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#今できることを 「花街・お茶屋さんへの取り組み」について

こんにちは、彌榮自動車note編集部です。

今回は社会全体に劇的な変化をもたらしている新型コロナウイルス感染症、そのなか「彌榮自動車だからこその『今できること』」として6月24日に発表した「花街(かがい)・お茶屋さんへの取り組み」についてお話しさせていただきます。

「ヤサカ」の社名は、まだ自動車が珍しかった大正時代に祇園一力亭の専属ハイヤーを走らせた合資会社 彌榮自動車部に由来します。合資会社 彌榮自動車部を母体に戦時体制で傘下とした京都市内の全てのハイヤー会社を統合して、1945年(昭和20年)に現在の彌榮自動車株式会社(ヤサカグループ本社)となりました。

創業以来、花街のみなさまに身近な存在として日頃からご利用いただいております。芸舞妓さんをお座敷にお送りする仕事を「おふれまい」と呼び、京都を基盤とするタクシーハイヤー会社としての「おもてなしの原点」として大切にしてまいりました。

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そして今回... 新型コロナウイルスの感染拡大による甚大な影響が広まるなか、「こんなときだからこそ、花街のみなさんに心を込めたお手紙を!」粂田副社長の一言からこの取り組みはスタートしました。

やむを得ぬ休業状態でご苦労されているお茶屋のみなさまにお手紙を届けるにはどうしたら良いのだろうか? お世話になっている方々に漏れなくお届けするには??... そこで私共の思いを五花街のお茶屋組合のみなさまにご相談させていただきましたところ、快くご協力いただき、この取り組みを実現することができました。厚く御礼申し上げます。

報道機関のみなさまから「花街との古くからのご縁を示す資料があれば…」と問われ、祇園甲部さまがご準備下さったのが「都をどり」のパンフレットに記載された弊社の広告でした。

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1961年(昭和36年)の「都をどり」のパンフレットに掲載されているのがこの彌榮自動車祇園営業所(現:ヤサカ祇園ビル)の写真。当時は芸舞妓さんがこの営業所までハイヤーに乗り込みに来られてこの場所からお座敷や会場に出発しました。まさに京都のタクシーハイヤー会社としての「おもてなし」の原点、「おふれまい」の風景がそこにありました。

ヤサカとのさまざまな出来事を“ご自身の思い出話”としてお話し下さる花街のみなさまに心より感謝申し上げます。引き続き、何卒宜しくお願い申し上げます。

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今回も少し長くなってしまいましたが、お話はここまでにさせていただきます。

それでは、また次回のお話までお楽しみにお待ちください!

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