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新聞が消えていく時代

ちょうど1年前、購読していた新聞をやめました。息子がテレビ欄やスポーツ欄を楽しんでいましたが、読むに値しない内容と、割り合わない購読料を考えての判断でした。

当初はTVガイドを準備していましたが、息子はテレビの予約機能で番組を探すようになり、新聞のない毎日が定着しました。

ちなみに生活の地味な場面で大活躍していた古新聞は、購読をやめることを見越してストックしていたので、今のところ問題ありません。

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子どもの頃から新聞は身近な存在でした。どの家庭でもあたりまえのように新聞を購読していました。小学校の高学年になると、父が仕事帰りに買ってくる、地方夕刊紙を楽しみにしていました。

高校の現代社会の宿題で、新聞記事を3つ切り取り、要旨をまとめ感想を提出する課題がありました。毎日、新聞を開き、書けそうな記事を見つけて切り取りました。切り取った記事の中から、さらにピックアップして宿題をしていました。この宿題は、多くの記事から、自分に必要な記事を選び出す訓練になったと思います。

新聞が情報源の1つとして、当たり前のように存在していた時代のことです。

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20代の頃は、よく海外旅行に出かけていましたが、母に留守中の新聞を保存してくれるように頼んでいました。帰国したら、古い順に目を通し、留守中の時計を早回しにし、現在時刻に調整していました。

30代になると、仕事や子育てに忙しくなりましたが、それでも見出しに目を通していました。しかし徐々に読む記事が薄くなり、読むに値する記事が減りました。

40代は仕事を辞めたことと、新しい勉強をするために、経済新聞やビジネス雑誌を読み始めました。40代の後半になるとインターネットの情報のスピード感に新聞が追いついていないことが目立ちだしました。ということで50代を過ぎて新聞購読をやめたのでした。

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新聞購読者数は減る一方ですが、私たちの生活は何も変わりません。反対にインターネットによる情報は増える一方です。

ところが情報の格差が目立ってきました。スマホは持っていても、情報取得に使っているとは限りません。SNSもしていない、パソコン・スマホの情報検索は苦手だとすると、必要な情報を極端に知らない人も現実に存在するのです。

これまで新聞・テレビを通して、等しく行き渡ってきたと(とは限らないけど)されてきましたが、現在ではそうはいきません。一方インターネットは、その人が知りたい情報に限定して得るので、偏りが生じてくるような気がしてなりません。

それでも新聞には戻れません。もうオールドメディア、あと数年で確実に消えゆくメディアになるでしょう。

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例えば私の父や弟に情報を伝えても「知らん、わからん、興味がない。」とシャッターを下されます。そうなると彼らに言っても仕方ないので、何も伝えなくなります。こういうことです。

見たい。知りたい情報は、個人個人で違うのは当然です。しかし情報交換とはお互いのネタに耳を傾けることから始まるのではないでしょうか。父と弟の場合は、そもそも私との人間関係が影響しているのでしょうけど。

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情報を得る手段・方法を積極的に身につけていった方が、いいんじゃないですかーということです。障害を持つ子ども、いや引きこもりや健常な子どもを持つ保護者の情報格差が気になります。

「私はパソコン苦手です。SNSもしません。どうしたら情報を得れますか。」

難しいですね。情報源となるような人間関係を見つけるか、ネットスキルを身につけるとか・・・一人一人が頑張らないと、等しく情報を取れない時代に差し掛かっているのかもそれません。

「就活・婚活・妊活・・・私らはなんでも頑張らないといけないのか!」

数年前、娘が叫んでいました。情報も頑張らないと手にいれることが出来ない時代になっているのかもしれないね。裏返すと何も知らなくてもOKな時代でもあります。あなたさえそれで良ければね。

おゝ怖い怖い。



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