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と、いう夢を見た

ある日、息子のサッカーの友だち親子達と、いつもの公園のなだらかな坂を下っていると、下面の広いくさっぱらの辺りにライオンが数匹いる。年寄りなのだろうか若干色がうすめの、でもたくましいたてがみは健在のオスの美しいライオンである。筋肉隆々のそれよりは若そうなメスライオンも数匹いる。
 ガゼルみたいなのもいる。小さめな哺乳類もまじっている。平和と食物連鎖が均衡を保っているような緊張感のあるはらっぱだ。


 小さめな哺乳類のなにかがこちらの丘側に駆けのぼってきた。それをライオンが猛ダッシュで追い掛けてくる。
 私たちの目の前で小さめな哺乳類は捕食され、壮絶な景色となる。ライオンだと思った肉食動物は目の前で視認したところヒョウであった。ヒョウは丸くなった獲物を口に加えながらこちらをジロリと見渡す。

 何にせよいつもの公園に肉食動物が複数いるという事態は危険なことだ。動物園から逃げ出したのか。一体どういう事態なんだろう。何にせよ逃げ出さなければならない。
 息子が走って公園の出口のほうに向かう。走らず冷静に忍び足で逃げるよう、聞いたことがあるのでそうやって、と諭す。ヒョウやライオンに追いかけられる事なく何とか公園出口から脱出に成功する私と息子。息子の友だち親子達とははぐれてしまい、心配しながらも自分達の身が助かったことに安堵する。

 公園から出て、街に出るとそこには肉食動物は居なかった。やれやれ。

 自家用車が停まっていたので乗り込む。運転席にレプティリアン(爬虫類)が座っている。いつも主に運転を担当する旦那がレプティリアンになっちゃったんだろうか。それともこれも公園にあった肉食動物たちの仲間で襲ってくるのだろうかと戦慄するが、レプティリアンは友好的でありこちらに話しかけながら車を発車させる。
 緊張しながらも私たちはその話に耳を傾けるのであった。その内容、というか答え合わせはざっとこうであった。


「生態系のなかではそれぞれの生物種には種全体としての役割みたいな、集団的意識みたいなのが実は存在している。」
「生態系のなかで鳥類が担っていた役割を鳥類たちが放棄することにした。」
「鳥類たちが進化というか居なくなったことによってバランスが変化し、それぞれの生き物に内在されていた類(肉食動物やら爬虫類やら)が顕在化してしまい今こんなことが起きている。」

よく見ると街のあちらこちらに爬虫類などの姿が見える。街はカオスである。これらも、元は人間だったりほかの生き物だったりしたのだろうか。

大変なことが起きてしまった。

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