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たとえ話のうまい人たち

ゴールデンウィークに入る前に、職場のチームでのロングミーティングあったのだが、そのときチームリーダーのOさんからこんな発言があった。

僕らの今のチーム状況って、サッカーで例えると、前で攻めるフォワードと、後ろのディフェンスの間に距離がある状態なんじゃないかな。これ実際のサッカーの試合では、空いた中盤のスペースで敵にボール回されるから、よくないんだよね。あくまでセオリーだけど、フォワードが前に攻めるときは、ディフェンスも連動して前に出る方がいいし、逆も然り。

たしかに、そうだなあと思った。学校教育の現場に関わる僕らのチームではこの1か月、オンライン授業の現場対応などで猛烈に忙しくなるメンバーがいる一方、対面での場づくりを得意とするメンバーは、コロナ禍の中、動きたくても動けない状況が続いていた。

もちろん、チームとしてある程度は業務負荷を調整しながら進めたものの、スピード対応が求められる場面も多く、前線で対応するメンバーが身を削りながら、ドリブル突破でゴールするように仕事を進めていくことも多かった。

後方から見守っているメンバーも、もちろんそれを賞賛し、サポートもしたけれど、ボールが回ってこない中で、もどかしさや、さびしさを感じる場面も多かったと思う。

どこか停滞感のあったロングミーティングが、この1つのたとえ話を皮切りに、オンライン上で活発な対話が生まれるようになってきた(みんなの中に、多少なりとも共感や腹落ちする部分があったのだと思う)。

そして別のメンバーから「サッカーに例えるなら、それぞれ自分は今チームの中でどのポジションにいるか書いてみよう」と投げかけがあり、こんな風に可視化しながら、今感じていることや、本当はどのポジションでプレーするのが好きか、得意かなどを共有し合った。

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(当日はアルファベットのところに名前を書きました)

あらためて僕らはどんな試合に臨んでいて、どんなゴールを決めたいのか、今試合は前半の開始早々なのか、後半のロスタイムなのか、それともハーフタイムなのか、まずは試合状況を整理する必要があるよね、というところまで話して、その日のミーティングは終わった。

もちろん、試合状況の整理だけでなく、ドリブル突破以外の攻め方のアイデアとか、これから考えることはたくさんあるけど、現状認識が少しずつ揃いはじめ、みんなの表情は少し晴れやかになり、無事にゴールデンウィークを迎えることができた。

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それから「たとえ話」のことが気になって、ゴールデンウィークにランニングしながらぼんやり考えていたら、東京でサラリーマンをしてたときの職場の先輩Nさんのことを思い出した。

Nさんはお笑い芸人で花開かず、30歳目前にして人事の仕事に転職し、営業で活躍していた。とにかくたとえ話が上手かった。

職場に新人が入社し、急に先輩風を吹かせる2年目社員をみたときには、

「お前は、黒のセダンをバックさせるような顔しとるやないか」
「あ、今の先輩風暴風警報」

と、つっこんだ。Nさんは、先輩風を吹かせる2年目社員くんのことをけっこう可愛がっていたから、そのやり取りは、オフィスの雰囲気を絶妙に和やかにさせていたことを今でも覚えている。

そのあと、ゴールデンウィークをいいことに、だらだらと夜にyoutubeを見ていたら、ダウンタウンの松本さんが、お笑いコンビ・サバンナの八木さん(ボケ担当)との会話で「もう、親戚の子どもと話してるみたいやんか」と突っ込んでいた。

(余談ですが、この映像の1:50からの「干支」が、おすすめです)

さて、もうひどく脱線してきたが、ここまでのたとえ話を振り返ってみると、以下のようになる。

・今のチームの状況 ⇆ サッカーのよくないフォーメーション(Oさん)
前で攻める人と、後ろで守る人の間に距離がある。

先輩風を吹かせる2年目 ⇆ 黒のセダンをバックさせる人(Nさん)
何だかえらそうにしている。いきっている。

・サバンナの八木さん ⇆ 親戚の子ども(ダウンタウン松本さん)

ときどき、もう本当に何を言っているか分からない。天然キャラ。

そして、たとえ話は、対話を活発にさせる効果や、場の雰囲気を和やかにさせることに一定の効果があるかもしれないことが、断片的に分かってきた。

そして、ゴールデンウィークが明け、昨日床屋で髪を切った帰り道にも「たとえ話」について、なぜか僕は引き続き考えていた(もう自分でも、なぜそうなってしまったか分からない)。

今さら言うまでもないが、たとえ話は2つの人や物事の間に「共通点」を見つけることで生まれる。その共通点を見つけるためには、よく「観察」をしてその特徴を「分解」し、言葉にしていく「匠の技」が求められる。

それから、うまいたとえ話は、たぶんその人の「経験の広さと、深さ」から生まれると思う。元お笑い芸人のNさんが繰り出した「黒のセダンをバックさせる人」は、人生経験の広さに裏打ちされている部分がありそうだ。

サッカーのたとえ話をしてくれたOさんは、ブラジルにサッカー留学し、東京のインターハイで優勝したときのレギュラーメンバーだったらしく、死ぬほどサッカーに打ち込んだ人だ。「サッカーの因数分解の精度」がはてしなく高いので、たとえ話のあとの議論にも広がりが生まれやすかったのだと思う。

最後に、さきほど挙げた3つの中で、自分が好きなたとえ話はどれかな、と考えてみると「サバンナ八木さん=親戚の子ども」だった。八木さんの天然キャラが、ポジティブな方向に変換され、愛くるしさを際立たせている感じが僕にはする。

突出した個性やその人らしさは、ときに「からかい」や、攻撃の対象になることもあるから、それをユーモア溢れる形で言い換えることができたら、この世の中は、ちょっぴりおもろしくて、やさしくなると思う。

多様性とか、ダイバーシティとか、違いを受け入れて尊重しようとか、分かっちゃいるけど、いざ、となるとむずかしい局面ってやっぱりあると思うから、そのときには、サバンナの八木さんのことを思い出して、1つたとえ話を繰り出してみよう。

そしてたとえ話のレパートリーを増やすために、ムダ打ちだと思えることでも、とりあえずやってみたり、そのことについて、床屋の帰り道にこりずに考えたり、因数分解してみようと思う。

このすばらしき多様性の時代は、ともすると「違い」ばかりに目が向いて苦しくなるから、もっと「同じ」共通点にも目を凝らしてみれば、気持ちが楽になるのではなかろうか。

自分と他者との関係性という意味でも、まず共通点を見つけることが、相手の受け入れにくい部分(違い)を受け止めるための一歩目になるかもしれないから。

そんな風に思えば、僕のこのゴールデンウィークの日々はいつか救われるはずだ。

どうにも長くなりましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。それではまた!

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