、あの大きな町に家を建ててね。立派に暮らしていますけれど。山好きだけは遺伝しなかった。娘の方は僕が働いてた頃の取引先の人間と結婚して、子供も一姫二太郎を産みました。息子の方は何をしているんだかよくわからないんだけどね、なんでも図面引きをしているらしいんだが。ああ、今でいう設計士ってやつです。個人事務所で色々やっているらしいが、まぁこっちもそれなりの町に家を建てて、家庭を持っている。何をしているんだか、僕みたいな年寄りにはわからんけどね。まぁ元氣なら文句はないですな。

 別荘を処分した、と言った時だけ、老人は少しだけ寂しそうにした。
 「まぁ、誰も行きませんからね。残しておいても仕方ない。僕も七十五の時に最後に丹沢に行ってから、免許も返納しましてね。渓流釣りの道具なんかもほとんど人にやってしまった。丹沢は妻と登りました。大した山じゃありませんけどね、それでも良い山ですよ」
 ああ、その時にね、僕は丹沢の崖から転げ落ちたんです。老人はそう言って、ちょっとした段差で躓いて転んだ話をするかのように軽々しく笑う。私はまた驚いて、え、を繰り返した。大丈夫だったんですか。
 「妻が登山道を降りてくるのを待ってまして。後ろは結構な崖で、手すりもなかったんですが、慣れてますからね。七十年以上、落ちたことなどない。それで待っていたんです。ほうしたら、足を滑らせて真っ逆さま」
 「何事もなかったんですか?」
 「骨の一本も折れてませんでしたよ。落ちた後も自分で崖を登ってね。下で喚いていたって仕方ない。妻が上にいるんだから。で、よじのぼって、悪いけれども救急隊を呼んでくれ、と。あばらにヒビが入って、一週間だけ入院しましたけれどもね」
 なんとも、強運ですね。そう言って驚いた私の顔を見て、彼は自分の描いた絵を母親に自慢する子供のような笑顔を見せた。僕はそういうのが多いんですよ、と。
 「人生は色々あってね。氣付いたら、学卒で車のセールスマンになり、そこで出逢った妻と結婚しました。六十まで働き定年を迎えても、六十で隠居暮らしじゃたまらん、と当時の上司にかけあって子会社の経営するタクシー会社でタクシーの運転手をやりました」
 「定年後も? どのくらいされたんですか?」
 「上司には『じゃあ一年だけやれ、そうしたら色々とわかるだろう』と言われたのですが、一年やってみるとこれがまた面白い。面白くて辞められなくなりましてね。結局、そこから十年働かせてもらいました」
 にこにこと笑って私の方を見つめる彼の眼窩には、質の高い黒水晶のような目玉が宝石箱の中に丁寧に置かれるように設置されている。それは木漏れ日と思い出の美しさを反射して、きらきらと輝いていた。

 チップをね、くれるんですよ。僕は催促なんてしませんけどね。皆さん、大体くれる。こんな性格でしょう? だから『あんたを氣に入った』なんて言ってね。
 あるお客さんなんて、僕は驚きましたけどね、これ、と数枚の紙幣を渡されて。ああ、ありがとうございます、なんて言って受け取ると、なんと全て一万円札なんです。普通は多くて二、三千円ですよ。お客さん、これは幾らなんでもおかしいと。受け取れませんよ、と言ったんですけどね。『良いんだ、俺はあんたが氣に入ったんだから』と降りていかれました。ええ、豪氣ですな。色々なお客さんがいて、色々なお話をさせていただいて、本当に楽しかった。
 またある時には、東京の方を流したりしていましてね、お客さんが『もう桜の季節だろう、運転手さんも上野かなんかに行くのかい』と訊いてこられまして。僕は王子の北区の生まれなもんでね、『僕らみたいな北区の人間は、桜と言えば上野より飛鳥山なんです。みーんな、揃って飛鳥山に行きますよ。上野なんかに行く人間はいない。浅草なんかの人らは、上野に行くみたいですけどね』と言うと、へえ、とおもしろがってくれる。
 ええ。今でも春には飛鳥山に。当時の幼馴染みなんかと連れ立ってね。そこに行けば大概、みんなが集まってる。それで酒宴なんかが交わされるわけです。飛鳥山もやっと桜が見れるようになってきましたから、これから人も増えるかもしれませんけどね。
 ん? そう。あそこも一度、燃えちゃいましたから。いえ、山火事ではなくて、戦争です。先の戦争でね、終戦間近の頃でした。大空襲ですよ。昭和二十年の四月頃だったか。
 焼夷弾がどかどか空から降ってくる。恐ろしかったです。僕は兄弟たちと走り抜けましたよ。父は僕が二歳の頃に亡くなっていましたけれど、母は健在でね。でもその時は離ればなれになってしまって、僕らは子供たちだけでどうにかしなければいけなかった。
 町は地獄絵図でした。燃え盛る炎と、人々の怒号や泣き声。そこら中に死体が転がってました。みんな、焼夷弾を背中に背負ってしまうんですな。焼け焦げた死体の横を通り過ぎて、必死に山に駆け上がりました。
 家が沢山あった下町が、あっという間に焼け野原でしたよ。何にもない。飛鳥山もその時に焼かれてしまった。二千人以上死んだそうです。
 よく死なずに生き残れたものだ。本当に、そう思います。奇跡ですよ。あれから七十五年も経って、今もこうして僕は生きている。なんとも不思議なものだ。本当に、よく生き延びられた……。
 
 「そんな風にして生き延びた命ですから、丹沢あたりの山の崖くらいで死ぬわけにはいかない、という氣持ちがあったんですな」
 かっかっか、と老人は笑った。痩せて細くなった彼の小さな體から、するすると流れ出てくる様々な物語、人生の断片に私はすっかり夢中になっていた。
 車を売りまくったセールスマン時代の話、子供たちと長野の山で無邪気に遊んだ話、定年後のタクシー運転手時代の話、そうして認知症の妻を抱えた老後の自分と、空襲を逃げ切った子供だった時代の自分。
 たった一人の男の物語の中に、これだけのヴァラエティと美しさが詰まっているのかと、私は小さな宇宙を覗き込んでいる科学者のように新鮮な喜びを覚えた。
 この世界に誕生して様々な《今日》を通り過ぎ、彼は八十五年後の今この木陰のベンチに座っている。そして私はたまたまそこに居合わせて、彼が初夏の美しい木漏れ日の射す獣道に映し出した人生を、一緒に静かに眺めている。
 つまらなく見える小さな歯車がひとつでも狂っていたら、今この瞬間は無いのだという声がどこからか聞こえた。その声は新緑の囁きと尾を揺らす旅人たちの甲高い歌声にさらりと溶かされて、時の清流の中にさあと流されてしまった。
 小さな蠅や羽虫が老人の體に止まるが、彼はそれを追い払おうともしない。ただ目の前の獣道を見つめて、懐かしそうに目を細めている。
 「僕は良い時代を生きたんですよ」
 ぽつりと彼は湿った土の上に、そんな科白を零した。
 「空襲を経験していても?」
 「ええ、空襲を経験していても、です。どの時代にも大変なことはそれなりにあったが、どの時代も楽しかった。僕は良い時代に生かされた。良い時代に、生きてきたんです」
 彼の口元にマスクがついていないことに私は氣付いた。感染症の話も、それに関する薬の話も出ないことにも。いくらなんでも、彼がそれを知らない筈はないが。
 「失礼ですが、お嬢さんは今、おいくつかな?」
 「私は、今年で三十ニになります」
 彼は微笑んだ。木漏れ日のような微笑みで、こう言った。
 「ああ、良いなあ。良い年齢だ。これからだ。これからの人だね」
 と甘やかな黄金色の蜂蜜のような声に声色に変えて。
 あ、と私が呟くと、彼は不思議そうにこちらを見た。
 「いえ、私買い物の途中で。塩と梅干しを買いに行く途中だったんです。お誕生日、おめでとうございます。これからも末永く、健やかにお過ごしくださいね」
 「ああ、引き止めて申し訳ない。ありがとう。お互いにね。もう少し頑張って生きようと思いますよ」
 彼はゆっくりと頭を下げた。

 私は隣町までの道をじゃりじゃりと歩きながら、あの奇跡のような一時間を振り返る。あの時間は微生物だらけの原始の海のように、淡い緑に包まれていた。彼の名前も訊かなかった。どこに住んでいるのかも、連絡先さえも。だが惜しいとさえ思わなかった。私はそんなことよりも、もっと重要な彼の人生の核に触れさせてもらったのだ。そんな氣がしていた。
 彼の言葉が麻のワンピースに包まれた胸の中でこだまする。
 今もこうして僕は生きている。なんとも不思議なものだ。
 私は空襲を受けていないけれど、彼と同じように感じる。私は生かされて、此処にいる。誰も保証もしていなければ、約束もしていないのに、三十二年の時を経て此処にいる。
 私は今日、見知らぬ人の人生を垣間みて、誕生日を祝った。
 そして今から塩と梅干しを買いに行くのだ。何喰わぬ顔で。
 道にはぽつぽつとだが通行人がいた。犬の散歩をしている人、妙齢の女性に手を引かれた老婆、工事現場の中年男性たち。
 すれ違い様に老婆が話している声が聞こえた。隣の女性は介護人だろうか。
 「あたし、元々北海道の出でね、この感染症騒ぎが治まったら、お墓参りに行くのよ。もう随分行けてないから、今年は行けると良いわねぇ」
 それぞれに人生がある。様々な人生が。それは人智を超えた場所で複雑にデザインされ、近目では決して見れない不思議な物語を形成している。
 私は思う。彼は年寄りだからと生きることを諦めていなかったし、だからといって生きることに醜くしがみついてもいなかった。
 體が動くうちはね。自分で出来るうちは、自分でやります。
 彼の声が心の裡で再生される。セールスマンの時はセールスを楽しみ、タクシー運転手になればタクシーを楽しむ。渓流釣りを楽しみ、父を楽しみ、夫を楽しみ、老いを楽しむ。彼は瞬間瞬間を生きてきた。そうしてきたからこそ令和の今、森の中で過去を振り返って《良い時代》だったと考えられるのだろう。
 人は皆、明日をも知れぬ身だ。彼も、私も。
 だが、今は生きている。心配をしても仕方がない。
 「體が動くうちはね。自分で出来るうちは、自分でやります」
 私は彼の言葉を、口の中で暗誦してみた。遠くで子供たちが騒ぐ声が聞こえる。空はオオルリアゲハの翅のように美しく青い。私はその大きな蝶の背中に乗って、宇宙を旅する。
 生きている間は生きている。生かされている。オオルリアゲハの背中の上で様々な時代の様々な人々の人生を覗いて、私は微笑みや涙、出会いや別れを目撃する。それらは胸を突き刺すような愛おしさであり、それこそが命そのものだった。
 私は生きていることを愛している。愛しているからこそ不安にもなるが、不安は愛ではない。素晴らしいものは時として、紛い物にすり替えられがちだ。愛とは悦ぶことだ。みなの幸せを願うことだ。信じることだ。手放すことだ。歌うことだ。揺蕩うことだ。安心して笑うことだ。
 「そんな風にして生き延びた命ですから、感染症くらいで不安に支配されて、戦々恐々と時間を無駄遣いするわけにはいかない、という氣持ちがあるんですな」
 彼の口調を真似てそう呟いてから、くすくすとひとりで笑った。
 家に帰ったらとびきり美味しいご飯を作ろう。温かいお風呂にも入って、面白い本を読んで、ぐっすりと眠ろう。
 そうして年を取ったら、言うのだ。不思議な森の中で、見知らぬ若い人に。
 「私はね、良い時代に生きたのよ」と。
 可憐な花芯にオオルリアゲハが慎ましやかに止まった。呼吸するように開閉を繰り返すその翅の横をすり抜けて、彼女は町に入る。軽やかになった足を、踊るように交互に動かして。

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