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「有り難い」は予定調和を壊す

だいぶ前に、「ありがとう教」を打ち立てるような記事を書いた気がする。

どういう趣旨だったか細かいところは忘れた。

今回、ふと思ったことを備忘のためメモしておく。

この世界で起きていることは、全てが必然的な連鎖なのか。

ラプラスの悪魔のようにすべての物質の動きや力学的状態を完全に把握し、解析できる能力を持っていれば、未来に何が起こるかを正確に予想できる。

われわれの生体験に照らし合わせて考えれば、そう思えるところもあれば、ないところもある。

全てが生まれから決定されていたと思えるところもあれば、全くの自由状態から自分が起点となり未来を決定していると思えるところもある。

後者は、有り難いことである。もしかしたら、こういう予定調和的に想定されることからの逸脱が、感謝の対象の起源にあるのかもしれない。


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