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明日の僕に風が吹く

 小説を読む目的は人それぞれだが、ひとつ共通していることがある。それは”他”を体験することだろう。人生はたいして長くはないし、なによりお一人様分しかない。この閉塞感を補ってくれるのが小説だ。
 乾ルカというストーリーテラーが私達を現実から連れ出し誘ってくれるその舞台は北海道の離島だ。これだけでもわくわくするが、物語を織りなすのは個性の光る5人の高校生だ。主人公は、ある事件で心に傷を受け”引きこもる”。理性とやさしさを備えた叔父さんが東京から離島への橋を渡してくれる。”未来の自分を想像してみないか”。”夢っていうのはないです”とうなだれる少年の背中を押す。
 少年は高校の仲間とビジネス実習をやったり新聞の取材を受けたりしながら成長する。物語は3月の最後の月曜日にはじまり2月末に終わるから期間としては長くないのに、少年は驚くべき変貌を遂げる。この希望に至るプロセスが、美しい、時に野性的な離島の自然とぴったり呼吸を合せる。著者は計算して描いているのだ。
 海に突き出る展望台で引きこもっていた高校生が見るのは、”宵闇の群青”を抜け出て壮大に展開するウトウの帰巣シーンだ。
 作者は5人の高校生に過去を語らせる。この青春の配列が絶妙だ。ミュージカルのコーラスラインを思い出す。島の住民と移籍組の溝は叔父さんの残した紙とテープにからめて展開し、少しずつ埋まっていく。そして、主人公は寒風の吹きすさぶ船上から、洋上に浮かぶ初日の出を見る。
 小説の全編に海の香がする。清冽な青、そして波の音が青春という不協和音と調和し、最後に読者は”波の型”を見ることになる。



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