少しズルするぐらいが得?

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数人で集まって、次のようなゲームをやることを考えてみます。

「1円から1000円までで、好きな値段を選んで紙に書いて。みんなで一斉に書いた値段を公開して、一番高い値段を書いた人以外は、一番高い値段を書いた人からその金額をもらえるよ」

例えば、A君とB君とC君でこのゲームをやったとします。
A君が380円、B君が860円、C君が820円を書いたら、B君が一番高い値段を書いたことになるので、B君はA君に380円、C君に820円を払うことになります。

さて、このゲームでは、いったい何円と書くべきなのでしょうか?


ハイリスク・ハイリターン

まず分かるのは、このゲームがハイリスク・ハイリターンだということです。

高い値段を書くほど、一番高い値段でなければ、もらえる金額は高くなります。
一方で、高い金額を書くほど、一番高い金額になってしまう可能性も増えます。

1円と書けばほぼ確実に1円もらえるでしょうが、それではうまみがありません。

500円くらいなら、ボチボチ?
でも、みんな同じように考えていれば、500円でも一番高い金額になってしまう可能性もあります。

800円近くになると、かなり危険な気がします。
けど、冒頭の例のC君のように、もらえればかなりおいしいです。


存在しない解

でも、よく考えてみて下さい。

このゲーム、絶対にありえない金額ってありますよね?

それは、1000円です。
だって、書ける金額で一番大きな金額なわけですから、どうあがいても一番高い金額になってしまいます。
1000円と書いても、お金を払うだけで、もらえることは絶対にありません。

ちょっと待って下さい。
ということは、999円というのも絶対にあり得ない金額ですよね?
だって、1000円と書く人がいるはずないわけですから、999円と書いたら一番高い金額になってしまいます。
999円と書いても、お金を払うだけで、もらえることは絶対にありません。

あれ? おかしくありませんか?

同じ論理で考えていけば、998円も、997円も、ずっと飛んで1円ですらもありえない金額です。

つまり、このゲームは論理的に考えると解が存在せず、お金をもらえる人がいないはずのゲームとなっています。

でも、実際にはお金をもらえる人がいる!

この不思議は、一体なぜ生じるのでしょうか?


人の合理性の限界

原因の一つは、人の合理性の限界に関することです。

似たようなゲームでよく知られたものとして、次のようなゲームがあります。

「0から100までの数字で、好きな数字を選んで紙に書いて。みんなが書いた数字の平均を0.6倍した数字にもっとも近い数字を書いた人が勝ちね」

例えば、A君は9、B君は42、C君は24を書いたとします。
この場合、平均は(9 + 42 + 24) / 3 = 25ですから、0.6倍した数字は15で、A君の9がもっとも近い数字になり、A君の勝ちです。

思ったよりも小さい数字で勝ちになると思いませんか?

このゲームは何度か繰り返すと、全員が0を書くように収束することが知られています。
なぜなら、思ったよりも小さい数字で勝つことを知った人たちが、より小さい数字を書くのですが、その平均を0.6倍した数字に近かった人が勝つので、さらに小さい数字を書いた人が勝つからです。
それが繰り返されることで、平均は0に収束します。

それと同時に、このゲームを初めて知った人たちが一番最初にやったときには、0を書く人はほとんどいないということも知られています。

ほとんどの人は、普通は平均が50くらいになることから、その0.6倍した30付近の数字、もしくは、みんなが30付近を書くだろうと予想して、その0.6倍である18付近の数字を書くことが多いようです。

つまり、高々数回の演繹だけを行って判断を行うようなのです。

もし人が完全に合理的であったなら、さらに演繹を進めることでこの考えが0に収束することに気付き、0を書くのでしょうが、実際にはそうではないというわけです。

冒頭のゲームに話を戻しましょう。
多くの人は、次のように考えるのではないでしょうか。

「1000円とかはありえないけど、800円くらいなら書く人がいるんじゃないかな? なら、それより少し低くすれば大丈夫かな……?」

みなが同じように、ある意味で非合理的に考えることで、存在しないはずの仮想的な相場がそこには発生しています。
なので、その相場を上手く読んで値付けすることが、このゲームでは重要になります。


「抜け駆け」の是非

ところで、一番最初に提示したゲーム(一番高い値段を書いた人以外がお金をもらえるゲーム)と、前節で提示したゲーム(平均x0.6に近い人が勝ちとなるゲーム)とでは、一つ大きな違いがあります。
それは、「抜け駆け」による効果です。

前節で提示したゲームでは、「抜け駆け」を行うメリットがほとんどありません。

例えば、A君〜E君の5人でゲームをします。
このとき、A君とB君が抜け駆けをして、A君は5、B君は10を書いたとします。(それ以外の人は0を書きました)
そうすると、平均は3なので、0.6倍すると1.8となり、抜け駆けをしたA君とB君以外の人が勝ちになります。
誰も抜け駆けせずに0を書いていれば全員勝者だったのに、もったいないです。

ポイントは、自分以外の人がちょっと抜け駆けしても、自分の優位性はほとんど変わらないということです。
抜け駆けをした人が得をするには、抜け駆けをした人以外にも多くの人が抜け駆けをし、かつ、その度合いが抜け駆けをした人よりもはるかに大きい必要があります。
しかし、その可能性はほとんどないので、抜け駆けをした人が得をすることはほとんどありません。
なので、抜け駆けをする人は少なくなり、それがより抜け駆けをする価値を低くしています。

一方、最初に提示したゲームでは、「抜け駆け」をすると「抜け駆け」をしなかった人よりも得をする可能性が大いにあります。

例えば、A君〜E君の5人でゲームをします。
ここで、A君とB君が抜け駆けをして、A君は5円、B君は10円を書いたとします。(それ以外の人は1円を書きました)
すると、B君は1円もらえるはずだったのが8円の出費になってしまいます。
しかし、A君は5円もらえて、これは他の人が1円しかもらえないのに比べて大いに得をしています。

ポイントは、度合いを踏まえて抜け駆けすれば、より大きな利益を得られるということです。
自分以外の誰か一人でもいいので、自分より大きく抜け駆けしていれば、抜け駆けしない場合に比べて大きな利益を得られます。
このため、前節で提示したゲームに比べて抜け駆けをする価値が大いに高まっています。
そして、それゆえ抜け駆けする人も多くなり、それがより抜け駆けする価値を高くしています。

このような差異により、仮に合理的な判断がされていたとしても、みんなが抜け駆けするなら、自分もそれに乗って抜け駆けした方が得ということになります。
これが、最初に提示したゲームで、実際にはお金をもらえる人が生じるもう一つの原因と考えられます。


実社会での話

面白いのは、これと同じようなことが実社会でもあるということです。

例えば、一番簡単なのは「赤信号、みんなで渡れば、怖くない」でしょう。

赤信号は渡っちゃいけない、というのが当然のルールです。
でも、みんなで揃って赤信号を渡っちゃったら、どうでしょう?
何人もゾロゾロと渡っている交差点に車が突っ込んでくるということは、さすがにないでしょう。
運転手も止まらざるをえません。

結局、みんな抜け駆けするので、それに乗って一緒に抜け駆けした方が得となることが多いです。
抜け駆けせずに真面目に信号が青になるのを待っている人は、よほどのことがない限り、ただ損をするだけです。

似たような話で、満員電車の問題があります。

混み合った満員電車で、無理矢理乗ろうとしてギュウギュウと押し合い、結局その電車自体が遅れるということがよくあります。
譲って、乗る電車を一本遅らせれば、結果的には無理して乗るよりも早く到着するという可能性すらあります。
でも、それがなかなか出来ない。

これは、なぜでしょうか?

一つは、結局乗る電車を一本遅らせたところで、その電車も混んでないとは限らないということです。
けど、おそらく次の理由が大きいかと思います。

「なんでこうして譲っているオレが損をして、譲らないアイツの方が得してるんだよ!!!」

道徳的に正しいことをしている人が損をして、道徳的に間違ったことをしている人が得をしている——そんな構造がそこにはあります。
だったら、無理矢理乗って全員損した方がマシだ、というわけです。
死なば諸共、ですね。

ブラック企業の話なんかも、そうですよね。
残業代を出さない会社があれば、その会社の業績は、見た目、ちゃんと残業代を出す会社よりよく見えてしまいます。


抜け駆けをするべき? しないべき?

さて、ここで注意したいのは「こういう構造があるから抜け駆けが起こるわけだけど、抜け駆けはよくないから、みんな抜け駆けしないようにしようね」と言いたいわけではない、ということです。

一般に、リスクとリターンの関係はハイリスク・ハイリターンであることが多いので、これまで述べたようなことはよく起こります。
けど、そこでローリスクなものばかり選んでいては、何にもなりません。

極論すれば、一番リスクが低いのは外に出かけないことです。
外に出かければ、交通事故に遭うかもしれないし、通り魔に襲われるかもしれないし、何が起こるか分かりません。
しかし、だからといって部屋に引きこもっているわけにはいきません。
それでは何も得られません。

利益とリスクのバランスを考えて、ちょっと抜け駆けするくらいがちょうどいいのです。

それが人間として当たり前のこととなります。

ただ、それでは困るものもあります。
具体的には、満員電車やブラック企業の話です。
こういった場合は、道徳的に抜け駆けしないようにしましょうといっても、意味がありません。
システム的に抜け駆けをすることの利益を減らしてしまうといったことが必要になります。

あまり具体的な仕組みを提示することは出来ませんが、平均を0.6倍した数に一番近い数字を書いた人が勝ちとなるゲームを思い出して下さい。
このゲームでは、システム的に抜け駆けをした方が損になるような仕組みになっています。
なので、そのようなシステムを作ることは不可能ではありません。
(もちろん、度を過ぎると共産主義のように人間の欲に反する非生産性なシステムになってしまうので、なかなか難しいのですが……)


最後に

何はともあれ、冒頭に書いたゲームは面白いと思うので、よかったら遊んでみて下さいね。

おっと、実際に現金を賭けたりしちゃダメですよ?

まぁ、ここまで読んできた方なら、言わんとすることは分かるかと思いますがw

(参考ゲーム)
『大人が楽しい 紙ペンゲーム30選』より、「ハイカット・ローカット」

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