あと何回、この人と会えるんだろう・・・という話。
日々、こんなことを考えながら会社や学校に行ったり、友達遊んだりしている人は、たぶんそんなにいないと思う。
もちろん、私もそう。
自分が、ふだん接している人であればあるほど、実際、いつでも会ってるし、明日も会えるって思ってる。
コロナ禍にあって、それが難しくなり、悶々とした部分もあったけど、クラスメイトや同僚っていうのは、会えるのが当たり前という存在。
じゃあ、家族はどう?
まだ子供が小さくて、おじいちゃんおばあちゃんも一緒に住んでいてっていう時なら、家族っていつも一緒にいるよね、なんだけど。
今の我が家のように、おじいちゃんおばあちゃんは既に他界してて、3人の子供は独立し、離れ離れに暮らすようになってしまうと、もはや同僚や友人以上に「会えない」存在となる。
そんな家族(我が子)と、例えば1年に2回会うとすると、
「 2 × 生きている残り年数 = 会える回数 」
あと20年生きたとして、40回。1年に1回しか会わないのなら、20回しか「この先、会うチャンスがない」となる。
これを少ないと思うか、そんなもんだとスルーするかはともかく、もはや特別な存在であることは間違いない。
人それぞれには違いないが、つまるところ「人と会う」ということは、本来「極めて貴重な」機会だということに、改めて気づく。
会えるのが当たり前なんじゃなくて、会えることが奇跡・・・と、まではいかなくとも、すごく貴重で、ありがたいことなのだ。
茶道でいうところの「一期一会」
よく聞く言葉だが、日常生活で実感することは少ない。
でも、振り返ってみると、そういう人が何人かいることに気づく。そんな人が私にもいる。まさに、一生に一度の出会いになるであろう ”ご縁” を紡いだ人・・・。
そんな人は、心の奥底にいつまでもいてくれるし、支えになってくれている。FBやTwitter、noteでつながらせていただいているみなさんの中にも、そんな人がいる。
じゃあ、毎日会えるであろう人はどうか。一期一会的な人と一緒にはできないかもしれないが、だからといって「毎日会えるから、いいや」ではないだろう。
むしろ、毎日会えるから適当に済ませたり、先送りしたり、ぶっちゃけ「その時間をぞんざいに扱っている」ことがありはしないか、そこに思いを馳せたい。
なかなか会えない人に会えなくなっても、仕方ないね・・・で済むかもしれない。でも、いつも会える人に会えなくなったら、その時のショックは計り知れない。
毎日会える《と当たり前のように自分が思っている》人こそ、いの一番に大事にしなくちゃ・・・
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そんなことを思った、誕生日の翌朝
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