父に泣くとは

最後に泣いたのはいつだったっけなぁ・・・
焦点を虚ろに合わせ、無気力状態で考えていた。

今のところあれか。父親が亡くなったときか。

父が亡くなった

癌に蝕まれ、打つ手無しとなった父親は、せめてゆっくり死ぬようにと、死を待つ専用の部屋に運ばれた。
会話もできず、寝てるか起きてるかも分からない状態の父親を母はできる限りの時間を使ってベッドの横で見守っていた。
当時、私は昼は大学、夜はバイトとありふれたライフサイクルの中を生きていた。
あの部屋に移ってから、いつ父親は亡くなるんだろうなぁと親不孝なことを考えながらバイトをしている最中、母からの電話が届いた。
震え声で亡くなった、と。早く来れるか、と。
バイト先には、父親の事情を明かしているため、すぐに理解してもらえた。
すぐに着替えを済まし、家族が夕食を囲む時間に早歩きで病院行きのバス停に向かった。
この時は、悲しい感情はあったが、やっとか。と、ため息を吐きたくなる感情もあった。いつ死ぬか分からない父親を、抱えるというのは、無意識にストレスになっていた。

真っ暗な受付の横を通り、誰ともすれ違う事なく、病室まで歩いた。
そこには、泣いている母と祖母の姿があった。
私は、入ってすぐに父親に寄り添わずに泣いている2人の心配をしていた。そんなに父親が亡くなることが悲しいのかと疑問に思いながら。
そんな心境で、祖母にある質問をした。

「息子が親より早くに亡くなるのは、悲しい?」

子孫のいない私にとって、知らないまま終わるであろうと思い、この質問を投げかけた。
目の前に死んだ父親と祖母がいる今この時が、答えを知るチャンスだった。
その返答は

「そりゃ悲しいよ。」  だった。

当然の返しだった。
こんな父親でも先に死んだら親不孝か。
親子とはそういうものなんだろうな。
当然の事を当然だと確認したかった。それだけだが、貴重な数分だった。

仕事から兄が戻ってきた。
家族が揃い、お医者さんの説明が始まった。
目にライトを当て確認した後、父親の死が宣言された。
その時初めて、実感が大波になって押し寄せた。
父親の死なんかで泣くわけないと入院前から思っていた。
しかし、耐えきれなかった。
椅子に腰かけ、涙を止められず、静かにうずくまった。

まさか、父の死を言葉にされることで泣くとは思わなかった。
心から尊敬していないとそう思ってたのに。

その後、色々案内されて、母と兄は病院に泊まり、私は家に帰った。
いつもの夜みたいにニコ動をながめて、横になって、父のいない日常が始まった。

記憶にない父の背中

父は私が物心つく頃にはパートを二つ掛け持ちして、母と共働きで4人家族の生活費を稼いでいた。
元々、定職に就いていたらしいのだが、その名残は一切なかった。
家にいる間は、ずっと黙ってテレビを見ていて子供と遊ぶとかはほどんどすることはなかった。熱血指導なんて父にとって異国の言葉だろう。
共に過ごした時間といえば、一緒にテレビを見てた時ぐらいか。
母に「なんか思い出ないの?」と聞かれても兄弟そろって「・・・・」
語れるエピソードは真っ白だった。

思い出がない分、見本にはできないし反面教師にもしづらかった。
言いたくはないが、「家にいるだけ」そんな父親だった。

父が亡くなって数年。そんな父に私はじりじり近づいている。
磁力みたいな見えない何かで力強く引っ張られている。
何も生み出さず時間を浪費していく様はあの頃の父親にそっくりだ。
この親にしてこの子ありとはよく言ったもので運命なのかとさえ思ってしまう。受け入れたら終わりなのだろうか。抗う活力は湧いて来ないな。

もし、自分が死んだら周りの人間は泣くのだろうか。
家族に泣かれるだけ少しは父は幸せものだったのかな。

いやー、幸せそうには見えんかったけどね。