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ごはんについて書くための習作53

私は今、蕎麦屋にいる。蕎麦屋でなくても瓶ビールを注文すると、手に収まるくらいに小さくて少し背の高いグラスが用意されるのは、酒を飲まないものであっても見たことがあるだろう。一杯目は泡が立ち過ぎないよう左手に瓶を持ち、右手でグラスを少し傾けながらビールを受ける。
ビールを飲みながら文庫本を読む私にはちょっとしたコツがあって、二杯目以降、ビールを継ぎ足すときにはグラスを全くの空にせず、1/3から1/4ほど残した状態で継ぎ足し始める。その際はグラスを机に置いたままでよい。片手は文庫本を抑えたまま、反対側の手で瓶を持って注ぐのだが、これくらいビールを残しておくとグラスを傾けなくとも泡が立ち過ぎないのだ。残し過ぎてもいけない。グラスに入ったビールは瓶に入った状態よりも温くなってしまうので、泡を気にする前にそもそもの味が悪くなってしまう。

「人」のことを「もの」と書くことを蕎麦屋文体と試験的に呼ぶ。

今日の文章はiPadに純正のキーボードを付けて書いている。mac用に開発したテキストエディタ「stone」のiPad版の開発が進んでいて、iPadで書かないことには有益なものにはならないだろう、と。ただ、自宅ではなく、コンセントの用意されているようなカフェでの執筆を真似る方が体験としては正しいのかもしれない。

11:30からのミーティングを終え、夕飯に使うため、釣りたてを冷凍していたマダコをジップロックごと水につける。冷凍してから塩揉みすると簡単にぬめりが取れる。帰ってくる頃には解凍されているだろう。タコ唐揚げにする予定。

昼食を取ろうと玄関で靴を履いたところで、マスクを持ってないことに気づく。ウェストポーチのポケットを探すが無いことは分かっていた。
外にでた。12:00。日差しが強い。この強い日差しを流せるのは標高1,000mを超えた渓流か、ビールしかない。蕎麦屋に向かうことにする。

ここの蕎麦屋は味も良いが、働く人たちの感じが良い。そのうちの一人、小柄な40代くらいに見える女性がいるのだが、とても気さくで、幼少期にこんな人が親だったら私も快活な人間になっていただろうな、と来るたびに思う。我が家は物静かな家庭だった。ただ、物静かな私の息子が、朝起きてから寝るまで喋り続けているのを4年も見ていると、魂や前世の存在を感じざるを得ない。

注文は瓶ビール、板わさ、めかぶとろろ蕎麦。細打ちうどんにしようとしたが今日は品切とのこと。運ばれてきた瓶ビールの一杯目をグラスに注ぐ。置いた瓶のラベルを自分の方に向けようと瓶をひねると、瓶底の凸凹と机の天面が擦れて音が鳴った。

板わさは真っ直ぐに切らず、タコ刺しのようにギザギザと包丁の刃を揺らして切ってあるのが嬉しい。ビールの残り具合を見計らって蕎麦が運ばれてくる。飲みながらやるにはキッチン近くの席に座るのが良い。細い蕎麦の上に、同じくらいに細く刻まれためかぶ。その上にとろろが乗り、真ん中の窪みには黄身が落とされてた。

食べ終わろうというタイミングで蕎麦湯が運ばれてくる。蕎麦猪口も別に用意されている。まずは口の中を整理するために薄めに作る。その次に少し残しておいたビールに合わせるために濃いめに。ビールを飲み終えた後、お茶の代わりにもう一度、薄く作った。

店内は平日にしては賑わっていて、細打ちのうどんのようにいくつかのメニューは無くなっているようだった。私が帰ろうとする頃に常連と思われる白髪の女性がやってきた。メニューも見ずにキッチンへ直接注文を伝えている。そのメニューも最後の一つだったらしい。それを聞いた女性が小さくジャンプしたので、この人も快活だなと思った。

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