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通訳 (その1)


     1

〈村〉ぜんたいが松明になったような、前夜祭の狂騒もおさまり、静まりかえった浜辺にうち寄せる波の音とともに、潮風に砕かれた雲が赤紫に染まりながらふき流されていくと、いよいよ〈まつり〉の日がやってきた。
 昨日まで見たような、厚くたれこめた灰色の雲が、じょじょに明るくなってくるという朝ではない。一年に一度きり、特別な、〈まつり〉の日の朝だ。そして、きみがはじめて知る朝でもある。

 地上には、じぶんの知らない世界があり、知らない朝がある。それを見たくて、ここへやってきた。〈都市〉とは違う世界のあることを、まだこの地上に生きのびてある〈村〉のあることを、知識としてでなく、経験として知るために、荒野の地下三千メートルに残る廃墟から、使用回数の限られた「エレベーター」に引きあげられて、荒野と、湿地と、砂漠と、山脈を超える、長く過酷な旅の果てに、一週間前、ここにやってきた。――そんなことを、昨夜、きみは〈通訳〉に語った。

 いま、その〈通訳〉を抱えて、宿を出たきみは、砂浜を眼下に見る堤の上に立って、願ったとおりの朝を見ている。

 砕かれた雲を赤紫に染めていた空は、きみが見守るうち、ゆっくりと炎のようなオレンジ色に変化していく。真っ黒だった海が灰色と白のまだらもようになり、闇にまぎれていた沖の〈鳥居〉と、その周囲を泳ぎまわる〈醜男〉たちの〈祭船〉をはっきりと映しだす。
 鼻腔にすべりこんでくる潮の香り、命のにおい。
 ざあん、ざあん、遠くから響いてきて、潮風とともに周囲を埋めつくす、波の音。
 白い波頭にあらわれる濡れた砂浜が、空を映して、オレンジに輝きだす。
 そして、空のオレンジの一部、灰色の水平線とまじわるあたりに、金色が灯った。

 その金色を、片目の代わりに埋めこんだ映像素子が、きみの頭に埋めこまれた〈サイバー〉を介して、脳に送りこんだ。脳内の記憶素子が映像データを照合し、知識と合致させる。そうして、きみは水平線に浮かび上がるものがなんなのか知り、ああ、と嘆息する。
 太陽だ、と思わず〈ささやき〉を発してしまう。

〈通訳〉はそれを聞いている。黙って聞いている。

〈通訳〉は〈ボット〉ではない。〈ささやき〉を送受信することはできるが、それはあくまで通訳としての機能だ。きみの理解することのできない方法で、きみにむけて発せられた情報を、きみの理解できる〈ささやき〉に変換する。そのための道具が、〈通訳〉だ。
 だが、きみは〈通訳〉を〈ボット〉のように感じているだろう。きみの故郷では、〈ボット〉の〈ささやき〉こそが、世界の叙述、世界の認識につながる不可欠な情報なのだから。

 きみたちのような〈都市〉の人間は、世界をそういうふうに把握する。
 たとえば、そう、〈都市〉の朝は、時報を司る〈ボット〉の〈ささやき〉によって、それと知られるものだ。〈ボット〉が朝になったと〈ささやき〉を送ると、〈ボット〉を追跡している人々は朝になったと感じる。それが〈都市〉の朝だ。

 きみは〈村〉の住人のようには朝を感じることができない。もし、今後も長く〈村〉にとどまることができれば、あるいはきみも同じように感じることができるようになるかもしれない。
 しかし、きみは、〈まつり〉を見るという目的のために、あくまで一時的な滞在を許された旅人にすぎない。明日の後夜祭が終われば、きみはここを出ていかなければならない。とうぜん、出て行くつもりでいるはずだ。だから、きみには〈通訳〉が必要だ。きみの見えない世界を、理解できないものたちを、きみの理解できる言葉にしてくれる通訳がいなければ、きみは〈村〉とコミュニケートできない。そうするための準備を整えるのには、時間がかかる。一週間なんかじゃ無理だ。

 そう、〈村〉にはコミュニケートの準備がある。〈電池〉に〈恩恵〉を施すことができるのは、〈村〉の〈神殿〉だけだからだ。あの〈都市〉も、別の〈都市〉も、きみが〈サイバー〉を埋めこむことのできる年齢まで育った故郷の〈都市〉も、〈神殿〉の〈恩恵〉を受けた〈電池〉なしには、たちゆかない。荒れ果てた地上の空気を濾過するための装置も、地下水を組み上げるポンプも、農場のライトも、きみに〈サイバー〉を埋めこんだ手術機械も、〈議会〉の〈賢人〉たちの正気を保つ〈あの世〉も、すべて〈電池〉によって動いている。

 旧時代の〈発電機〉の多くが劣化し、目に見えない毒を吐き出して、多くの〈都市〉とともに奈落に落ちてから、人々は〈村〉の〈神〉に頼るしかなくなった。
 あるいは雨が降らず、あるいは日がささず、あるいは強風が地上の建造物を削る、過酷な風土を生き延びるために、それぞれの〈都市〉に引きこもり、生まれ持った貧弱な肉体と旧時代の道具を〈サイバー〉によってつなぐしかないきみたちには、〈神殿〉の〈恩恵〉は欠くべからざるものだ。

 もちろん、〈神殿〉を欲する〈都市〉は多い。
 もともと〈都市〉は利己的で好戦的だ。なんでも自分たちの力で手に入れようとする。そのために、旧時代の〈甲冑〉を整備して部隊を設えている〈都市〉がある。寿命が短いかわりに毒の密林を踏破できるよう培養した部隊を、市民とは別に製造している〈都市〉がある。飛行機械を組み上げようとしている〈都市〉がある。
 だが、そうした〈都市〉どうしの思惑が衝突し、お互い牽制し合った結果、〈村〉を誰の手にも渡らす、手つかずのままにしていることを、〈都市〉は気づいているかどうか。
 いや、気づいていてもどうしようもない。彼らは彼ら自身しか見ていない。
 きみの〈ささやき〉を〈通訳〉は黙って聞いていた。

〈都市〉育ちの習性は、すぐには変えられない。仲間と〈ささやき〉を送り合うことができないここでの生活は、きみにとって大きなストレスであったはずだ。肉体のもたらす物理的な寂しさであれば、〈巫女〉たちの褐色の肌に触れて解消することができるだろう。しかし、しゃべれない彼女たち相手では、思考の欲求は完全には解消できない。
 だからきみは〈通訳〉に〈ささやき〉を送った。たとえ返事が返ってこなくとも、〈ささやき〉を送ることがきみの思考をなごませる。
 そう、きみもまた、きみ自身しか見ていないのかもしれない。

 今も、きみは〈ささやき〉を送る。
 これが海か。
 その〈ささやき〉に意味はない。きみが求めているのは意味の伝達ではなく、なぐさめの交換だ。そして今、なぐさめの交換をする対象は、きみの周囲には存在しない。きみは、自分の心の隅に埃のようにふんわりとわだかまる寂しさを自覚する。
 きみは〈通訳〉に〈ささやき〉を送り、返事を待たずに宿へ戻る。


つづく


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