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コロナで変わる葬儀の形~「当たり前」をやめたらみんなハッピーだった。


とうとう亡くなってしまった父の葬儀。
事前に、父が会員になっていた葬儀社と打ち合わせを済ませていたので、喪主を決める以外はスムーズでした。

遺言では私となっていたのですが、断固として固辞し、母になりました。

さて、コロナ禍での葬儀について。

父の仮通夜~納棺まで

父は、死を迎えるプロセスが、いろいろ、ラッキー、ツイていることだらけの父ですが、他にもいろいろあるんです。
葬儀ですが、当日が友引のため、1日ずらすことになりました。なので、通常、亡くなった翌日通夜、その翌日葬儀、のところ、もう1日、自宅で過ごす時間がありました。

家族としては、余裕をもって準備ができるのでとても助かりました。

出費として、ドライアイスが1日余分(5000円)にかかった程度ですし。

その夜は、妹二人が父の布団のそばで寝ていました。
私も寝たかったのですが、私はすぐ隣の部屋だし、父と暮らしていた私は十分一緒に寝た(笑)ので、譲りました。

翌日、納棺師さんがやってきて、身繕いスタート。
なかなか見れる機会ないので、立ち会わせてもらいました。

綿を詰め、死に化粧を施し・・・

「お父さん、やさしい顔をされてるし、肌色もいいので、手を加えることがない」

とで、少し綿を詰め、うっすらベージュの紅をさすだけでした。

やはり闘病の状態によってはとても苦しいお顔で亡くなられる方もおられるそうで、笑っているかのような優しい顔でよかったですよね、と。

そのあと、死に装束に着替えさせるのですが、通常、葬儀社が持ってきたものか、手元にある和服になります。それは死後硬直で、洋装では特に腕が入らないからだそうです。難しい時は関節を外すこともあるそうで。

父からは昔、モーニング(礼装)を棺の中に入れてくれと言われたことがあったので、それを準備してしました。
葬儀を遅らせた分だけ、通常より、死後経過しているのに、硬直もほとんどないのでチャレンジすることになりました。

20年も前、ふっくらしたときのものなので、全体にとても大きいのに、いざ着せようとすると、カッターシャツがいちばん大変。片方の腕を通した後、もう片方が簡単には通らないのです。

いかに普段、人間が複雑な動きを無意識にやりながら、うまくシャツを着ているのかがわかります。

それでも、なんとか着せました。

ネクタイだけはわからなくて、妹のだんなさんが結んでかけてくれました。そのあと、納棺したのですが、父は175cmあるので、棺もジャストサイズ。これももし合わなければ足を強引に曲げるしかないんですよね。

こういう細かいことでも、とにかく、ラッキー、ツイてることだらけ。

お天気ひとつをとりあげても同様です。

父は、余命を知ってから、
「正月まで持たないなら寒い時の葬式だから、来る人に申し訳ないな」と言っていました。

が、

なぜか例年になくコートもいらない暖かい晴天続き。
しかもコロナの再流行直前で、まだ足を運んでいただきやすい時期でした。

葬儀の後も、ずっといいお天気で、汗もかくほどで、家の片付けもはかどり。やはりすべてがラッキーで、ツイている。

第三者的にみればどってことない話ばかりなのですが、残された身になると、

「あーよかった!」と思えることが多いと、慰めになります。

どんなことでも、そう思えるようになったら?いいこと探し、ラっキー探しが当たり前だとしたら、基本、そんなことの連続で生きているのかも?


コロナ禍での葬儀トレンド

通夜、葬儀ともに、式典は家族のみで、その前に1時間半~2時間ほど、一般の方からのご焼香をいただくという形が主流になっています。

通夜は通常19時スタートが多いのですが、お坊さんの都合で、20時スタート。これも、結果的にはお仕事帰りの方に、ゆっくりお越しいただけました。
葬儀は11時からだったので、そのまえ2時間の間に一般の方にきていただきました。

このやり方でよかったことは

●一般の方は、お坊さんの読経を聞かなくていい~信仰心のある人以外は通常苦痛のはず。

●父の顔を見ていただき、おひとりずつご挨拶とお話が可能。(通常の葬儀では、ご焼香のタイミングで顔を合わせるだけ)

●葬儀の時、出棺の見送りまで含めると1時間半ほどの拘束があるが、それがないので、一般の方は、焼香終わったらすぐに帰れる。遺族は気兼ねなく最後のお別れができる。

●分散するので、駐車場が満車にならない。

●一堂に会することがなく、家族の座席数だけあればいいので、葬儀会場も小さめの部屋で済む(お安く済む('◇')ゞ→これだけで40万近く削減。

と、いいことだらけでした。

私自身、かつては、仕事の立場上で、よく知らない方や本当に形だけで葬儀に参列したことがありましたが、正直言って、悼む気持ち以上に、長い読経タイムがめんどくさいと思うことも多々ありました。

が、このコロナ対策方式だと、一般のお客様にはノーストレス!!

私たち遺族にとってよかったことは、前述のとおり、おひとりずつとゆっくりお話ができたので、直接感謝の気持ちを伝えられたこと。

また、父がお世話になった方々から、私たちの知らない父のエピソードをお話いただき、とても笑わされ、慰められました。

お客様、父との「つながり」を感じながらの葬式になったんです。

結局、遺族にとっても、お客様にとっても、みんなにとってハッピーな形はこれだった、ということですよね。

葬儀って、その地域ごとに様々な風習、習慣が伴うし、不幸ごとなので、大きくあり方、やり方を変えるのは難しいものだと思うのです。

が、コロナによって、(いい方に)変わったものの1つじゃないかな。

前例、形式、因習、あたりまえ・・・・をやめたら、みんなにとっていいことばかりだったわけで。このやり方が主流になっていくのではないかな。

コロナという逆境下でも(だからこそ)、何か新しい価値や体験の創造ができる、そう感じさせられました。

そして、父の葬儀の日、父が入院していた大学病院は、面会禁止が強化になる旨の告知がありました。
着替えや食事を持参しても、ナースステーションの入り口で渡すのみで本人には会えないとのこと。

もし再入院していたら、と思うと、父は一人ぼっちで逝ったのかもしれません。

だから、予定より少し早かったけど、自宅で家族全員に看取られ、これでよかったのではないかと。そう思います。


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