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感想:「食べることと出すこと」を読んで

こんにちは。先週末に「食べることと出すこと」を読ませていただきましたので感想をまとめたいと思います。ちなみに画像はカフカの肖像ですが、著者がカフカの評論家ですので選びました。

この本は、著者の頭木弘樹氏が大学生の時から潰瘍性大腸炎を患われたお話です。潰瘍性大腸炎は大腸の炎症が起き、発症すると下痢・下血に苦しみ、症状が和らぐ寛解期を迎えても完治することはなく、発症を繰り返す(再燃)という難病です。日本には20万人くらいこの病気の方がいるそうです。自分の体の免疫機構が過剰に働くことで炎症が引き起こされる病気ですが、原因ははっきりとは分かっていません。日常生活に与える影響は非常に大きいです。この本を読めば伝わってきますが、食べることができない、そして、いきなり襲ってくる下痢を抑えることができずにトイレにたどり着く前にもらしてしまうというつらい病気です。

安倍元首相も同じ病気だったかと思います。重症度の違いやバイオ製剤といったい治療薬の進化もあり一緒に考えるのは間違っているのかもしれませんが、それでもこの病気を抱えての総理大臣という激務はかなり大変だったのだろうなと思います。

食べることができなくなって点滴で栄養補給をするようになってもまだ体が食べることを欲している。喉や舌など体の部位が食べることを求めるようになるという話は、普段、やたら濃い味で間食とか暴飲暴食を繰り返している私にとっては、もし自分が同じような状況になったらどんなだろうかと想像が難しかったです。

夜中の病院でトイレまで間に合わずにもらしてしまった時に看護師さんに冷たい対応を受けたというエピソードは心が痛みますし、それと同時に、自分がその看護師の立場であれば、とか、自分がもらした当事者であればどう感じていただろうか、とか色々と考えていました。著者も恨みなどは抱いていないと言われていますし、そういった世の中のへの不満を表すために書かれているのではないというのは本を読めばわかります。

善意や悪意の表裏関係、親切心や相手を勇気づけようと思って発した言葉が、相手の状況によっては相手を傷つけたり、大きなプレッシャーを与えることがあります。

例えば、食事はコミュニケーションの手段として、友好や信頼関係を深めるための重要なツールです。そういった場においては、「食べれない」と言っていても、「少しだけだったら」とか言って薦めたりします。それでも頑なに断ったりするとそれで関係が途絶えてしまうようなこと。

私も、お酒が飲めない人に「口付けたくらいだったら大丈夫だろう。」みたいな考えになって薦めてしまうことって正直ありました。勧めることが相手への気遣いだと思っていました。もしかすればその時に相手を傷つけていたのかもしれません。

相互理解を深めて、相手の状況を受け入れる、本当の意味で気遣うことが必要なんだろうと思います。

言うは易し。だと思いますが、そのような努力をすることが必要だと気付かされます。

お見舞いに行くのにその人が欲しいものを聞いてもそれを持っていかずに切り花ばかり持っていくとか。

筆者はそういった社会の反応とか常識的に思われているようなことが患者の立場から見た時にどのように映るのかを冷静にとらえていたいのだと思います。

病気を心のせいにしてしまう部分についても触れています。心の持ち方が弱いからとか神経質だからだとか、原因不明の慢性疾患にはこういった精神的要因との因果関係を指摘されているものは多いです。でも、著者が言うように、病気が心を作ると言うことあります。病気になって、孤独になって不安が募る、再燃したくないから潔癖症が顕著になるとか。

私も実は治ることがない慢性の皮膚の病気を抱えています。今は寛解に近いところで抑えられていますが、中学生から発症してずっと通院しています。皮膚ですので見た目だけといえばそうなのですがそれでもちょっとつらいなと思う時も正直ありました。「伝染するんじゃないか」と言われるのはやっぱり一番きつかったです。全ての人が同じように全ての病気への理解を持てるわけではないですし、なかなかそういった目を完全に無くすのは難しいですよね。

ちょっとだけ相手の立場で考えてみるとか、自分がもしそうだったらとかいう想像力があれば、病気のことなんかも語り合えるようになればつらいのは自分だけじゃないと思えるかもしれませんし、世の中はもっと明るく元気になるのかな、と思いました。

こんな大変なコロナの時にこそ読むべき本だと思いました。

最後までありがとうございました。

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