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非常事態から常態(ニューノーマル)へと前進していく

こんにちは、やさころです。
いつもよりちょっとスローな夏休みが終わって、秋学期が始まろうとしている。
これからまだまだ続くWithコロナ生活。そこにどんな壁があってどう向き合っていくのかなあと考えてた矢先、先日のゼミの時に、有名なサンデル教授のトロッコ列車のお話が話題になった。

あなたはブレーキの効かない暴走する路面電車を運転しているとする。
すると前方に5人の作業員が現れ、このままいくと電車は5人をひき殺してしまう。
一方、電車の進路を変えて退避線に入れば、その先にいる1人の人間をひき殺すだけで済む。
さて、あなたならどうするか。
仮にここで5人をひき殺ろす選択をあなたは取るとする。そうするとおそらく、多くの人がその意見に異を唱えたり、批判したりするかもしれない。
しかし、その1人があなたの両親や大切な人だったらどうするだろうか。
直進することを批判する人はいないだろうし、私もその選択を到底否定できない。
今の不確実な世の中を生きていくということは、こういった選択の連続なのだと最近思う。

全ての事象は一長一短で、複雑な利害関係や事情が存在する。選択肢は無数にあって、どれがどの人が正しい/正しくないは決められないことの方が多い。

こういう瞬間は、コロナとの向き合い方を考える時によく起こった。
5月に緊急事態宣言が解け、コロナとどう向き合っていくのか、自分でも組織でも決めて進めていく必要性が高まってきている。
実際に、私が6月から参加させて頂いていたcmcというオフラインで活動する団体の中で、
「コロナ対策をどこまでするのか」という話題が上がった。「マスク着用を強制するのか」とか「オンラインでも参加できるようにするか」とか。緊急事態宣言下の世の中は自粛が当たり前で、こんな話題は上がりづらかったけど、解除された今、どうコロナと向き合うかは意見が分かれる時がしばしばある。
慎重に対策したい人。よく分からない人。気にしすぎない人。
1:6:3くらいの割合だったかな。よく分からない人は、対策をもっとしたいマイノリティの人に味方をするわけでもないから、結局敏感になりすぎなくていいというマジョリティの意見が優勢になって、マイノリティの人はなんとなくその場に居心地の悪さを感じるようになった。
意見を持たない(持てない)が、気付かぬうちに同調圧力わマイノリティの居づらさを生み出している感じがした。

人によっては命に関わる非常に重要性の高い話題。ときどき意見は激しくぶつかり合う。
どんな対応が1番正しいのか、予測することは難しいしどれが正解なのか断言することなんてできない。それぞれが自分の正義を持っていてどの意見も筋が通っていて間違いではない。

議論は白熱し、なんとなくその場の雰囲気は悪くなっていった。きっといつの間にか議論は「ルール」から「人」にフォーカスした話になっていたのかもしれない。対策をどうするかの「システム」の話ではなく、あなたは楽観的すぎるとか敏感すぎるとか「人格」をどうこう言う話にまで発展していたように感じる。

初めは構造そのものやシステムを批判しようとしていたはずなのに、気づけば自分と異なる意見を持つ”人”自信のことを批判的に見たり、否定したりしているのだ。だけど、トロッコ列車の問題のようにどれが正解という訳では無いわけで、そうであれば人を批判的に見ることはできなくなる。同じように、自分の意見も絶対的なものではない。

私は、心理的な安全が保たれた場にしたいという思いが強くて、不安な人がいるのならできる限りの対策をしてほしいという強い思いを持っていた。だから、対策をそこまでしなくていいという意見にはなかなか頷くことはできない。
少しずつ周りの意見が見えなくなってきて、でも自分の意見に集中しすぎていることを冷静なもう1人の自分が気づき始めた。

時々、自分の正義を振りかざしすぎた時、怖くなることがある。自分にとっては絶対的に正しいと思っていて、だから周りに批判されると不快になるし、この自分の正義を認めて欲しいと思う。でも、ふとした時にとんでもない価値観の押し付けだと気づく。

この議論の間も無意識にそういったことを考えていて、その意見は間違い・正しいのジャッジをして思考していたのだと思う。

結局、この話し合いの結論はあいまいなまま終わった。

やっぱり日々の選択や世の中の課題は常に複雑にいろんなものが絡まっていて、これが正しいなんて言えるものはほとんどない。
でもそれは、「だからなんでもok」っていう話じゃない。そんな無意識や無関心は気付かぬうちに悪い方向へと導いてしまったり、マイノリティが排除されていくことに加担してしまうかもしれないから。

私たちはできる限りの声を聞いて、見て、考えることを辞めないで、より良い選択をしていくしかない。

でもその選択は誰かにとっては不都合になったりもする。全ての事象は一長一短だから。
そんな人の声も忘れないように、選んでいくしかない。

前の生活に後戻りはできないし、緩やかに続くWithコロナ生活は自分・組織が答えのない選択をしていく瞬間の連続なのだろう。
自分の正義を持ちつつも、できる限り“誰一人取り残さない”選択をしていこう。
綺麗事に聞こえるようなこのことを少しずつ私とあなたで当たり前に変えていきたい。

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