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光の円柱が病気を治した話

1993年にヨーガ講師の認定を受けた後、数年間はヨーガ三昧で過ごした。ヨーガの世界には「霊性修行とのハネムーン」という言葉があるが、正にその状態だったと思う。最初の熱病のような期間が過ぎた後も、アーサナ(ヨーガのポーズ)やプラーナヤーマ(ヨーガの呼吸法)の訓練を毎日続けてはいたが、関わり方は微妙に変化し始めていた。生活費を稼ぐために以前の職場に戻り、休日には大学の生涯学習やスポーツジムでヨーガを教えていた。

仕事に復帰してから数か月後のこと、それまでに経験したことの無い体調の変化に見舞われた。その症状が仕事に復帰したことによるストレスを原因としていたのか、霊性修行の過程で起こる何らかの症状だったのか、はっきりしない。初めは身体的な症状が主だった。変な脂汗が出て、運動中でもないのに脈拍が早くなる。血圧が異常に低い。疲れに対する制御が効かず、駅から自宅まで徒歩10分の道のりですら、途中で疲れ果てて動けなくなったりした。病院で精密検査を受けたが、原因は特定できなかった。

そのうちに精神的な症状が出始めた。それは軽い鬱の症状から始まり、数日後には理由の無い不安に襲われるようになった。心も体もバランスを崩しているのは確かだった。
鬱の症状が出始めてから1週間くらいたった時、今度は躁状態が加わり、15分おきに笑い転げたり、ふさぎ込んだりするようになった。気分のコントロールが全く効かない。仕事にならないので、しばらく休暇をとることにした。

両親ともまだ生きていた頃だったので、闘病中の母の見舞いを兼ねて実家を訪ねることにした。心配をかけたくないという思いから、できるだけ平静を装っていたが、行動は完全に変だった。家族と出かけたレストランでも、席に案内されるまでの数分間を待っていられない。落ち着き無く動き回りながら、このまま気が狂って、正気の世界には二度と戻れないのではないかと考えたりした。

その夜、横になったときに体がふわっと浮き上がるような感じがした。
その感じはインドを旅行していたときから度々経験していたので、あまり気に留めなかった。しかし、次に感じた感覚は、これまでに全く体験したことのないものだった。体内が真空状態になり、子宮の入り口のあたりから胸に向かってギューッと内臓が吸い込まれるような感じ。ヨーガの行法のウッディヤーナ・バンダ(息を吐ききってから胸の上部を膨らませることによって、下腹部を真空状態にしてへこませる)に似ているが、もっと非常に強い力で吸引されているので、まるで体内に掃除機でも入っているような感覚だった。

ふと目を開けると、天井から斜めに差し込む光の円柱が見えた。
それは、直径25cmくらいで、斜め上から私の下腹部に向かってまっすぐに降りていた。円柱の中は、金色に光る無数の小さな粒子で満たされており、それが私の体の中にどんどん注ぎ込まれて行くのだった。

しばらくすると内臓が吸い込まれる感じは消えたが、光の円柱は一晩中同じ位置に留まり、光の粒子は、ゆっくりと私の体の隅々までを満たしていった。

翌朝、外が明るくなる頃に光の円柱は姿を消した。そして、驚いたことに、私の病状は一晩で回復していた。それまで数ヶ月にわたって様々な身体的、精神的な症状に悩まされてきたのが嘘のようだった。

不思議だったのは、その夜、実家で飼われている猫が、私の下腹部に一晩中乗っていたこと。光の円柱が降りている、ちょうどその部分に・・・である。

その猫は、普段は決して私に近寄ろうとしない。以前、私の飼い猫を連れて実家に帰省したことがあり、初対面だった二匹の猫が大ゲンカをしたのである。それ以来、実家の猫は私を天敵だと考えているようだった。光の円柱を分け合った(?)のを機会に仲直りできるかと期待したが、それは少し虫が良かったようだ。私はその後もたびたび実家に戻ったが、彼女が私のそばに来ることは二度となかった。

光の円柱を体験してからしばらくの間、私は以前とは違う方法で判断し、行動していたように思う。まるで、情報の回路が新規に加わったようだった。短期間の「神がかり」だったも言える。例えば、その日にどこに行くべきかという情報が頭の中に直接やってきたことがあった。電車に乗ってその駅まで行くと、知人に偶然出会ったりした。また、他人の考ていることが分かるという現象も起きた。腹黒いことを考えている人を見抜けると言う点では、確かに便利な能力ではある。同時に、自分と他人との境界が普段よりも曖昧になっていたため、対人関係で少々問題が生じた。というのも、人は自分の本当の気持ちに気付いていないことが多いし、本当の気持ちを指摘されることを怖がるものだからだ。しかし、そのときの私は、自分と相手との明確な境界を失っていて、相手の気持ちにはお構いなく、巧妙に隠されている本当の感情を言い当てたりした。相手が不快になるのも無理はない。

幸か不幸か、時が経つにつれてその新しい回路の影響力は小さくなり、1ヵ月後には普通の思考回路で判断するパターンに戻ってしまった。そして、他人の考えが読める能力も、徐々に失われた。

疾患がこんな風に治ることも有るなんて、自分で体験しなかったら、おそらく信じられなかっただろう。結局のところ、人間の知識なんて小さな範囲でしかないのだ。この宇宙は、理解を超えた不思議な現象に満ちている。


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