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辺野古キャンプ・シュワブ

※ひろゆきの辺野古に関する発言を受けて、いま準備中の本の一部を部分的に改変して掲載します。以下です。
※写真は荒崎海岸です。


 高江ヘリパッド建設に抗議する住民に対して、機動隊のひとりが「土人」と言い放ち問題になったことも記憶に新しい2018年に沖縄に行った。
 このときは、学生時代から長らく沖縄の実地調査をしている知人が主導したこともあり、通常ならば絶対にできないようなことをたくさん経験した。
 とくに、普天間基地移設の問題に大きく揺れる名護市の辺野古の埋め立て地のまえで、基地移設の反対運動を続ける西川さんという辺野古住民の方の話を聞いたのは、とても貴重な体験だった。なんといっても、金網の遠くのほうに米兵がいる状況で基地移設をめぐる問題を聞くという状況自体に緊張感があったし、その内容もとても考えさせられるものだった。
 西川さんの話でとくに印象深いというか生々しかったのは、辺野古の住民は移設を容認している人も多い、という話だった。
 これも考えてみれば当たりまえの話だが、経済的な事情や人間関係の事情によっては、基地移設を容認する地元住民がいたって不思議ではない。辺野古村の経済不振が続くなか、政府から地域振興策や補償がちらつかされればなおさらである。基地移設の問題が硬直していること自体に疲弊してしまい、移設容認を選ぶ人もいるとのことだ。
 そんな西川さんの話のなかで生々しさを感じたのは、辺野古移設をめぐって集落内で対立が起きている状況である。「いままであいさつをしていたのが、言葉を交わせなくなった。もう辺野古の人たちと顔を合わせるのがつらい」と。
 東京の人間が触れる報道だと、どうしても基地移設を推進する政府と反対する地元住民が対決しているような構図に見えてしまう。そのうえで、賛成派の論調に乗るのか/反対派の論調に乗るのか、といった思考に陥ってしまう。そのような構図を否定しようとすれば、今度は「反対派の抗議運動をしているのは左翼活動家であり地元の住民とは関係ない」といった極端な意見に流れてしまう。
 しかし、そのような構図でのみ捉えていては、辺野古住民の疲弊や集落内対立といった問題は見えづらくなるだろう。まえにも書いたが、本当に考えるべき問題はおうおうにして二項対立のあいだにある。
 沖縄だって一枚岩ではない。基地移設の問題ひとつとっても、反対と言いたくても言い切れない消極的な容認派の声もあれば、賛成派にも一定理解を示してしまうようなゆらぎのなかのある反対派の声もある。
 僕のような半可通ほど、全国紙やニュースだけを見て、地元住民はなんのためらいもなく移設反対なのだろうと思い込んでしまう。そして、誠実なつもりで沖縄の声を代弁したつもりになる。
 しかし、それは本当に「沖縄の声」を正確に代弁しているのか。そもそも、「沖縄の声」とはなんだろうか。少なくとも辺野古で聞いた西川さんの話は、「沖縄の声」といったかたちで一元化することの危うさこそを教えてくれたのではなかったのか。
 集落内ですら意見はわかれているのだ。そんなことは考えてみれば当たりまえのことなのだけど、実際に現地に行って美しい海とコンクリートと金網のまえで話を聞かないと、忘れてしまうものなのかもしれない。

 現地に行ったことで理解が進むこともあれば、現地に行ったことでかえってわからなくなることもある。いや、「分からない」ことを実感するというか。
 とりわけ沖縄に関しては、一筋縄ではないかない複雑さこそがリアルなのかもしれない。だとすれば、その複雑さの一端にでも触れることこそ、沖縄に行くという経験ではないか。
 どこまで当事者と言えるかわからない、しかし、無関係とはけっして言えない本土の人間としては、そのような「分かる」と「分からない」のあいだで引き裂かれながら、粘り強く考えることが、さしあたり大事なことだと思う。

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