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コロナと私のお話。曖昧さの中を歩いていく。

やさころです。
法政大学は、8月1日から夏休みになりました。(まだレポートは残っていますが。。)この春学期は本当に自分にとって良い意味でも悪い意味でも怒涛の日々でした。そんな大学3年生の中間地点に差し掛かったところで、この約半年間の私の経験したことや思いをここに残しておこうと思います。
3月頃から猛威を奮いだしたコロナウイルスはきっと教科書に残るような衝撃的な出来事になるのだと思います。まだまだ収まる気配はなく、第二波も心配されていますが、焦っていても仕方が無いので、変化にすっと対応できるように日々アンテナを貼って情報収集していこうと思います。今回は少し長いかもしれません!暇な時に、興味のあるお話だけでも覗いていってくれると嬉しいです( ´ ꒳ ` )
そして、ぜひコメントも待っています!このコロナ期間、いろいろと苦しいこともたくさんあると思うのですが、できるだけ前向きにマイペースに私も読んでくれているあなたも過ごしていければいいなあと思っています。

1,グローバルデイと私。曖昧さの中を歩いていくということ。

1月のおわり。冬休みもおわり、新年の目標を立て、今年はどんな1年になるかな〜とわくわくしながら過ごしていた。そんな時ふと目に入ってきた、中国で発生したコロナウイルスが武漢で蔓延してるとのニュース。衛生環境はちゃめちゃな中国でウイルス発生か〜終息させるの大変だろうな〜とまあ呑気に聞き流していた。完全に自分とは無関係な問題だと捉えていた。それがだんだんと日が経つにつれ、状況が悪化してきた。2月に入ると、ウイルスはたちまち世界に飛び散り、あちこちで感染者が増えていった。でもまだこの時の私は普通に電車にも乗るし、居酒屋で友達と飲むくらいに危機感はほとんどなかった。しかし、3月に差し掛かると、欧米を中心に医療崩壊を起こすほどの感染爆発が起きた。ようやく私は事の重大さに気づき始めた。もしかしたら日本でも同じような事が起こるかもしれない。そうなったら大変なことになる。ここでようやく遊び・バイトを全てキャンセルした。
しかし、まだそれでも5月開催予定のグローバルデイが中止になるなんて想像はできていなかった。(あっ、グローバルデイというのは、毎年5月に法政大学で開催される大規模なグローバルイベントです。詳しくはこちら▶️http://www.global.hosei.ac.jp/programs/oncampus/globalday2019/)
私はこのグローバルデイというイベントの実行委員長をしており、10月から準備を進めていたのだ。柄でもないリーダーというポジションを不器用ながらも、5月の開催までは第1優先で多くの時間と労力をかけようと覚悟を持って務めていた。

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グローバルデイができなくなるかもしれないという危機感を抱き始めたのは3月中旬頃。日本での感染者が増えるにつれ、相次いで様々なライブやイベントが中止になっていくのを目の当たりにした。これはもしやグローバルデイも危ういのでは、、。そんな大きな不安が一気に自分にのしかかった。グローバルデイをどのような形で開催するのか、もしくは正式に中止にするのか、本格的に考え始めなければならなくなった。幹部会議で何度も話し合った。現地開催は無理でも、オンラインで開催できるかもしれない。いや、大学側ももうグローバルデイどころではない、中止にしよう。様々な意見が飛び交った。この時はかなり苦しかった。自分がこのイベントでやりたかったこと・開催に向けて立てていた計画が目の前で崩れていくのを感じた。それだけではない、先の見えない問題から幹部の結束は乱れ、他のメンバーのモチベーションも下がり続けていった。この先コロナウイルスがどれほど日本で猛威を振るのか、いつになったら終息するのか、誰にも分からなかった。もちろん私も何が正解なのか分からず右往左往してしまっていた。予測不可能で全く先の見えない道の中、決断をしていけるほどの技量と自信を持ち合わせていなかった。計画が総崩れになり、かつ幹部間との意見相違による亀裂を目の前にした時、どうしようもない無力感が沸き起こった。結局グローバルデイは大学の職員さんとも相談した結果、中止となった。自分はその期間、最大限努力を尽くせたか・変化に対してすばやく行動できたかと言われればはっきりイエスとは言えないと今振り返ると思う。目の前に広がる辛い現実から逃げた時もあったし、その結果決断が遅れたりもした。でも、先の見えない曖昧の中でやり抜くという初めての事に、試行錯誤したプロセスは多くの学びと発見があったことは間違いない。
この時に思ったのは、「あぁそっか、世の中に完全なんてないんだなあ。この先もっと曖昧で不確実な世の中を歩いていくんだなあ」ということだった。何か目標を達成したい時には、計画を立ててこなすことが自分にとっては当たり前だった。受験の時も、合格に向け逆算して計画を立て続けた。少し前まではこのやり方でも大体のことはうまくいっていた。しかし、どうもそんな予定調和にはうまくいかないことが問題が複雑になるにつれて多くなってきた。達成する目標が複雑化してきたり、変化の多い状況下であるほど、計画通りには進まない。変化が激しいということは、未来の完全な予測は難しいということ。今後どうなるのかが不透明で曖昧であるということだ。そんな時、曖昧な状態に慌てふためくのではなくて、その曖昧さと上手く付き合っていくことが大切だ。そうやって状況に応じて上手く適応しながら、すばやく決断をし続けていけるのが理想だ。それは、とっても完璧な計画を立ててそれを実行していくことよりももっと重要な事だ。もちろん計画を立てることも必要だが、計画はいつでも変わりうるという覚悟とそれに対応できる柔軟な思考と行動力は持ち合わせておくことが大切なんだとこの経験を通して痛感した。

じゃあどうすれば周りの変化に柔軟に適応できる?具体的にどんな技量が必要?

その答えはまだ自分の中ではっきりとは見つけられていないが、いろんな変化を予測したり、様々なシュミレーションを考えておくことは重要だと今は思っている。これは、いざ目の前の状況が変わった時に慌てふためくのではなく、変化に驚くことなく柔軟に、スピード感を持って動いていくためである。グローバルデイは4月に中止が決定したが、このままコロナの暗い渦に呑まれて後悔はしたくないという思いが強くなっていき、このコロナをむしろチャンスに変えていくことはできないだろうかと考え始めるようになった。そして、そんな思いに賛同してくれた、全実行委員の10名とオンラインイベントとして新たな企画を作るという新しい挑戦をすることとなった。趣旨をまたゼロから考え直さなければならないし、資金も実績もないところからのスタートとなった。この先の見通しも不透明な部分が多い。またどうしようもない不安と無力感に襲われるかもしれない。でも、そんな中でも曖昧で不安定な状況と向き合いながら、前向きに、少しゆとりを持って前に進んでいこうと思って約2ヶ月後に迫るオンラインイベントに向けて動き出していった。

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2.オンラインイベントへの挑戦と体の不調。

5月に差し掛かり、オンラインイベントのミーティングは全てリモートのオンラインで行われ、授業も全てオンライン授業へと移行することが決定した。本格的に、ステイホームでのオンライン生活の始まりである。このオンライン生活の中で私なりの気づきはたくさんあったが、主に①オンライン上でのコミュニケーションと②思考と感情の関係性 の2つのお話を中心にしようと思う。
初めの方はかなり好調であった。オンラインで全てが済むようになってから、時間・お金・労力が以前に比べほとんどかからなくなり、物理的にはかなり便利になっていた。さらに、ミーティングでも対面で会って話すより、プロジェクトの進行がスムーズに早くおわることが多くなっていた。オンラインの方が、いろいろとやりづらくなるものだと勝手に思い込んでいたが現実は意外とそうでもなかったのである。しかし、だんだんと違和感や体の不調が出始めてきた。まず、オンライン上での人とのコミュニケーションについてである。Zoomでのオンラインミーティングは、必ず何か目的があって行われていた。その日の目的やアジェンダが共有され、タイムスケジュール通りにこなすことを繰り返す。そこでは、関係のない話や特に目的もないたわいのない話を誰かとすることはほとんどなかった。オンライン上でのそのような人とのやり取りを通して、プロジェクトやミーティングの議題は効率よく進んでいたのだが、人と人との関係性はほとんど前に進んでいないということに気づいた。このことに気づいたのは、オンラインイベントを10人のメンバーと作っていた時であった。時間も余裕もない中でやるべきタスクは溜まっていた。しかし、その時に私は他のメンバーに頼ってタスクを振ることができずにいた。それは、実はメンバーのことをあまり知らなかったために信頼関係が構築されておらず、任せてこなしてくれるという期待ができなかったことが大きくあった。表面的には、なんとなく上手く進んでいるように見えても、実は私とメンバーとの関係性はほとんど進んでいなかった。それは、ミーティング後になんとなく雑談したり、ご飯を食べに行ったり、そんな目的のないコミュニケーションがほとんどできていなかったからではないのかと思った。議論や討論といったコミュニケーションは効率よくできていたが、雑談や対話の時間は対面時と比べ減少していた。一見そのような目的のないコミュニケーションは意味の無い時間に見えたが、実はそれが人と人との繋がりや関係性を深める大切な時間だったのかもしれない。
そして、2つ目は感情と思考の関係性のことである。そんなこんなでやるべきタスクが溜まっていき、先の見えない不安を抱え込んでいるうちに、私は6月頃、ずっと軽い風邪が長引いているような感覚に陥っていた。体が常に重く、だるくて何に対してもモチベーションが上がらず、今まで当たり前にこなせていたことができなくなってしまっていた。それでも、そんな状態を認知して受け入れることはなく、ただ全て自分に責任があるとして根性論で乗り越えようとしていた。しかし、そのスタンスはどんどん悪い方向へと傾いていった。そうして限界になった時に、初めてこのままではまずいということに気づき、信頼できる人に頼って助けられながら
ようやく自分の現状と向き合い始めることができた。今、事後的にその時の経験を振り返っていると、自分の感情(本能的な身体反応、本当のメッセージ)と思考がうまく繋がっていなかったのだと思う。自分の感情に無意識に蓋をして、自分の都合のいいように思考をしてしまっていた。体は休息と少しの余裕を生活の中に求めていたはずだったが、その時は休むことが逃げることだと思っていて思考がそうさせなかった。自分の心の本当のメッセージを受け取ることは、自分が健康的にそして前向きに過ごしていく上でとても大切なプロセスなのだと感じた。きちんと自分の身体反応や感情と向き合い、その上で思考して行動することがコロナ下で健康的に過ごすことへの第1歩なのだと痛感した。

◎オンライン上では人との繋がりをより深める「対話」や「雑談」のコミュニケーションを意識的に取り入れていこう

◎健康的な生活を送るために、感情と思考の関係性をよくしよう

3.コロナを巡る分断と葛藤。

そして、最近ではオンラインイベントがおわった7月頃から、「対話を通じて、自己理解、他者理解を深め、他者との共創をデザインする」ことをテーマにしたプログラムに3ヶ月間参加している。(詳しくは▶️https://cmc-tokyo.set-hirota.com/dialog-course/ )

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そこで、「コロナ対策をどこまでしていくか」というテーマで対話する機会があった。そこでは、徹底した管理と3密対策をしたい人とそこまで敏感にコロナ対策をしなくていいと思う人との2つの意見に分かれていた。お互いにきちんとした根拠は持っている。(ちなみに私の今の個人的な思いとしては、きちんと3蜜を避ける対策は行いつつ、少しずつ外出することは良しと思っている)
これは私の身近なところだけではなく、様々なコミュニティの中でも生じている問題なのではないだろうか。ネット上でも自粛をしっかりするべきという人とそうでない人との意見が対立し合い、互いに否定し合ったりする場面も何回か見かけた。コロナウイルスを巡る議論は様々なところで起こっており、あちこちで分断が起こり始めているように感じる。コロナがこの先どうなるのか完全な予測も難しいため、誰の意見が1番正しいのかも決めにくい。お互いの意見を尊重し、理解していこうとすることが理想だが、コロナの問題は命に関わることでもあり、非常に必要性の高い話題の人も多くいる。そんな中で、お互いの意見を理解し、前に進めていくにはどうすればいいのだろうか。こんな時に「対話」がとても役に立ってくるのではないだろうか。コロナのような必要性が高くて大事なテーマになると、どうしても自分の意見が正しいという過度な思い込みが生じてくる。私自身もそうであった。そうすると、異なる意見にぶつかったときに、どうしても受け入れられなかったり、無意識に相手の意見を打ち負かそうとしてしまったりする。そんなコミュニケーションによって答えを出せたとしても、相手との関係性はどうなるんだろうか、みんなが納得いく形になっているのだろうか。こんなテーマだからこそ、もっとお互いの考えを理解することに意識を向け、物事に様々な意味付けをしてみることを大切にする「対話的なコミュニケーション」を意識してみようと思った。自分の意見を持ちつつも、相手の話を傾聴して、その人の意見の裏にあるものを理解しようとする。そんな風にしてこの問題を捉えただけでも、自分の意見を一歩遠ざかって見ることができたし、相手と私の考えの理解も深まっていった。そうした過程があっただけで、相手に対する言葉遣いや自分の思考のプロセスが少しずつ変化していくのを感じた。相手の意見をまずは受け入れ、理解する。そういったコミュニケーションが様々な話し合いの中で意識できれば、お互いの関係性を深めながら話し合いを進めていくことができるのだと痛感した。

4.最後に。VUCA時代の中で「自己決定」をしていこう。

この半年間、コロナウイルスによって様々なことが変化し、私自身もその変化に適応しようともがいたりした時期であった。オンラインイベントの挑戦や体の不調、コロナによる問題解決までの葛藤。。全てしっかり向き合って解決できたわけではなかったが、少しずつ前に進み、そこから感じたことや学んだことは数多くあった。最近では、「Afterコロナの生き方」や「ニューノーマルの時代」などと言ったコロナに関する情報は溢れかえっている。もちろん、こういった最新の情報を収集して様々なものの見方を獲得することは大切だが、やっぱり最終的には「自己決定」する力が1番重要になってくるのだろうと思っている。コロナによって、働き方は決まった場所で働くこと以外にも多様なワークスタイルが模索され始めたり、大学生もオンライン授業に切り替わったことで過ごし方は様々で個人に委ねられている。そんな多様な選択肢がある中で、どうこの状況に対応して、どんなキャンパスライフを過ごしたいのか、自分の価値観・考えを1つ1つ理解していきたい。
ある意味、既存の常識が本当にそれで良かっのか?と本質的な問いについて考えるきっかけにもなっている。もう後戻りはできないし、かといって何か一つ決まりきったニューノーマルがあるわけでもない。受け身で事態が落ち着くのを見て待っているスタンスから、このWithコロナ時代を私はどう生きていくか、自分自身のノーマルを見つけ、自らその方向にリードできるような人になれるよう夏休みも試行錯誤を続けていこう( ¨̮ )︎︎

おまけ。#乳製品を買おう というハッシュタグにもやっとした話

以前にTwitterでこんなハッシュタグを発見した。
#乳製品を買おう
このハッシュタグはどうやらコロナウイルスの感染拡大を防ぐため、全国の小中高校が臨時休校となった余波で、給食用の乳製品の一部が行き場を失っているらしい。そんなこんなで、ネット上では「乳製品を買おう」という呼びかけが高まっているとのこと。なるほど。多くのTwitterアカウントがこのハッシュタグを付けて、大量に乳製品を買っているツイートを目にした。

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まじかああああああ。おいいいい。

乳製品とは、その名の通り動物の乳、特に牛乳を加工して作られる製品のことである。そう、牛乳。牛乳は牛🐄から出る。牛のげっぷやおならからは地球温暖化の要因を引き起こすメタンが大量に排出されるのだ。(メタンはCO2の25倍温暖化する能力がある😥)いやいや、たかがげっぷやおならだけでそんな排出しないでしょwって思った人!!もう少し分かりやすく言うと、牛肉1kg食べるごとに、車で100km走るのと同じ量の温室効果ガス(温暖化の原因となるガス)が排出されると言われている。牛はめちゃくちゃ環境に負荷を与えているのだ。

この人たちはそんな事情は知らずに、このアクションはいい事だと思って行動している。別にこの人たちを責めたいわけではなく、単純に少し怖いと思ったのだ。というのも、この人たちは行き場を失った乳製品を扱っている人達をただ応援したいという気持ちで動いてる。でもそれが実は自分たちの住んでいる地球を破壊することに加担している。
良い事だと思って起こしたアクションが、時に目に入っていなかったセクターに悪影響を与えることってあるんだよなあ。
ちょっと立ち止まって、自分の行動によってどんな影響が及ぶのか、プラスとマイナス双方の影響を考えてみることって大切だなと改めて思った出来事だったのでした。

#やさころのもやもやトーク

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