「生前」の意味は?~なぜ「死ぬ前」じゃないのか?
「生前」とは
父が亡くなった際、「生前、父がお世話になりました」と、何度もご挨拶しました。
が。
お坊さんの講話の中で、
「生前って、よく考えたらおかしくないですか?
生きている前っていう意味ですよね?
本当なら、死ぬ前って言わないとおかしいですよね?」
と問われ、そういえばそうだと。
これ、どういうことかというと、
人間としての期間=「仏として生きる前」
だからなんだそうです。
へーーー!!知らなかった。
こんなところにも仏教の影響ってあるんだね。
人間はいずれ必ず死にます。
あの世というのがあるんだったらあの世に必ず行きます。
だから、あの世に行く前提で作られた言葉があるんですねぇ。
父が「仏」になる前
先日も書きましたが、父はずっと頭も意識も亡くなる直前まではっきりしていました。
9月半ばに、レントゲンで素人目でもわかるほど大きな肺がん。
何もしなければ、正月までは生きられないと告知されました。
(結果的にはあれこれしても、生きられませんでしたが)
年も年なので、覚悟しているとは言え、本人はその日その日生きているし、
生きるつもりだし、死にたくはないわけです。
自分の命が3か月余りと言われたとき、どれだけ父がショックだったか。
「人はいつか死ぬ。でもこんなに早く死なないといけないなんて」
と父は泣きました。
それでも父は、いろんな治療を(胸水を抜くための処置を3回、抗がん剤投与など)を受けました。相当、きつかったはずです。
胸水を抜くために切開し、ドレーンといって、いつも器具をつけっぱなしでしたから、じっとしているのも、トイレに行くのも大変だったはずです。
でも、
一度も死にたいと言わなかった。
もうあかんわ~とは何度も言いましたが。
亡くなる当日も、褥瘡(床ずれ)防止で、2時間おきに体位を変えるのですが、自分で体を動かそうとかんばりました。
亡くなる直前まで、生きようとしました。
少しでも元気になるための労力を惜しみませんでした。
父のいろいろあった人生は、けして人様に自慢できるようなものではありませんが、
この3か月の間、亡くなるまでの父の姿は、見事でした。
死ぬと、わかっていて死への恐怖を感じながら、
それでもなお日々、「生きる」「よく生きる」を選ぼうとしたこと。
これが「死ぬ前」=仏になる前=「生前」
という究極の瞬間の積み重ねだったと思うのです。
そんな父の死に顔は、とても穏やかでやさしくて笑っていて。
もともと、頭もハゲてつるつるなので、「仏さま」になったななぁと思いました。
生きる意味、生きる目的を考えるとき、私たちは、生きている前提で考えます。
でも本当は、いずれ死ぬ前提で生きることを考えるといった方が正しいのかもしれません。
コロナで、死の恐怖を誰もが感じさせられた昨年。
みなさんはどんな「生前」にしますか?どんな「生前」を積み重ねていきますか?
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