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『対抗言論vol.3』に寄稿しました・その他

 杉田俊介さんと櫻井信栄さんが編集を務める雑誌『対抗言論』。第3号となる今号は、川口好美さんと藤原侑貴さんが新たに編集に名を加え、テーマは「差別と暴力の批評」というものです。杉田さんにお声がけいただき、僕は「一元的差別批判への諦め、あるいは批評のはしたなさについて」という文章を寄せました。同号には、大学院時代から続く自主ゼミの後輩にあたる冨田涼介くんも『もののけ姫』に関する論考を寄せています。自分のことはともかく、雑誌自体は非常に論争的かつ切実で、とてもインパクトのあるものになっていると思います。この静かなテンションはちょっとすごいです。時流的なところで言えば、統一教会との関係を語る川村湊氏のインタヴューとか興味深かったです。また、深沢レナ氏・安西彩乃氏・関澤花氏による「言葉を取り戻すために」座談会も、とても重要なものだと思いました。ぜひ多くの人に読んで欲しいです。
https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-61613-6.html

 さて、「批評と差別」といったテーマで依頼をいただいたとき、最初に書こうと思ったのは、いまだ自分のなかで整理の付けきれない小山田圭吾に関する問題でした。この件から当時の「インクルーシヴ教育」「90年代の鬼畜/悪趣味カルチャー」「ノンフィクションと文学との関係」あたりについて考えよう、と。ただ考えがまとまらないところもあり、また特集趣旨とも少しズレると思い、断念しました。このことについては引き続き考えたいです。
 結局、編集者である杉田さんと川口さんの存在に甘えるかたちで、いまだ積み残したままの批評における男性中心性について書くことにしました。「男性中心」はともかく、なにかを評するという批評行為がどうにも間違ったことだという気持ちが拭えず、そのことについて。「差別」「暴力」という言葉を使うなら、批評こそが「差別」する側、「暴力」を働く側ではないか、と。もっとも、だからこそ社会的な水準にとどまらない力をもつこともあるわけですが、その手前でやはり「差別」「暴力」の側ではないか、と。そんなことを書いていたら、渡部直己氏のことにも言及せざるを得なくなりました。あるいはそれ以外にも、面識ある方も含め多くの人について批判的に言及せざるを得なくなりました。主張として自らの名前を冠して文章を書くことに対する否定をおこなっている以上、そんな自己否定的な文章はカネをもらって書くものではない、という気持ちもあり、提出した直後はボツにすることも辞さないつもりでいましたが、一定の意義を認めてもらったので、そこは信頼してそのまま掲載してもらいました。カネももらっています。然るべき批判があれば、ぜひお願いします。
 さて、言葉を書くなんて罪深い行為はいったいなんなのか、ということを考えたとき、そういえば、いちおうデビュー作にあたる町田康論は、宇野浩二‐太宰治‐高見順の系譜から書いたのでした。それは形式としての「饒舌」という問題系を抽出したものにすぎないのですが、太宰・高見の「小説の書けない」系譜のわきには、当然プロレタリア文学運動および転向の問題があります。町田康論の元になった修士論文を見ると、次のようなことが書いてありました。

プロレタリア文学の大規模な弾圧など外的な要因による思想の変更は、個人的な「私」とはまた別に存在する社会的な「私」の姿をあぶり出した。そして、その両者を介在する「自意識」の存在は前景化される。こうした状況のなかでは、素朴な私小説は「文学的リアリティ」を失いつつあった。
「酔狂者の独白」のような私小説の自壊構造と同時代の社会の変化。これらはいずれも、小説における統一的な〈自己〉に疑いをかけるものであった。昭和一〇年前後におけるこのような状況は、のちに町田康への影響を指摘されるいくつかの作品を生みだす下地となった。

 安藤宏氏に倣うかたちで小説表現の問題を扱っていたので、僕の論文において転向の問題はその後、牧野信一のほうに流れて行きますが、この「昭和十年」の問題について考えるには、もちろん中野重治の存在が外せません。とりわけ1935(昭和10)年に発表された「村の家」とそれに続く「小説の書けぬ小説家」です。「村の家」を論じた吉本隆明の「転向論」は、言葉を書きつける者がつねにその背後に自らの言葉の根拠を揺るがせるような存在を抱えていること、そしてそれが「大衆」と呼びうる存在であることを指摘している点において、僕にとってつねに立ち返るべきテキストのひとつでした。しかしそのときの私は、「どうせ書くんだろう」と「書く」という前提があまり揺らいでいなかったように思います。今回「村の家」を読み直したとき、初めて「本当に書かない」という選択肢をリアルに抱えた者として読んだ気がします。そうなると、父・孫蔵の言葉はやはり一発一発重い。というか、なかば半分以上孫蔵のほうから物語を読んでいる感じです。ではそのとき、勉次における「やはり書いて行きます」とはどのようなことなのか。開き直るのではないかたちで、言葉を発するとはどういうことか。
『対抗言論vol.3』収録の川口好美「差別への問い(二) 中野重治について」は、上記の問いについてすでに深く切り込んでいます(川口さんの論考はぜひ読んでみてください)。とりわけ中野が島木健作を批判したことについて、井口時男氏を参照しながら、「言葉を表現=価値の地平から解放し、根源的な裏切りの地平に差し戻そうとしただけだ」と指摘し、批評を「他者のテクストを恐慌に追い込むそのような力の行使」「無根拠な、むきつけで無底な言葉の世界に何度でも生まれ直すこと」としているのは、すでにして僕の文章に対する真正面からの応答・批判になっていると思いました。『対抗言論』刊行記念イベントで「資本主義についてどう考えるか」と問いかけたときは、遠くこのあたりについても話そうと思っていたのですが、自分のなかでも準備不足で展開できませんでした。なんとなれば私は、言葉を「表現=価値の地平」でしか捉えていないところがあり、それは、滝口悠生『愛と人生』講談社文庫版の解説において、寅さんの啖呵売——すなわち言葉の装飾によって無根拠な金銭的価値が生み出されること――こそが文学の本領だとしていることからも明らかであり、この問題意識は、現在止まったままの葛西善蔵論にも大きく関わることです。引き続き考えます。

 さて、このたび川口さんと初めてお会いして、久しぶりに文芸批評が問うてきたものを思い起こすような気持ちになりました。仮に柄谷行人‐山城むつみ‐大澤信亮(その他、もう何人か入るだろう)というラインがあるとして、さらに仮に川口さんがその後継的な位置にいるとして、その拠点がアカデミックな場所ではなく川根本町のてんでんこであるということはやはり大事な気がします。さらに先週まで、その出張版のようなスペースを下北沢に作っていたことも素敵でした。たまたま僕が行ったとき、同じく『対抗言論vol.3』に参加されていた方もいらして、少しお話をしました。たいへん貴重な時間でした。「批評」という言葉に付き合いすぎなくていいとは思いますが、愛と憎しみの混じった社会性のともなった人間関係は続けていきたいです。そのような関係性について考えたり、そのような関係性を築いたりすることは、それなりに批評的ないとなみだとは思っています。

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