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教師ができる唯一の「贈り物」


なぜ、日本で最も援助を受けている地域が、最も貧困なのか・・・

沖縄から貧困がなくならない本当の理由

沖縄が抱える問題は決して沖縄だけのことではなく、その根本原因を突き詰めていくと、日本のあらゆるところに共通するものであり、それは「私」を見つめることにつながる。

わずか2年間しか沖縄に住んでいなかった私が言えることは限られているが、さまざまなところでこの本に書かれている社会矛盾が色濃く感じ取れた。

もちろん、著者・樋口 耕太郎 氏ほど深く理解できているわけではない。ただ、他者との関係を壊さず、自分を安心させるためには「どうしようもない現実」という言葉で片付けざるを得ないところに、何とも言えない無力さと悲しさを感じたことは数え切れないほどあった。

でも、それって沖縄に限ったことじゃなく、形は違えど日本の至る所で起こっている矛盾であり、私たちが生きていく中で経験する「やり場のない感情」であることが、この本を読むとよくわかる。

そこから、いかに起ち上がるか

極めて内面的なところからのアプローチだが、いま一度「自分探し」の旅に出なければ・・・と強く思わせてくれる必読の一冊だ。


仕事柄、この一節にシビれた。そうだったよなぁ〜と、教師を志した自分を再確認するに余りある、深い問いだ。

教師ができる唯一の「贈り物」(p.183-184)

大学で教え始めてから約8年が経つ。そして、心から実感していることがある。
「教師が人に教えることは不可能である」----- 。人が自ら学ぶ、教師はその手助けができるだけである。
授業を受けた学生の知識が増えれば、教師が「教えた」ように見える。しかし、「学んだ」のは、学生自身であって、教師はそのきっかけを作り出したにすぎない。
逆に、「教師が、学生に教えている」という思い込みが、学生を教師の枠に押し込め、自尊心を棄損させ、数々の問題を引き起こしている。
機能不全に陥りつつある、日本の教育を再生する方法は、実はとてもシンプルだ。
目の前の子どもたちの関心に関心を向けること。
教師の目的が「学生が、自分を愛する手助け」であり、「学科を教えること」はその手段、と位置付けられれば、教育は一夜にして正常化するだろう。
結局のところ、教師にできることは、毎日、目の前の学生のために立ち止まり、「彼らの関心への関心」という贈り物を届けることだけだからだ。学生たちがその贈り物を置き捨てていくのか、それとも、誰が、いつ、どれだけ持ち帰るのかは予測できない。
教師が人に教えることは不可能だとしても、このことは教育が無意味だということをまったく意味しない。贈り物はいつか必ず誰かに届く。学生たちが自らの意思で贈り物を手に取る瞬間、彼らの人生が変わる。教師の仕事はそう信じて贈り続けることだ。
贈り物は教師の意図したものだけとはまったく限らない。教師が発した何気ない一言、無意識の振る舞い、純粋な思いやりが、学生たちの人生を大きく変えることがある。
だから、真に問うべきは、「正しく教えているだろうか?」ではなく、「自分は、子どもがこう育って欲しいと思えるような大人だろうか?」、つまり、「自分は自分を愛して生きているだろうか?」であるべきなのだ。

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