「いいね」の数はあなたの写真の価値を決めない
こんにちは、氏家(@yasu42 )です。夏も終わり、秋も間近。秋ならではの景色を楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。写真を撮るにも良い季節ですね。
さて、本日のnoteはSNSとの関わり方についてです。
第一回目のnote以来ですね。
プロフェッショナルな環境はともかく、アマチュアを含めた写真活動においてはSNSが主戦場として定着した感があります。
一口にSNSといってもinstagram、Facebook、Vscoなど様々ですが、本邦においてはtwitterが代表格といえるでしょう(余談ながらVscoはクオリティが高くお勧めです)。
そして、SNSでの活動となれば切っても切り離せないのが他人からの反応。
そう、「いいね」や「リツイート」です。
リツイートは拡散のためのものなのでともかく、「いいね」については数を気にしてしまう方も多いのではないでしょうか。通知欄から目を離せない、ということもあるかもしれませんね。
「見てもらえるかな」と期待半分不安半分で写真を出してみたら、4〜5いいねが付いて終わり。その一方、フォローしている人気さんは数百数千数万いいねを稼いでいて、さすがに落ち込んでしまう……
そんな経験をした方もいるのではないでしょうか。
もしかすると。
写真に「いいね」がつかない、反応がない=自分の写真は駄目なのではないか。
そう不安になってしまうかもしれません。
ですが、私は声を大にして言いたい。
いいねの数=あなたの写真の価値ではないと。
それとこれとはまったく別問題であると。
以下、「いいね」と写真の関わりについて語らせていただきます。
よろしくお付き合い下さい。
なお、本noteにおいては、写真発表の場所として主にtwitterを想定しております。ご了承下さい。
1:そもそも「いいね」とはなにか?
「いいね」という言葉は今では普通に使われています。
「バズっていいねが沢山ついた」「いいねが思ったよりこない」そんな表現を聞くこともしばしばでしょう。
ですが、そもそも「いいね」とは何でしょうか?
純粋に機能としてみた場合、「いいね」が意味するものはシンプルです。
「あなたのツイートを見た誰かが」「ツイートの下部にあるハートマークボタンを押した」ということ。ただそれだけです。
ここで重要なのは「ただそれだけ」ということ。「いいね」そのものはいわば価値中立的であり、ただの数字でしかありません。
言い換えれば、「いいね」にどのような意味を見出すかは個々人の問題だということです。
極端な例を考えてみましょう。
撮る写真が例外なくバズる、常に1万10万いいね超えをするカメラマンがいたとします。仮にAさんとしましょう。
しかし、Aさんは「いいね」に一切の意味を見出していない。
なぜならAさんにとって写真はクライアントに売るもの、売れるかどうかが全てだからです(繰り返しますが仮定の話です)。
10万いいねがついて絶賛されるが売れない写真。
1いいねだけど大口のクライアントがその場で買い上げる写真。
この場合、どちらに価値があるのか?
Aさんにとっては間違いなく後者でしょう。
これはあくまで仮定です。極端な例です。しかし、言いたいことはわかっていただけると思います。
「いいね」の数そのものはただの数字でしかない。
それにいかなる意味づけをするかはあなた次第。
そのことはまず認識しておいて下さい。
2:反応は気になって当然
……とはいうものの、反応が気になるのは当然です。
冒頭に引用したnoteにも書きましたが、何の反応もない、というのはモチベーションを下げます。
考えてみてください。
頑張って勉強してテストで良い点をとった。
業務に専念して大きな契約を勝ち取った。
そういう時に誰からも反応がなかったら虚しくなりませんか?
「見てみて!」という気持ちへの反応が「ふーん」だったら落ち込むのは当然ですよね。
自分で自分を褒めろ、それこそが大事だと言う人もいましょう。
一面の真実です。同時に、そこには限界があります。
私たちはそこまで強い存在ではない。自分で自分をコントロールするにも限度があります。
そもそも人間は社会的な存在です。
何をするにせよ、他者への働きかけ、他者からの働きかけを避けて通ることは出来ません。写真だけが例外のわけがないのです。
反応が気になるのはむしろ当然だと考えましょう。
そして、当然だと認識していれば、いいねがまったく付かなかった時も「いいねが少なくて自分は気にしているんだな」、いわゆるバズった時も「バズって気持ち良くなっているんだな」と客観的に見ることが出来ます。
反応が気になるのは当然だと割り切り、自分を客観的に見るだけでも心理的には楽になると思います。
3:「いいね」との写真の価値について
色々と書いてきましたが要点は二つ。
「いいね」への意味づけは自分でするもの。
反応が気になるのは当たり前
今まで語ったように、「いいね」自体は価値中立的なもの。それ自体が写真の価値とイコールということは決してありません。
より正確に言えば、「いいね」が写真の価値を一意的に決定することはない。
そんなことが出来るわけがないのです。「いいね」はただの数字なのですから。
では、何が写真の価値を決めるのか?
決まっています。
あなたです。
そして、写真を見ている一人一人です。
目の前の写真に向き合いましょう。自らに問いかけましょう。
自分はどういう狙いでこれを撮ったのか? 何に心動かされたのか? 撮りたいと感じたものを撮るための技術は十分だったか? 何も知らない人がこの写真を見てどのように感じるか?
そのうえで「良し」と言えるならば。
その写真には紛れもなく価値があるのだと、私は思います。
4:「いいね」とどう付き合うべきか?
さて、話すべきことは話しました。
それでもこう思うことはありません。
「言いたいことはわかった。それでも気になるものは気になるんだ! どうすればいい?」
お答えします。
まず。
繰り返しになりますが、「いいね」の数=写真の良し悪しではないことを改めて認識しましょう。
いいねが0だろうと、数万だろうとそれが意味するのは「画面の向こうの人々がいいねボタンを〇回押した」というだけに過ぎません。その意味づけをするのはあなた自身に他なりません。
そのうえで。
自分自身の評価軸を持ちましょう。
いいねの数一辺倒ではなく、目的を達成出来ているかを重視するのです。
いわば「いいね」を目的達成のための測定装置だと考えるのです。
例えば「尊敬しているあのカメラマンがいいねをしてくれた」「見る目を信頼している友人からの反応があった」でもいいでしょう。
もちろん「仕事に繋げたいので数千数万いいねを稼いだ」でもいい。
ここばかりは人それぞれかな、と。
有り得るパターンとしては
・刺さるべき人に刺さればいいのか?(刺さらなかったら刺さるように試行錯誤しましょう)
・みんなに見て欲しいのか?(ならば見せ方を工夫する必要があります)
・バズって仕事に繋げたいのか?(いいねとリツイートの稼ぎ方にリーチする必要があるかもしれません)
などでしょうか。他にもいくらでもありそうですね。
いずれにせよ大事なのは、数そのものに一喜一憂するのではなく、自分自身で「いいね」に意味づけをすることです。
「いいね」が多いから良いもの、少ないから悪いもの。
そのような罠にだけは陥らないようにしましょう。
5:終わりに
まとめます。
・「いいね」はただの数字だと認識する
・そのうえで、反応が気になるのは当たり前だと受け入れる
・目的ではなく、手段として「いいね」を用いる
・「いいね」の数はあなたの写真の価値を決定しない
沢山の「いいね」を目指すのが悪いわけではない。
SNS時代においては新たな機会に繋がるきっかけともなり得るもので、無視すればいいというものでもありません。
しかし、それは手段であって目的ではない。
このことは忘れないようにしてください。
本日はこのあたりで。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?