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「ヨコハマメリー学」への誘(いざな)い

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2018年12月12日発売の『白い孤影 ヨコハマメリー』(ちくま文庫)をより深く読み解く上でのヒントをまとめてみました。 宮崎駿の映画『風の谷のナウシカ』を論じた『ナウシカ論』… もっと読む
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#横浜

「香港版ヨコハマメリー(『瑪麗皇后』)」について

メリーさんに関する拙ブログ【「消えた横浜娼婦たち」の事情】に詳しく書いたのですが、今年(2021年)の7月15日〜8月1日にかけて、香港版『ヨコハマメリー』が配信されました。 これは地元劇団の「糊塗戲班」がメリーさんの物語を舞台化した『瑪麗皇后』(2018年初演)を映像用にアレンジしたもので、『再遇瑪麗皇后』というタイトルです。日本からも視聴することが出来ました。 ▼『瑪麗皇后』(初演版/舞台版)の情報 ▲ダイジェスト動画 ▲稽古の様子 タイトルの「瑪麗」ですが、メ

メリーさんのイメージの変遷

 彼女が終戦後に愛する米軍将校と離ればなれになり、以来白塗りと純白のドレス姿で彼を待ちつづけた、という「神話」を表舞台に上げたのは脚本家の杉山義法である。 「本牧(あるいは鎌倉)の豪邸に住んでいる」 「子供がいて一緒に住んでいた時期がある。いまもその子のために立ちつづけている」 などという数ある噂のひとつに過ぎなかったものが、ドキュメント映画のヒットにより定説になってしまったのだ。 しかしこうなる以前は、彼女の伝説は刻々と変化をつづけていた。  街角の奇人…80年代初頭の「

メリーさんは「本当は」なぜ立ちつづけていたのか、に関する考察

白いドレスを着たいわゆる「ヨコハマメリー」に関する考察です。  (しばらくの間、無料公開とします)  拙著『白い孤影 ヨコハマメリー』のなかで提示しているとおり、彼女の運命の相手である「米軍将校」はハマっ子の空想の産物だったと思います。  そもそも「アメリカの将校を待ちつづけている」という噂を彼女から直接聞いた人間はいませんし、確認した人間もいません。彼女が「将校を待ちつづけていた」と言われたのは、西洋かぶれしたドレスを着ていつも人待ち(客待ち)していたからでしょう。外

メリーさんの姿が伊勢佐木町から消えて、入れ替わりにゆずが登場した

メリーさんの姿が伊勢佐木町から消えて、街が様変わりした。 そんな風に書く人は多い。 では具体的にどんな風に変わったのだろうか? 先日あるブログに「メリーさんが消えた時期と、フォークデュオのゆずが伊勢佐木町の路上で注目されるようになった時期は重なっている」という記述を見かけた。 ゆずの結成は1996年3月。 同年、伊勢佐木町で歌い始めたという。 僕の調査では、メリーさんが帰郷したのは1996年11月である(前年に当たる95年に一時的に里帰りしたが、翌年戻ってしばらく横浜

ヨコハマメリーは文豪・谷崎潤一郎の「作品」だった!?

【期間限定無料公開中】  以下、『昭和の謎 99』 2019年初夏の号(ミリオン出版 )に寄稿した記事を転載したものです(新事実の発見により、一部の箇所を修正しています)。 従来のヨコハマメリー像からは導き出されないような予想外の内容ですが、皆様どうお考えになりますか?  皆様の御意見をお待ちしております。  なお無断転載や出典元を省略した引用は、著作権法で禁じられていますのでご留意下さい。  *2020年9月9日 タイトルを変更しました。元タイトルは「ヨコハマメリーと文豪

アカデミズムの世界からみた「ヨコハマメリー=アウトサイダー・アーチスト説」

『白い孤影』で提示した「メリーさんアウトサイダー・アーチスト説」。 答えこそ出ないであろうものの、議論を戦わせる上で楽しいテーマだと思うのですが、読者からの反応ゼロ。 拙著の読者層と本のミスマッチが、埋めがたく露呈する結果となりました。 *アウトサイダーアートに関しては、アウトサイダー・キュレーターの櫛野展正さんのnoteを見ると分かりやすいと思います。https://note.mu/kushiterra このままスルーされてしまうと、拙著は単なる消費財として消えてしまい

バックストーリー:『白い孤影』が出来るまで

取材に20年かけた『白い孤影 ヨコハマメリー』。 この本が出来るまでのストーリーです。 ●「ヨコハマ幻想」を追うはずが、予想外の方向に ヨコハマ。1970年生まれの著者が子供だった時代、この街は特別な意味をまとっていました。 米軍基地を抱えた国際都市。 外国船がやってくる異国情緒溢れる港。 裏通りに軒を連ねるオーセンティックなバー。 犯罪映画に登場するような、海岸沿いにひろがる夜の倉庫街。 喧噪の中華街。 そんなものを見たい。 横浜に移住したのは1995年11月。

メリーさんの白塗りに関する補足的な考察

彼女の白塗りを「謎」という人たちがいますが、あれは謎と言うより世代間ギャップではないかという気がします。 自然美を目指す近代美容は、白塗りメイクではなく「素肌を活かすメイクこそが美しい」としています。しかし近代以前の世界では、素肌を隠すメイクの方がむしろ一般的でした。 近代以前の女性はコルセットで腰をきつく締めたり、「バッスルドレス」のようにフレームを入れてスカートを膨らませるなど、服もメイクも不自然でした。 この傾向は日本も同様で、白粉、お歯黒などの風習がありました。

嶽本野ばらからメリーさんを考える

私の貯金通帳をママが箪笥の抽斗(ひきだし)に仕舞ってあることを、私は知っていました。家に戻り、 こっそりと自分の通帳残高を見ると、二十万円しかありませんでした。私は自分の通帳と共に仕舞われていたママの通帳と判子も一緒に持ちだし、次の日の朝、郵便局で二人の通帳をあわせ、 四十万、勝手に引き出しました。学校は行ったふりをしてサボタージュし、私は朝からデパートメントヘと向かいました。そして昨日、試着し、お取り置きして貰っておいた商品を全て購入しました。 ついでにシャ

考えるきっかけを手渡す本と娯楽のための読書のギャップ

世の中には2種類の本がある世の中には2種類の本があると思う。あるいは本を書く動機は、大きく二つに分けられると言い換えても良い。 1.読者を楽しませるための本 2.著者の考えを広めるための本 厳密に考えれば、教科書や参考書、それからハウツー本のように「学ぶための本」も存在するだろう。しかしここでは、こうした本もあえて「2」に分類してしまおう。 なぜなら「2」は、書き手が持っている知識をシェアするための本、読者が学ぶための本だからだ。 一見しただけで1か2かが分かりやすい本

横浜の街から失われた港情緒が、メリー伝説に与えた影響

拙著『白い孤影』の終盤で書いたように、彼女のイメージはなんども変遷しています。 そのひとつはいまでこそ「終戦後のパンパン」の生き残りのように語られる彼女ですが、80年代当初は「ミナトのマリー」と呼称された、ということです。つまり米兵ではなく、マドロス(外国人船員)相手の女だと捉えられており、文字通り「ミナトの女の伝説を生きる最後の一人だった」とイメージされていたのです。 〈六十代とおぼしきそのおばさんは、白いロングドレスに白いストッキング、おしろいで顔も真白で、全身これ白

映画「ジョーカー」と「ヨコハマメリー」は同じ闇を抱えている

「問題作」 「模倣犯が出るのでは?」 「救いがなさ過ぎる話」 「異常な犯罪者が、その動機や言い訳を延々釈明するだけの内容」 などさんざん問題視されながらも、同時に主演するフォアキン・フェニックスの高い演技力や圧倒的に完成された映像美で、ベネチア国際映画祭の金獅子賞を獲得した映画「ジョーカー」。 この映画に関する批評や口コミは、溢れるほど書かれています。 この映画をみて、【メリーさんとジョーカーは非常によく似ている】と感じました。 『白い孤影』の第3部や note の【

メリーさんに瓜二つのハリウッド女優…ほんとうに偶然なのか?

メリーさんのお姫様ドレスと白塗りは、彼女のトレードマークであり、エキセントリックさの象徴でもあります。しかし白塗りで有名なエリザベス一世の件もあります。こういう人は案外珍しくないのかもしれません。 だからという訳ではないのでしょうけれど、とあるハリウッド映画に、メリーさんそっくりなキャラクターが登場しているのです! それは1962年に制作された『何がジェーンに起ったか?(原題:What Ever Happened to Baby Jane?)』という作品です。 天才の誉

■『白い孤影 ヨコハマメリー』概要■

本書のテーマとなっている「ヨコハマメリー」とは、40年の長きにわたり横浜の街角に立っていた白塗りに純白のドレスという出で立ちの老婆。 一説によると「アメリカに帰ってしまった進駐軍の将校を待ち続けているのだ」とのこと。 その実彼女は街娼であり「将校専門の高級娼婦なのだ」ともささやかれていました。 いわゆる街角のローカル有名人の一人です。 約10年前に亡くなりましたが、死後映画になり、昨年、今年とつづけてテレビで取り上げられるなど、近年も人々の関心を引き続けています。 取材を