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亡くなった父の「近況」をチャネリングしてもらいました

早いもので、父の一周忌です

胡蝶蘭やそのほかお花、お菓子のお供えが届き、多くの方々がわざわざ時間とお金をかけてくださることに感謝すると共に、不思議な感じがしました。

なぜかと言うと、私の中では、死んだ人の葬式に行くことはあっても(いや、もはや葬式も行かないかもしれない・・・)、彼岸やお盆、×回忌のお参りに行くとは思えないのです。

父の法要も四十九日だって、菩提寺の住職がやらないとダメと言うのでやったけど、それも本当は不要と思ってたいたほどで、そしてその後も今後一切の法要をしないことにしたぐらいです。

信仰心がないわけではありません。が、「死んだら(今世の付き合いは)おしまい」だし、「死んでも(スピリチュアル的に)そこにいる」と思っているので、法要と言う形で接点を持つことの意味が感じられないのです。
同様に、おそらく、誰かが亡くなってもわざわざお参りすることもなさそうなのです。

無事に天国?に行けたようだ

サイキックな友達がいるのですが、亡くなった人の声を聴けるんです。
実は私もその技は学んでいるのですが、彼女ほど微細に感じ取れないし、なにせ自分の父親はちょっと生々しすぎて、無理!なのでやっていただいたのです。

彼女には詳しく父のことを話したことはなかったのですが、こんなことを父が言っていたそうです。

お葬式2日間、あんなにたくさんの人がきてくれてびっくりした。
葬式もお願いしたことを全部やってくれてありがとう。

ちゃんと見てたんだ(笑)

あの世での近況を聞きました。
私は毎日、「パパ元気かなぁ」とつぶやくことが多いのですが、そのまま伝えると

元気。毎日楽しい!

とのこと。どうやらあの世とは「地獄」ではなさそう。

パチンコ、(我慢していた)タバコ、(我慢していた)大好きな甘いお菓子はどうしているのか聞いたら、

こっちの世界では、楽しいことがいっぱいあって、パチンコはさほど楽しくない。タバコもいらない。
甘いものはもっとお供えしてほしい。

確かに、仏前には、私の大好きなスナック菓子が多くて、甘いもの比率下がっている。慌てて追加。

お墓ナシを承諾してくれた

跡取りがいないので、墓を作らないことを伝えたら、一瞬、悲しそうにしたけど、

肉体や物質がない世界なので、物への執着がなくなったから、もう墓もいらないよ

だそうです。(そのくせ甘いお菓子にはまだ執着があるが・・・)

これを聞いて、借りている墓地を返却する意思を固めました。


実は元気に生きているうちから、私は「墓は作らないからね宣言」をしていたのですが、さすがに遺言で託されていたし、実際に遺骨があるので、作るつもりはなくても逡巡していたのです。
が、これでスッキリ。

その他の「近況」としては、肉体がない分だけ、いろんな人へ自由に会いに行き、幸せや愛を送れるのがいいそうです。
父は生前、どこにでも電動アシスト自転車で徘徊しては、いろんな人に会いに行っていたので、相変わらずそれは継続中のようです。

友達は「みきさんのお父さんって、愛の人なんですね。愛を与えたい人なんですね」とポツリ。

ん-。愛なのかどうかはわからないけど、いろんな人に興味を持って誰にでも話しかけて、フランクにはしてた。

わたしには、

あんまり頑張るな。無理をするな。

だそうです。たいして何もしてないけどな。

チャネリング終了後、友達は「お父さん、元気でおもしろい方ですね」

誰からもそういわれていた人なので、本当に父にチャネリングしてくれていた、と思います。

魂の永続性

父が、毎日「元気」に、過ごしてくれていることがうれしく、相変わらず魂レベルで人に会いに行っていることも、父らしいなと思いました。
父の肉体はないけど、父はそこにいる。

父は、むしろ肉体がないことで、苦痛から解放されている。
そんなあの世に行くこと、人間としては死ぬことに、怖さがなくなりました。
いつ死んでもいいと思って生きてきたけど、ますますそう思いました。
業の深い私が天国に行けるのかどうかわからないけど、そこには父がいる。早く会いに行きたいぐらい。
この世とあの世はシームレス。父の肉体は永遠に見れないが、存在は周りにある。父に包まれている。
魂の永続的なつながりを感じると言うのはこういうことなのだ、と実感しました。

結局、いただいたお花やお菓子などのお供えもの等、父の縁故でいただいたもの、ぜーんぶ、私と母がありがたくいただいている。

あの世からこの世に、他の方の時間とお金と手を借りて、父からの思いが届けられている。父に今日も生かさている。
そう思うようになりました。


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