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毎月1回の仲間内でのナラティヴの読書会

国重浩一さんの「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ BOOKⅠ」を夏に読み終えて、その後は「BOOKⅡ」の出版までのつなぎとして、先月から2020年に取り組んでいたマイケル・ホワイトの「ナラティヴ実践地図」の「第4章 定義的祝祭」を再度読んでいます。

今月は、先月に続いてその2回目。

前回(p.142-p.151)は、2年前に読んだ時とでは、大きな印象の違いがありました。前回は、「マイケルだからできるけど、普通の人には無理だよね」と思っていたけれど、今回読んでいくとかなり構造化されていることが分かりました。ですが、その構造化を感じさせない自然な会話になっているため、やっぱり「マイケルはすごい」になってしまったのですが。

アウトサイダーウィットネスが参加する定義的祝祭の会話の主題(p.142)は
・「彼らの注意を引いた語り表現」
 :印象に残ったところ、最も注意を引いたところ
・「その表現が喚起したイメージ」
 :喚起された印象が、どのような印象を作ったのか、
・「そうした表現に共鳴した個人的体験」
 :彼らにとって大切な価値あること、貴重なことの示唆/関連エピソード
・「その表現によって自らの人生がどのように動かされていったのか」
 :人生の旅、どんなところにたどり着いたのか

マイケルは、外在化して答えるような質問を通して、上手に影響や示唆を引き出しているように感じました。。
アウトサイダーウィットネスの語り直しも含め、それらが、クライアントによる自身の認証や再評価につながることを示してくれています。

一方で、12年ぶりにコンタクトのあった元クライアントのアリソンに、アウトサイダーウィットネスとしての関与を依頼した後、現クライアントとアリソンが会う前から直接電話して話をするなど、ハラハラするような場面もありました。
また、アリソンが治療を受けていた12年前の時点で、既に2人アウトサイダーウィットネスの参加があったことを踏まえると、この手法がどのように形作られてきたのかに、関心が生じました。

今回(p.151-p156)においては、どのように定義的祝祭が整えられてきたのか、について言及されていました。
興味深かったのは、子供たちの言動の観察結果が影響を与えているということ。

好ましい人生の展開が認証されると、それを話したくなり(=聴いてくれる人を探す)、聴いてくれた人は質問したり見せてもらいたくなる。それは、好ましい展開の持続や発展につながる影響力を持つということでした。
「聴衆を関わらせる」ということに関して慎重に進める中で、応援してくれる知人層とアウトサイダーウィットネスのように応援してくれる「知らない人々」の層が選ばれていったようです。

「定義的祝祭」の直接的な起源は、文化人類学者のバーバラ・マイアホッフが、コミュニティ組織化のモーリス・ローゼンの助けによって、ユダヤ人高齢者コミュニティへの関与を行ったことのようです。
孤独な高齢者たちの「インヴィジビリティ感覚」や周辺化された感覚をやわらげ、アイデンティティを厚くして真正性(authenticity)を高めいくために、聴衆の語り直しがおおきな役割を果たしたようです。

他方、マイアホッフは、こうして人工的にアイデンティ的を形成していくことに、これでいいのだろうか、という疑念を持っていた、という本書には記載されていないエピソードもあるようです。マイケルは、そうした面も含めて、定義的祝祭に向き合ってきたのかもしれません。

前回・今回の2回を経て感じることは、
・一昨年よりも少しは理解が深まり、定義的祝祭の構造が見えてきたように感じること、それをもう少し言葉で整理したい衝動があること(*)
・参加者のエピソードを通じて、私たちの日常の諸活動の中にも、無自覚にこの構造が発現していることがあるのかもしれないという気付きがあったこと
・マイケルのように意図的に活かすことができれば、互いに深い気付きや学びが生まれやすい状況が起こるのではないかという期待が膨らんでいること

次回(p.156-)は、オープン・ダイアローグでも有名なトム・アンデルセンの「リフレクティング・チーム」についても触れられているのも楽しみです。

#ナラティヴ #定義的祝祭 #ナラティヴ実践地図 #アウトサイダーウィットネス

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聴衆の語り直しは子供たちの言動の観察に後押しされたとの本文に刺激されて、何やら楽しそうな子供たちの写真(ゆりがえるさん)を使わせてもらいました。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました\(^^)/ もしよろければシェア、感想などを教えていただけたら嬉しいです。 またぜひ読みにきてくださいね!