政治家の不甲斐なさを嘆く父に苦言した自分が今は父と同じことを言うのよね。
まだ若い時に還暦をすぎた私の父が、頻繁に報道される政治家の不正やスキャンダルに対するずる賢さ満載の、のんべんだらりの答弁に腹を立ててかしきりに政治腐敗や、政治家のだらしなさ不甲斐なさを詰っていたのですね。
たまに帰ってきた実家の夕飯時に、そんな父の小言みたいななじり声に、相づちを適当に打ちながらも、なかなか終わらない話を打ち切ろうとして、父に苦言を呈したことがしょっちゅうでした。
父にしてみれば、やっと自分の意見を聞いてくれるような年頃の大人になった息子と、大人同士の語らいを持てることがうれしかったんだと思う。
でも当時の私はそんなことに思いが至らず、せっかく久しぶりの食卓を一緒に囲んでいるのに、もっと楽しい話題にしろよ、なんて思いながら適当な相づちしか打たなかったんです。
そんな私の関心を引くように、いろいろと自分の意見を交えながら、どちらかというと無口な父が、そのときだけ雄弁に私に語りかけてくるのです。
それがひとり暮らしをしていた父にとっては、久しぶりに語り合う息子との嬉しい会話だったんだと、今では分かるのだけど当時の私はそこまで考えが及ばなかったんですよ。
というか、父の嬉しさには気づいてはいたと思うけど、父の心象にまで思いが至らなかったと言うほうが正しいかも知れませんね。
そんな父に対して、もういい加減にしろよと、痩せ犬の遠吠えみたいなことを言うなよと、酷い言葉を浴びせかけてその話題に蓋をすることが多かったんですよね。
話の接ぎ穂を失った父が、決まり悪そうに無言になったままで、残りのご飯を食べる姿が今も目に焼き付いているんですよね。
18歳で家を出てから一緒に暮らすこともなく、所帯を持ってそれなりに社会人として会社に勤務し管理職として人の上に立つ立場の息子に対して、日雇い職人の父は何を話題にすれば良いのか、きっと分からなかったんですね。
大人になった息子と、何を話題にすれば良いのかわからずに、テレビで流れている政治家の不正やスキャンダルに、話題のタネを見つけていただけだったんだと思います。
もちろん誰と話すこともなく、ひとりぽっちで暮らす父にとっては、テレビの画面と会話することが日常だったんですね。
だから、息子との会話の話題にするのも、いつものようにテレビで流れているニュースの話題にならざるを得ないのです。
そんなことに当時は気がつく余裕がありませんでした、私は。
父の1人語りにトドメを刺すような、きつい言葉で話題を断ち切ったあとの気まずい雰囲気の中で、私は父の様子をちらちらと盗み見しながら後悔するんですよね。
あぁ・・・言わなきゃよかった・・・。
せっかく里帰りで一緒に食卓を囲んだのに、気まずい雰囲気をつくってしまって申し訳ない、そんな思いから適当な話題を過去の思い出から見つけ出しては、父を傷つけた詫びのつもりで会話をつないでいましたね。
そういう時間を過ごしたあとに、泊まらずに帰って行く私を、道路まで見送る父の姿がやたらと切なくて、哀しくなってくるんです。
そんな父の思い出を書いた記事もあります。
今振り返ってみると、あの当時に父に苦言を呈した政治の話題を、この私も夫婦の会話の話題にしていることに気がつくのです。
この年になって、父と同じ年齢になり、父と同じような事に義憤を感じている自分・・・。
幸いにというか、人から見たら不幸に見えるのか分からないけど、私たち夫婦には子どもがいない、だから、息子に叱られることもないのです。
この年齢になって思うこと、あの当時の父は、どんな思いで私と向き合っていたのだろうか・・・。
もうこの世にいない父に対する詫びの言葉は、口に出したところで意味を成さないけど、ただひとつ間違いないことは、父を、当時の父の姿をいつまでも忘れないこと、それが詫びになり供養にもなるということだ。
人は、人の心を傷つけるたびに、自分の心にも傷を付けるらしい。
そんな埒もないことを思う日。
ってことで、今回は
「政治家の不甲斐なさを嘆く父に苦言した自分が今は父と同じことを言うのよね。」という回顧話でした。
イラストはqnimaruさんの作品です。
では!
なつかしく 父のおもかげ のほほんと。