京都市京セラ美術館「平成美術:うたかたと瓦礫 1989-2019」とカオス*ラウンジ”のハラスメント問題について

こちら、拝読しました。個人的に、カオス*ラウンジとは、短い期間ながらもゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校のTAを務めていた時期があるので、(それが今回のハラスメント問題と期を一していたかどうかは確認していません。)他人事ではなく、一連の出来事、特に告発した被害者の方の心情を慮るに、想像を絶する苦痛があったかと思います。個人的に非常に心を痛めています。

今回こちらのUKAWA NAOHIRO氏のnoteを拝読して、疑問に思った点を幾つか記載しておきます。まだ整理がついていませんので、箇条書きで疑問点をのみ書きます。今後、この件について思ったことを追記するかもしれませんし、しないかも知れません。いずれにしても、ハラスメント問題は僕の生業としている演劇/舞台芸術業界でも非常に今、大きな問題となっている事項である以上、これは他人事ではなく、我が身(劇団の主催という権力を構造的に持った存在としての自分の今後)に関わることとして真剣に受け止めています。逆にいえばそのため、偏った記述になる可能性もあります。ですが、ここで態度表明をしておくことに一定の意義があると考え、このnoteをアップします。

以下、矢野が疑問に思った点です。:

前提:

大前提として、過去に実績がありその後の歴史に影響力のあるアーティスト(今回はアーティストコレクティブ)について、事後、現在ハラスメント問題が告発されているという事実を踏まえたい。

① その状況下で、過去を時代を区切って美術シーンを回顧する企画展示があった場合、その後起きたしたハラスメント問題を以て、その作家の業績、現代美術界に与えた影響が非常に大きなものであったことを前提なく無きものにしてよいのか。それは歴史に対しての暴力的な改竄とはならないか。(この点においては、カオス*ラウンジの活動及びその後の現代美術界への影響を大きな存在として捉え、展示に漕ぎつけたいという主催者側の意向については僕は理解をする。)

② しかし「資料展示」とはいえ、否、「資料展示」という曖昧な形態をとったことについて、ハラスメント問題が起きていることを明確にせず、曖昧に、その作家の業績や影響をのみ公開陳列することについて、それは倫理的/手続き的に正しい方法だったのか。

③ すでにゲンロンの東浩紀氏、告発者であり、ハラスメント被害者であり、当時カオス*ラウンジのマネージャーであった安西彩乃氏からも言及がされているが、この問題を作家の展示に対する「許諾」という権利関係の問題に矮小化させてしまってよいのか。

④ 繰り返しになるが、もし展示“資料”としてであれ、展示主催者の側に、現在起きている(しかも係争中である)ハラスメント問題についての明確な問題意識があったのであるとすれば(なければ「資料展示」といういささか抜け道的な展示方法を取るという判断には思い至らなかったのではないか? と思うが、)この問題についての展示主催者としての態度表明、事実関係の注釈はあってしかるべきだったのではないか。

④ そのこと=社会的な現在進行形の問題(それは個別な問題ではなく、業界ひいては社会における価値観、倫理観の変容の問題と直結している、業界全体のモラルに関わる問題である)に触れず、当該作家の過去の業績や影響を担保にしてのみ、注釈なく展示することに、故に倫理的な責任が問われなくてよいのか。それは、展覧会主催者個人の問題ではなく、業界的に議論されるべき、大きな問題なのではないか。(にもかかわらず、公的団体や組織から、この問題についての公式見解が出ていないのは、少なからず疑問を覚える。*とはいえ、既に出ている見解があったら僕のリサーチ不足なので、反省します。どうかお知らせ下さい。)

以前にも書いたことの繰り返しになりますが、新芸術校にTAとして関わっていたからというだけではなく、僕自身が集団(劇団、アートプロジェクト)の代表であり、且つ「男性/中年/妻帯者(ヘテロセクシャル)etc」という意味で、無自覚な権力者で在り得ること。だからこそ、この事案を決して他人ごとではないと自覚しているからこそ、上記のような疑問を持ちました。

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