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「ヨコハマメリー学」への誘(いざな)い

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2018年12月12日発売の『白い孤影 ヨコハマメリー』(ちくま文庫)をより深く読み解く上でのヒントをまとめてみました。 宮崎駿の映画『風の谷のナウシカ』を論じた『ナウシカ論』… もっと読む
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#批評

『ヨコハマメリー』は仏教説話の焼き直しである

いわゆるメリーさんの伝説と言われているもの。それは「老いた娼婦になってまで恋した米軍将校を待ちつづけた女」というものだ。 映画『ヨコハマメリー』公開当時は、彼女の生き様の部分に共感が寄せられていたと記憶している。しかし2018年からのリバイバル上映では一転。元次郎さんら周囲の人々との心の交流が観客の琴線に触れているようだ。これは「コミュニティー」という言葉がさかんにつかわれるようになったこの10年の世相の変化を反映しているのだろう。つまり人々のメリーさんに対する見方が変化し

民俗学からみたメリーさんと『白い孤影』

2020年の秋から始まった映画『ヨコハマメリー』リバイバル上映。年をまたいだ現在も全国各地で絶賛公開中のようです。 このタイミングで、いまもっとも知名度を誇るであろう民俗学者の畑中章宏さんに、メリーさんに関する原稿を依頼しました。 なぜ民俗学者だったのでしょうか。 拙著『白い孤影 ヨコハマメリー』を一読していただければ察しが付くでしょう。 僕は十代の頃、文化人類学者になりたいと思っていました。 文化人類学と民俗学はひじょうに近しい学問です。 畑中さんが指摘するように、拙著

アカデミズムの世界からみた「ヨコハマメリー=アウトサイダー・アーチスト説」

『白い孤影』で提示した「メリーさんアウトサイダー・アーチスト説」。 答えこそ出ないであろうものの、議論を戦わせる上で楽しいテーマだと思うのですが、読者からの反応ゼロ。 拙著の読者層と本のミスマッチが、埋めがたく露呈する結果となりました。 *アウトサイダーアートに関しては、アウトサイダー・キュレーターの櫛野展正さんのnoteを見ると分かりやすいと思います。https://note.mu/kushiterra このままスルーされてしまうと、拙著は単なる消費財として消えてしまい

メリーさんの白塗りに関する補足的な考察

彼女の白塗りを「謎」という人たちがいますが、あれは謎と言うより世代間ギャップではないかという気がします。 自然美を目指す近代美容は、白塗りメイクではなく「素肌を活かすメイクこそが美しい」としています。しかし近代以前の世界では、素肌を隠すメイクの方がむしろ一般的でした。 近代以前の女性はコルセットで腰をきつく締めたり、「バッスルドレス」のようにフレームを入れてスカートを膨らませるなど、服もメイクも不自然でした。 この傾向は日本も同様で、白粉、お歯黒などの風習がありました。

嶽本野ばらからメリーさんを考える

私の貯金通帳をママが箪笥の抽斗(ひきだし)に仕舞ってあることを、私は知っていました。家に戻り、 こっそりと自分の通帳残高を見ると、二十万円しかありませんでした。私は自分の通帳と共に仕舞われていたママの通帳と判子も一緒に持ちだし、次の日の朝、郵便局で二人の通帳をあわせ、 四十万、勝手に引き出しました。学校は行ったふりをしてサボタージュし、私は朝からデパートメントヘと向かいました。そして昨日、試着し、お取り置きして貰っておいた商品を全て購入しました。 ついでにシャ

考えるきっかけを手渡す本と娯楽のための読書のギャップ

世の中には2種類の本がある世の中には2種類の本があると思う。あるいは本を書く動機は、大きく二つに分けられると言い換えても良い。 1.読者を楽しませるための本 2.著者の考えを広めるための本 厳密に考えれば、教科書や参考書、それからハウツー本のように「学ぶための本」も存在するだろう。しかしここでは、こうした本もあえて「2」に分類してしまおう。 なぜなら「2」は、書き手が持っている知識をシェアするための本、読者が学ぶための本だからだ。 一見しただけで1か2かが分かりやすい本

語られずにいるキーパーソン、元次郎さんのほかにいたもう一人の友人

映画「ヨコハマメリー」の主役は、メリーさんではなくシャンソン歌手の元次郎さん。 実際に映画を目にした人の多くは、こう感じたにちがいない。 そのせいだろう。メリーさんを語る際、元次郎さんに絡めて語るブロガーは少なくない。 人によっては、彼女が化粧品を買っていた「柳屋」やクリーニング店「白新舎」、馬車道の老舗レストラン「相生本店」、「ルナ美容室」などに触れるケースもある。いずれも彼女を見守っていた優しい人々のお店で、心温まる交流にじんとなる。 しかし彼女を語る際、ずっと触れら

横浜の街から失われた港情緒が、メリー伝説に与えた影響

拙著『白い孤影』の終盤で書いたように、彼女のイメージはなんども変遷しています。 そのひとつはいまでこそ「終戦後のパンパン」の生き残りのように語られる彼女ですが、80年代当初は「ミナトのマリー」と呼称された、ということです。つまり米兵ではなく、マドロス(外国人船員)相手の女だと捉えられており、文字通り「ミナトの女の伝説を生きる最後の一人だった」とイメージされていたのです。 〈六十代とおぼしきそのおばさんは、白いロングドレスに白いストッキング、おしろいで顔も真白で、全身これ白

映画「ジョーカー」と「ヨコハマメリー」は同じ闇を抱えている

「問題作」 「模倣犯が出るのでは?」 「救いがなさ過ぎる話」 「異常な犯罪者が、その動機や言い訳を延々釈明するだけの内容」 などさんざん問題視されながらも、同時に主演するフォアキン・フェニックスの高い演技力や圧倒的に完成された映像美で、ベネチア国際映画祭の金獅子賞を獲得した映画「ジョーカー」。 この映画に関する批評や口コミは、溢れるほど書かれています。 この映画をみて、【メリーさんとジョーカーは非常によく似ている】と感じました。 『白い孤影』の第3部や note の【

メリーさんに瓜二つのハリウッド女優…ほんとうに偶然なのか?

メリーさんのお姫様ドレスと白塗りは、彼女のトレードマークであり、エキセントリックさの象徴でもあります。しかし白塗りで有名なエリザベス一世の件もあります。こういう人は案外珍しくないのかもしれません。 だからという訳ではないのでしょうけれど、とあるハリウッド映画に、メリーさんそっくりなキャラクターが登場しているのです! それは1962年に制作された『何がジェーンに起ったか?(原題:What Ever Happened to Baby Jane?)』という作品です。 天才の誉

友田 健太郎・評 『白い孤影 ヨコハマメリー』檀原照和・著 【プロの書き手による 書評】

2018年の12月に本を出した。 世の中の著者たちは、いったいどうやって自分の本を宣伝しているのだろう? いろいろな方法が考えられると思う。 ・友人・知人への口コミ ・SNSやブログでの拡散 ・イベントをひらく  ……といったところが一般的か。 一通りやってみたが、届いている気がしない。 そこで歴とした文芸評論家に直接書評を依頼することにした。 友田健太郎さん。 慶應義塾大学文学部元講師。群像新人文学賞評論部門優秀作受賞者。書評媒体として有名な『週刊読書人(https:

本橋信宏・評 『白い孤影 ヨコハマメリー』檀原照和・著 【プロの書き手による 書評】

2018年の12月に本を出した。 世の中の著者たちは、いったいどうやって自分の本を宣伝しているのだろう? いろいろな方法が考えられると思う。 ・友人・知人への口コミ ・SNSやブログでの拡散 ・イベントをひらく  ……といったところが一般的か。 一通りやってみたが、届いている気がしない。 そこで有名ライターに直接書評を依頼することにした。 前々から感じていたことだが、雑誌やWebのブックレビューは書評じゃない。あくまでもレビューだ。 まず字数が足りない。 少なくとも3千