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「無価値」なものを書く

年上の友人と、山谷酒場で飲んだ。

学校や仕事の場で出会った人ではないので、話題は自然とプライベートに寄っていく。

私的な内容を私的な言葉で毎日ブログにつづり続けていたら、古い友達から「そのまま書き続けてくれ」と言われた、という話を聞いた。


自分や同僚、周囲の人たちが書いたものを、読む価値があるといかに思ってもらうかに心を砕くのが、僕の普段の仕事だ。だから、芸能人でもない自分のワタクシゴトという、どのように価値付けしていいか途方に暮れる類の内容を文章にするのはどうしても慣れない。
そもそも、この飲み屋でしているのも30男2人の恋バナとかである。実際この2人以外が聞いたらキツいっつーか、Twitterで実況中継したら「イタいおっさん」として炎上する可能性すらある類のやつだ。

加えて、mixi世代だった自分が10代から20代前半に書いていた「日記」を後から読み返した時のあの気恥ずかしさが、日常を垂れ流すことを僕に躊躇わせている。あの頃の日記は全て、自分以外には読めないように設定を変えた。


そんな風に言い訳を重ねる僕に、友人はハムカツをつつきながら、あなたが価値を見出だせない文章でも、それを心地よく感じる人もいるのだ、というような意味のことを言った。そしていたずらっぽく笑いながらこう付け加えた。「出会いだってあるかも知れない」。

思い当たるフシがない訳でもない。商業的な文章の読み書きを離れれば、僕が個人的に楽しみにしているのは
長谷川さんの日記であり(時たま挟まる意識高い感じのnoteでなく、いやあっちも読み応えあって好きだけど、日付が入ってる方だ)、
きくちくんの旅行や食に関する雑記であり(こんな文才があるって学生の頃に教えておいてくれよ)、
おしこまんのGRAPEVINEの歌詞をタイトルに引用した日記ブログである(ブログタイトルは年1回ぐらい変わる)。

ついでに言えば、10代の終わりから20代頭にかけて、生きる理由だってぐらい死ぬほど好きだった女性に惹かれたきっかけは、mixiに記された日記の文章があまりに美しすぎたことだった。


自家製ゆず酒の炭酸割りを飲み干した勢いで「俺もエモい日常を書き記してプロップスを得てやりますよ」と言った。「やっていけ」と友人は答えた。


情報はできるだけ無料であるべき、という思いを持っているので、全てのnoteは無料で公開予定です。それでも支援いただけるなら、自分と周囲の人の人生を豊かにするのに使います。