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展覧会だったり教職だったり 往復書簡#25

画家・タシロサトミさんとの往復書簡25回目です。
前回はこちら。

お互いに見た映画や美術のことを往復書簡としてやりとりするのは面白いですね。
情報の交換とともにお互いの考え方の違いなども垣間見えて面白い。

ゲルハルトリヒター展、私も行きました。
リヒターの硬質な突きつけられるような画面、タシロさんも書かれてますが、共感によって気持ち良くなることを拒否している絵に見えたというのは私も同じです。圧倒的に私とあなたは違う「他者」であると言われているように感じました。写真から描かれてる死を思わせる風景や人物画、色彩のタイルのような作品、鏡やガラスを使ったインスタレーション、映像作品もあって、多くの現代美術の表現方法が先にリヒターにやられてる〜〜しかも現役の作家で90歳過ぎてもまだ制作続けてるし、すげーーや……と圧倒されたました。
残念だったのは、日曜日で混んでいたので、もうちょっとゆっくり見たかったこと。すいてる美術館で「個」としてリヒターの作品に対峙したい。その時に自分がどう感じるのか確認したいので、会期中にもう一度見に行きたいと思います。
それにしても、カラーフィールド展は同じ抽象画でも色彩からくる快楽や共感が感じられたのに、リヒターは拒絶されているような画面。同じ抽象絵画と言われるものでも全く違うのは興味深いですね。絵画って奥深いわ。

アーティゾン美術館「写真と絵画-セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」
タシロさんが前回書いてくれたので行ってみました。私、写真ってあまり見に行く方ではないのですが、この展覧会はとても良かった。アーティゾン美術館の収蔵作品と2人の写真家とのコラボレーション。元の美術作品を現代の写真家がどう解釈して自らの作品に落とし込むのか、思考を辿る面白さもあり、会場の作品の並び方も計算されていて、とてもエキサイティングで目と脳が喜びました。
写真と絵画の領域、どんどん近づいてきていますよね。レタッチソフトの進化などで、より写真が絵画によってきたと私も思います。そしてもっと若いデジタルネイティブの世代は絵も紙やキャンバスの上ではなく、パソコンで描くの普通になってきています。これから先の世代は、私が感じてる絵画と写真の違いなんて軽く超えて、新たな地平に向かっていきそうにも思います。

町田市国際版画美術館「彫刻刀が刻む戦後日本-2つの民衆版画運動」は行きそびれました。コロナ禍から2年、引きこもりが普通になってしまい出かけるのに腰が重い。それではいけない!美術鑑賞は栄養ですからね、もっとマメに行かないとな〜と思います。

さてさて、次の質問について

先日SNSで小河さん、教職免許もってるってつぶやいていたような気がします。
教育実習いったのですか。絵画教室とか、単発のワークショップとか、美術予備校とか、絵を指導するお仕事っていろいろありますけど、そういうのに携わったことがもしあったら、思い出話聞かせてください。
往復書簡#24

そうです。私、教員免許は持っています。
2浪して美大に入ったのですが、当時は学ぶことに飢えてまして、大学の授業全て楽しかったんですよね。それで教職も興味があったのでとりました。
教育実習も行きましたよ。福岡の母校の高校。2週間の実習中、一番きつかったのは朝起きて遅刻せずに行くこと(笑)。大学生活で完全夜型、お昼過ぎにアトリエに行って夜10時過ぎまで制作する生活をしていたので、朝起きるのがめちゃツライ。頑張って朝起きて遅刻はしませんでしたが、基本がダメダメですね。
授業内容は高校の美術の先生から言われた通りにクロッキー、デッサンの授業をやったので、あまり難しいことはしなかったのですが、美術の先生からの指導で「学校教育の美術は一般教養としての美術。美術家を育てる教育ではない」と言われたのが印象的でした。
(確かにその先生の美術の授業は、淡々とした授業だったなぁ。。。「一般教養としての美術」かぁ。。。)
生徒たちは素直で可愛いし、私は演劇をやっていたので声は出るし人前に立つのも平気。美術の先生になれば生活はできる。でも他の教科の先生たちと合わないかも??本当に先生になるのは大変そう。。責任が重い。。。。自分の制作もできなくなりそう。。と思ってしまい、免許は取りましたが先生にはならず、大学卒業後は学生時代からバイトをしていた出版社に行ったんですよね。もしあの時に真剣に教員を目指していたら、人生が今とは全く違っていたと思います。美術を教える以上に教員は生徒の人生に関わりますから、先生をずっと続けていらっしゃる方々はとても尊敬しています。
後は単発のワークショップや学生時代に予備校の夏期講習デッサン指導をやったことはありますが、それが主な仕事になることはありませんでした。
現在は娘たちが美術系の学校に進学したので、家でデッサンを軽く教えることはあります。しかし親が自分の子供に教えるというのは難しいもので、「今までいつも誉めてくれたのに、なんでいきなり厳しいの??」と言われたり。親子だとお互い遠慮もなくなりますし、教えるのは他人に委ねた方がいいですね(笑)

私の話はこれぐらいにして、タシロさんは図書館司書をされていたのですよね?図書館でのお仕事ってどんな感じだったのでしょう?そしてそこでのお仕事は今のタシロさんの制作に影響はあるのでしょうか?とても興味があります。よろしかったら教えてください。

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