見出し画像

こんなヨガ・バケーション(2)

 ドミニカ共和国はスペインの植民地でしたから、国語はスペイン語。観光業に従事する人たちはある程度の英語を話します。ものすごい勢いで開発の進む大規模な観光地においては、集中教育が行われて、折り目正しく、かつ優雅な英語を駆使する人たちも大勢います。
 わたしを思いがけない旅に連れ出してくれた運転手、サントも、英語を話します。野球が好きなので大リーグの日本人選手についても詳しく知っています。日本で活躍するドミニカ共和国の野球選手も少なくないので、日本のプロ野球のこともよく把握しています。
 ヨガ・バケーションの宿泊地に向かう前に、別方向に走り出した車は、山盛りのパンのカゴを左右に四つもぶら下げたロバとか、背中に積んだ樽で大量の魚が跳ねている馬とか、子供たちの塊(自転車に一ダースほどの子供が乗っているので子供の塊が動いているようにしか見えない)とか、真っ青なユニフォームに身を包んだ少年少女の大集団が道幅いっぱいに行進しているとか、その他いろいろな珍しいものの間の蛇行しながら、幾つもの集落を抜けていきました。

 やがて現れたのは、青々とした一面の豊かな農地。そして、田んぼ。
「見てごらん。この国の稲作は、日本人がいなければこうはならなかった。灌漑という概念がなかったんだ」

 政府に騙されるようにして豊かな土地を夢見てやってきた大勢の日本人が目にしたのは、どこまでも続く乾燥した岩地だった。悲劇が起きた。でもその悲劇を生き抜いて、その土地を完全に変えてしまった。

 灌漑の概念といっても、技術と労働力が伴わなければ実現できません。文字通り必死の仕事だったでしょう。そしてそこに、現地の人たちとの交流も、心の深いところで生まれたに違いありません。
 わたしはこの後ニューヨークで、二人のドミニカ共和国生まれ、アメリカの高等教育を受けた日本人に会いました。お二人とも、「この国(アメリカ)の基準で言ったら裕福の範疇からかなり外れるけれども貧しくて苦労した記憶はない」とのこと。カリブの島国で、土地を守り育て、子を守り育てる底力を、日本人は発揮したのですね。感嘆しました。
 撮影していないので、ここに写真がないのが悔やまれます。ゴッホの描くアルルの風景に似たイメージ、でしょうか。生命が漲っていて、動いていて、風が吹きわたっていて、胸の詰まるような狂おしさがある、、、。その奥に、神の恩寵、としか言いようのないものに触れる喜びが垣間見える、、、。

 恩恵を受けるはずだった人が、思いがけず必死で助ける人になった。自らを助く=異国を助く。歴史には、そういうことが繰り返し起こるものなのかもしれません。悲劇の中に花が咲く(また花が咲くの? 今度は悲劇の中で?)ものなのかも?
(異国にわたらなくても、助けてほしいと手を伸ばした先には、もう一つの助けを求める手があって、いつの間にかそちらの手を掬い上げる方に気を取られていた、ということは日常的にあるでしょう。)
(その点を注意深く観察するなら、そのように誰かの手を取ることなしに自分が助かった、救われた、という経験をすることはない、とわかると思いませんか? そこにひとつの例外もないのでは?)
(自分が稼ぎたい、豊かになりたい、得をしたい、と願って頑張ったのに、自分ではなく誰か他の人の稼ぎや豊かさや“得になる”ことへ貢献するばかりになって、自分の手元に“増えたモノ”はない。でも減りもしない。変わったのは、心に灯る光がまた一つきれいに瞬いたこと。というような経験をしていきたいですよね! これこそが極上経験、あるいは、正しい経験、はたまた幸せな経験ではないでしょうか。
(モノは増えない、減りもしない。でも、よそよそしかったモノたちは、心の中の蝋燭の灯をそばで目撃してくれることで、少しずつ寄り添ってきて、自分の一部になっていくのでは?)
(他人もモノも、そのようにして自分の一部になる経験を積み重ねているとき、気持ちは本当に安定しますね。それが、自分の本当に願っている道に沿っているからでしょう。)

 
 一時間ではとてもきかなかった遠回りの果てに辿り着いたホテル。潮風と椰子の葉ずれの音が吹き抜けるロビーで迎えてくれたのは、チェコ人の女性オーナー。
 はるばるプラハから、なぜまたここに?
 彼女のセンス・オブ・ワンダーに満ち満ちたストーリーを、チェコとここを行き来しながらホテルを手伝っている姪っ子さんが話すと次のようになります。

 スペイン経由でこの国を旅した時「こんな美しい国にこんな貧困があってはならない」と感じて、「貧困からの脱出は教育しかない」ので、この国の教育改革の手助けをしたいと考えた。手始めに、小学校の制服を作って普及させた(あの、車から何度も見かけた真っ青な集団の子供たち!)(自動的に制服を作るビジネスもこの国に作った)。図書館も作った。そしてもう一つの雇用機会として、そして大ホテルにはないもてなしのできる場所としてのホテルをここに作った。

 同じストーリーをご本人が話すと、次のようになります。

 偶然が重なって若い頃からスペイン語を習っていた。自然な成り行きでスペインの人と結婚して移住したけれど、「十分に自分の生命の声を聞いているように思えなかった」「何かが欠けていた」生活で、それをもっと具体的に正直に言うと、「彼への想いに自分を燃え尽きさせることができなかった。そこに嘘が混じっているのがわかっていた」。その感覚を無視できなくなって世界のあちこちのスペイン語圏を旅してみた。そこで何故だかこの島に一目惚れしてしまって。つまり「燃えてしまって」、夫のいるスペインに戻れなくなって。全部わたしの我儘なの。エゴイストなのよ。

「わたしの我儘?」「エゴ?」いいじゃないですか、そんなことはどうでも。我儘のおかげで、エゴの迷い妄想のおかげで、このような展開になったのだから。その展開を喜べるのだから。今、恵みを受け取れるなら、すべてはゆるせるのだし、「気の毒だった」という元夫さんも、我知らずその展開に加担し、恵みの中にいるのだから。

 資産家だったわけではないそうです。小学生の制服を縫ったり図書館を建てたり(館内を埋め尽くす本だって必要ですよね!)する資産をどうやって調達したかについての少し複雑なストーリーも聞きましたが、元々自分のお金でないものを集めて異国の教育に役立て、その国に貢献し続けることで、彼女自身の資産は「全く増えていない」。でも、彼女が得たものの大きさは計り知れませんよね。初めての旅行で一目惚れした美しい島は、 “愛しい自分の場所”として感じられるはずだし、事実、その島での日々を、清潔で、食事が美味しく、ラウンジの本棚には各国語の本がずらりと並ぶチャーミングなホテル暮らしを誰よりも楽しんでいるのは彼女に違いありません。

 普段はまったく参加しないという朝のヨガクラスで、彼女とヨガマットを隣同士に並べました。
 アメリカの感謝祭の連休が過ぎてホテルの賑わいが引いたところで、その日の生徒は、ホテルオーナーとわたしと、パリから来たジュエリーデザイナーの女性同士のカップルのみ。カリフォルニアからパワーヨガの先生が来ていました。「パワーヨガとは違うかもしれないけど」とわたし。「今日はこんなヨガを一緒にしてみたいのだけど」。あまり動かず、各ポーズを2分ずつキープ。オームは3回ではなく30回唱える。(かつて、CRSのヨガクラスの一つで、Prabhu Das が好んだやり方です。)

 その数日間、わたしたち宿泊客は、毎日がガールズ・ディ&ナイトのようなもので、午後はビーチで散り散りになりましたが、日に二回、その都度違う流派のアーサナをやり、瞑想し、おしゃべりし、お互いの出会いに偶然を超えたものを見つけたり、蝋燭を囲んでワインを共にしたりもし、地理的にも時間的にも伸び広がる蜘蛛の巣に引っかかった小虫のように(または優雅な蝶のように?)なって、時空間のつながりの中で揺れていました。時々、このまま蜘蛛に食べられてしまってもいいな、などと夢想しながら。

 ホテルオーナーは、青い星形のイヤリングを長く垂らしていて、パリのジュエラーは、ラリマーをあんな形に加工する秘密を知りたいと言っていました。わたしはその答えを聞く前に発たなければなりませんでしたけれども。

(日本のヨガ・インストラクターの皆さんは、海外リゾートにいらっしゃる際は、ダメ元でも、宿泊ホテルにメールをして、「ヨガクラス持てますよ」と伝えてみたらいいと思います。最低限のヨガ用語を英語で覚えておけばできるだろうし、忘れがたい愛の経験になるに違いありません。)

 


 


 

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?