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Quantic presents The Western Transient『A NEW CONSTELLATION』

※本記事は、2015年12月17日に書かれたものです。

クァンテイックことウィル・ホランドがニコデマスと共作した「Mi Swing Es Tropical」は、クボタタケシが自身のミックスCDに収録したこともあってか、当時、都内の小バコ系クラブでしばしば耳にした。かく言う僕も、12インチ盤を買ってときどきプレイしていた。個人的な印象では、クァンティックが次々と意欲的なサウンドを展開していくのはこのあたりからで、新作を聴くのがいっそう楽しみになった。加えて言えば、この時期、ホット・8・ブラス・バンドなどのクラブヒットもあり、DJ仲間と「トゥルー・ソウツ・レーベルはとりあえず買いでしょ」みたいな会話をしていたことを思い出す。その後、とくにコロンビアに拠点を移して以降のクァンティックの活躍は、周知のとおりだ。クァンティック・ソウル・オーケストラをはじめ、クァンティック・ウィズ・ヒズ・コンボ・バルバロ、フラワリング・インフェルノなど、ホランドはさまざまなユニットを使い分けながら、ラテンやダブなど世界中の音楽を貪欲に取り入れた。クンビアでヒップホップの名曲たちをカヴァーしたQuantic Y Su Conjunto Los Miticos Del Ritmo『HIP HOP EN CUMBIA』も記憶に新しい。

周囲のDJたちがクォンティックやトゥルー・ソウツのサウンドに魅了されたのは、あきらかに、そのサウンドのハイブリッド性によるところが大きい。これは単純な話と言えば単純な話で、オールジャンル系のDJの場合、ミックスをするときにジャンル間の橋渡しになるような曲は、とても重宝されるのだ。クァンティックの音楽は、まさにその橋渡しにふさわしかった。“ミスター・エクレクティック”という異名はダテじゃない。ファンクからレゲエ、スウィングからラテンへ。はたまた、生音からハウス/ヒップホップへ。クァンティック関連のLPがバッグに入っていると、サウンド的に、世界中どこまでも行けそうで、非常に心強い。
このような、ハイブリッド性/エクレクティック性を支えるのは、誤解を恐れずに言うと、クォンティックの非‐本格主義的な態度だと思う。ソウルをやっても、ラテンをやっても、ダブをやっても、そのジャンルのエグみは丁寧に消去する。そのうえで、クラブ・ミュージックとしてのたたずまいを一定程度残す。クァンティックの折衷主義的なサウンドは、そのようなフェイク性とともにあった。このフェイク性こそが、DJミックスの欲望をかき立てる。したがって、クォンティックと並列すべきは、例えばMATOの7インチのシリーズや、BOST & BIMによる『THE BOMBING』シリーズといった、ともすれば安易になりがちな、一連のレゲエ・エディットなどかもしれない。このようにクァンティックのサウンドは、いい具合にフェイクなワールド・ミュージックで、だからこそ唯一無二のサウンドとして、クラブ映えをしていたのだ。この、絶妙な表層の抜き出しかた、というか、絶妙な中心の取り除きかたこそ、クァンティックの本領だと思っている。

クァンティックの新プロジェクト、ザ・ウエスタン・トランシエントは、ジャズのプロジェクトである。メンバーは、ホランド含め7人。フライング・ロータス『You’re Dead』やカマシ・ワシントン『THE EPIC』に、キーボードで参加していたブランドン・コールマンや、ストーンズ・スロウ周辺などにも参加するトランペット奏者、トッド・サイモンなどが名を連ねる。ジャズに限らず、現在のLAシーンで活躍する面々だ。このように、たしかな技術とセンスをそなえたプレイヤーたちによって、古き良きアンサンブルを聴かせるのが、本作『A NEW CONSTELLATION』だと、とりあえずは言える。スタジオの空気感も含め、とてもあたたかみがある。ここで重要なことは、クァンティックの取り組んだジャズが、ウエスト・コースト・ジャズの流れにあるということである。そして、さらに重要なことは、ウエスト・コースト・ジャズの蓄積が、現在の音楽シーンを少なからずにゆたかにしていることである(このことは、原雅明の日本盤ライナーにおいて丁寧に解説されているので必読)。したがって、ザ・ウエスタン・トランシエントによるアンサンブルは、一方で、そういう同時代のLAのサウンドとして存在する。それは、ジャズに限らず、ストーンズ・スロウやブレインフィーダーなどクラブ・ミュージックの領域とも、サウンド的に、人脈的に、響き合っている。

それにしても、本作は、そうとうヘンだと思う。もちろん、良い意味で。西海岸のジャズ自体が、ある種のフェイク性をはらんでいると言えるのかもしれないが、クォンティックは、さらにそれを表層的に翻訳する。結果、出来上がったのは、唯一無二でユニークな、現代版イージー・リスニングだ。この、イージー・リスニング的な雰囲気が、すごく特異だ。アルバム冒頭を飾る「Latitude」こそ、洗練されたウエスト・コースト・ジャズのたたずまいだが、続く「Jumble Sale」を聴いたときは、正直ビリー・ヴォーン楽団を思い出してしまった。的外れな感想だろうか。的外れを覚悟でさらに言えば、「Bicycle Ride」のとくに冒頭なんて、GSのサウンドに近いじゃないか! とか。とにかく本作には、ダサさスレスレのユニークな音世界が広がっている。そして、そのサウンドが、とてつもなく新鮮に響く。怪作と言ってもいいくらいだ。くり返すが、クォンティックの本領は、絶妙に中心を取り除くことだと思っている。そしてその意味では、本作もまた、クォンティックの本領が発揮されている。原雅明はライナーで、「ある種の音楽的な誤読と、離れた土地を音楽が行き交うことの必要性」を説きつつ、クァンティックが「今度はアメリカと移り、ジャズを蘇生しようとしている」と書いている。つまり、「音楽的な誤読」から生まれたフェイク性が、音楽を蘇生させるということだ。

大事だと思うのは、DJをはじめとするクラブ・ミュージックのリスナーは、しばしばこのようなフェイクな部分に反応するということである。早くも、グルーヴィーなイージー・リスニングと並べて「Jumble Sale」をプレイしたくなっている自分がいる。GSに混ぜて、何食わぬ顔で「Bicycle Ride」を流したくなっている自分がいる。もちろん、フュージョンからラテン・ディスコへの橋渡しとして、「Creation (EAST L.A.)」を選曲するのも良いだろう。クァンティックの音楽は今回も、そのフェイクな部分でもって、DJとしての僕の耳を刺激する。でも、新しい音楽は、実はそういうノリから生まれていたのかもしれない。コンボ・バルバロには、『Tradition In Transition』という傑作がある。「移り変わりゆく伝統」とでも言うべきか。ザ・ウエスタン・トランシエント(The Western Transient)の「transient」は「transition」と語源が同じだが、クァンティックによるジャズも、「移り変わりゆく伝統」としてあるのだろう。

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