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冷たいところからあたたかいところへ。

急に寒くなってきた。この間まで夏だったのが、一転して冬のような寒さを覚える。冷えてくると冬物を出してきて、あるいは新しく買ったりして対策する。人は「あたたかい」という感覚に幸せを覚えるからだと思う。
しかし「あたたかい」という幸せ感覚は身体感覚だけではない。むしろもうひとつの感覚のほうがポカポカ感を必要としていると思う。
それは「心」だ。

風の時代といわれるようになって数年が経つ。物質的な価値観から非物質的な価値観へと移行しつつある。まだまだ時間はかかるだろうが、今までのような物質的価値観は今後次第に崩壊しはじめ、見えないものへと価値観はシフトしていくはずだ。それは私たちの生活の中にも次第に浸透し始めているし、人々の意識も次第に変わっていっているのを感じている。
体が寒さや冷えを感じた時には即座に対応する。それはもう長年の習慣だし当たり前のようにできている。寒い場所や冷えを感じるところからはなるべく早く退散する。

では心が冷えた場合はどうだろうか?
人から言われた言葉や態度、自分が所属しているグループの環境、パートナーシップ、寂しさ、悲しさ、圧力、ネガティブな意識……これらはすべて心を冷やすものたちだ。
そこから抜け出そうとするよりもそれに耐えることが美徳といまだに思っていたり、それは耐えて当然と勘違いしていたり、それはしょうがないとあきらめていたりしていないだろうか?
体が冷えたらすぐに対応するのに、心が冷えても対応しないのはどうしてだろうか?体の冷え性より心の冷え性のほうが問題だと感じる。
結局はそれが自分で幸せを遠ざけている原因だとも思うのだ。

人は誰でも幸せになりたいと思う。幸せと感じる状態は人それぞれ違う。だから比較できるものではなく、これが幸せのかたちです、というモデルがあるわけでもない。人それぞれ感じ方が違う。隣の芝生が青く見える(自分が持ってなくて他人が持っているものがうらやましいと思う気持ち)というのはわかるが、人の顔や指紋が違うように、人それぞれの幸せに対する価値観は違うということに気づいたほうがいいと思う。
自分にとって、ということにフォーカスする。追い求めても手に入らないものだったらそもそもそれはあなたの魂が求める世界観じゃないのだ。早く目を醒ましたほうがいい。

心の感性を磨くことが求められる時代になってきた。
物質から非物質へと、今までは聞こえていなかった、あるいは無視してきた心の声を耳を傾けることがとても大事な時だと思う。
心の声は自分しか聞こえない。外に答えを求めたって答えはない。
情報に翻弄されてはいけない。
私たちは本気で「自分を生きる」ということを求められてきている。自分にとって「あたたかい」と感じるものを選択していかなくてはいけない。
身体感覚だけじゃない、心の感覚もポカポカするほうへとシフトしていく。
心があたたかく感じられるものを人は「愛」と呼ぶ。
一時的にあたたかいものよりも継続的にあたたかいものを探すこと。それはあなたの心が知っている。
心が冷たく感じる環境を責めるのではなく、それはあなたが自分で引き寄せているもの。そこから何に気づくかが大事なのだ。その環境が教えてくれているのは「そこはあなたがいる場所じゃないよ」ということ。
自分の心と向き合ってこびりついたしまった垢を洗わないとその感覚さえもわからない。まずは自然の中に出て行って、解放することからはじめてみるといい。
その場所から外れてしまうことが怖いなって言ってる場合じゃない。自分自身の妄想にやられていてはいけない。その妄想の外へと飛び出さないとこれからはもっと狭くキツく冷たくなってくる。あなたを救えるのはあなたしかいない。
他者にあなたの感覚なんて知ることはできない。自分自身で防寒対策するように、心もポカポカあたたかく感じる世界に自分で踏み出さないとダメなのだ。心の冷え性対策するとより世界はあなたを歓迎してくれるはずだ。

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