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ニートと100億資産起業家を比べて、擁護できるか?

もう15年以上前だと思うが、ある爆笑問題のテレビ番組でスタジオでニートが集まり議論するという企画があった。

そこで、あるニートの言った発言が印象的だった。

「今後、ニートの時代が来ると思う。ニート歴10年とかが職歴みたいに評価されるんじゃないか」のような発言をしていて、スタジオが騒然となっていた。

ただ、人間はどんな境遇に生まれるかはわからない。

そして、生まれによって、ある程度の運命が決められるとしたら、社会に貢献できない人にも最低限の生活と尊厳が必要だと思われる。

ニートを擁護することはいくつかの方法でできる。

働く人間は、金や権力の奴隷である。それはどれも実体のない社会的な言動だ。それに惑わされず、めんどうなことをしないという正直な感性は評価できる。

ただ、それでは社会的に評価されず、自尊心は満たされない。

その根本原因は何か?

それは人間社会に無数のゲームがあり、その中でも金と権力の二大ゲームがゲーム内序列で優位にあるからだ。

このゲームで負けたものは、レアで弱小ゲームでトップを目指し、二大ゲームの虚しさを問うことでしか自尊心を満たすことができない。

こういう原理的な問題がある。

ではどうすればいいか?

何度もこのnoteで書いているが、ゲームを分散させればいい。

今、世界で100のうち、権力と財力のゲームが80を占めて、残りの20を数億種類のゲームが上位序列をめぐって争っているとしよう。

まずは、二大ゲームを20、30くらいまで落として、10のゲームを7〜8個作るようなイメージ。

こうなると社会はよくなる。

つまり、主役である個人は、どのような生まれでも、よい生を送れる可能性がある。

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