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美ら島ぬ宝

20代の大半を沖縄の世話になっていた。しかし「沖縄のお世話になる」と大層な事を言ってみても爽やかなことばかりではないのだ。

沖縄には巣食ったら最後、2度と元の都には戻りがたい4つの事がある。

まず沖縄とは、本当に余裕で海の声が聞こえるし、陸に上がってもどちらが天か地かわからなくなるほどの空がごうごうと頭上を覆う。当たり前に毎日だ。
めくるめく景色は帰郷して4年が経つが全く纏められないほど筆舌に尽くしがたい魅力がある。
それを前提にお話したい。

ではまず1つ。

沖縄は昼も夕方も夜も長い。唸るほど長い。

20代は基本的に寝ていたので午前中の沖縄のことはあまりよく知らないが、5月にはすでに何度目かの台風の去った後、古い葉が全て落ちた朝というのを何度も見た。
めちゃくちゃながじゅまるの葉が一晩で新緑と言うのかよくわからないがバッキバキの新しい緑にいきなり生え変わっているのだ。
そこでまず私は必ず
「うえぇっ!!」と言う。土の力が強すぎて怖いのだ。
ちょうどその頃は陽が脳天に昇る季節で、昼間にひびわれたアスファルトに映る影がより濃くなる季節。
世間と自分がより分断されるようで敵わなくて思わず頭を垂れてみるとどうだろうか。
同じように下を向いた人々が自然と目に入る。
毎日来ないバスを待つ日傘の人、あてもなく歩く人、一心不乱にアスファルトの亀裂をほじくる子供。
子供はまた違うのだろうが、陽に負けた全ての人に自分が映る。
ここでまた私は「きゃあ」となって逃げるのだ。
これだから昼間はいけない。太陽に負ける、地面に負ける、と言い夕方にやっと起き出して買い物に出る。
すると今度は本当にいつまでも沈まない圧倒的な夕方が襲い掛かってくるのだ。
あの頃はなんの疑いも持たず、豚肉とネギだけを買いに悠に片道1キロ以上は歩いていた。
上ばかり見てスーパーマーケットまで歩くのだ。
本当の阿呆なだけかも知れないが、この夕方がまたすごい。
暮れない空をいつまでも見て毎日平気で泣けてくる。
この頃私はひたすら同じアルバムを3枚程度ヘビロテしているだけで充分に盛り上がっていた。
そうして帰宅するとただの疲れか知らないが、それだけ感情を起伏させるともうヘトヘトでなにが何がなんだかわからない。
豚肉を炒めてネギの味噌汁だけ作れば立派である。
そして深すぎる夜が来る。
まじむん※1の時間である。
この時間はうちなんちゅに習って酒を浴びて唄って踊って百鬼夜行をしていなければ外に出るべきではないだろう。
治安の問題とは別に、人間より強いものの時間なのだ。
夜の話は勿体ないので小出しにする。
と、このように私が言いたいのは、うちなんちゅが 太字「沖縄タイム」なんていう呑気な呼び方をするには沖縄の1日はあまりにも強烈なのだ。
これに飲まれるとまず帰れない。

そして2つ。

「生きている妖怪がものすごくたくさんいて帰れない。」

ずっと104歳と言っていたおばあが本当は84歳だった時の悔しさ。
あともう、からかっただけなのかなんなのか全然わからない虚しさ。
よく考えれば84歳だったとしても若すぎるしフードコートを出た辺りでよく会ったあの人はやっぱり妖怪だったんだと思う。
そしてこういうことがある度に自分が「凡人」という言葉に殴られる思いがした。

名作「残波の大獅子」を造った彫刻家である金城実さんという方がいらっしゃる。
県道から脇道に入った場所から「金城実の家→」と書かれた看板があるのでその通り進むと金城宅があり、いればお会いできる。
1度行ってみたら金城さんはバリバリいたのでお宅に上げてもらい庭を見せてもらうと、まだ全然戦争が終わっていないことが頷ける作品が武骨にその辺に転がされている。
これもみっともないが「行ってみて下さい」としか感想が言えない。
金城さんはまず庭にあるアトリエで国宝級の彫刻物や創作物に水を掛けだした。金属製の大作も多々あった。
「どうしてで?」と訪ねると
「この水は海水なので作品がどんどん腐って強い物だけ生きる。毎日やっている。」と面倒臭そうに答えてくれた。
そのあとは「小便で育てた」と言われた葉っぱにサバ缶をかけたものを出してくれたので、金城さんが書いた「オバマに出した手紙」を読ませて貰いつつ私はそれを泣きながら食った。
慣れない泡盛だかよくわからない酒も飲み続けたので吐いたり泣いたり忙しかった。
夕刻になり、きっちり片付いた台所に入れて貰って食器を洗っていると金城さんの奥さんが帰って来た。
金城さんは奥さんが大好きなのだという。
奥さんが何と言っていたのか全く覚えていないのが悔やまれるが、実は金城さんより奥さんの方がずっとずっと妖怪なのかも知れない。
知らない人が家に何人かいてもまるで見えていないように気にしていないのだから。
金城さんはまた特別中の特別だが、街中に生きる妖怪がたくさんいて気付いたら数年経っているので帰れない。

3つ

「「ユタ」がたくさんいて帰れない。」

まず「大和の者だからからかってやろう」という気持ちで踊らされたことは何度もあるだろうと理解した上で、歩いているだけでも当てられてしまうのだ。
「(あなたのお父さん亡くなって大変ね)お母さん寂しくしてるけど、子育てと旦那育てがいっぺん終わっちゃったんだね。ゆっくりできるといいね。」
これは何度も何度も天気の話の様に色々な人に言われた。
普通からかう程度では、
「ねぇねは沢尻エリカに似てるね。東京の人だね。」くらいの感じだろう。ちなみに言い方や表情も相まってどんなに似てないとわかっていてもものすごく嬉しかった。
あれはお世辞なんかじゃなくて最早名人芸である。
ところで、私の父親は亡くなっており、若いときの子だった私と妹は父が亡くなる前からそれぞれ家を出ていた。
父も死ぬまで良くも悪くも子供の様だったのは記憶に新しい。
母は、
「子育て旦那育ていっぺんに終えた」のだ。
こういうのが怠惰な毎日に定期的にローパンチを入れてくるので帰るに帰れない。

4つ

「沖縄は生きていて帰れない。」

私は沖縄で今よりもっと自然にStay Home、引きこもり過激派として生活していた。
ダイビングでもすれば良かった。
離島マスターにもなれば良かった。
でも現実は息を殺して、家の中から
ドぎつい太陽が顔を出し、毎日「沈まぬぞ」と粘り倒してオレンジに熔けきって落ちてゆくのと、潮と月が満ちては引いていくのの観察にばかりに注視して過ごしていたら、だんだん都の人と話すことがなくなるのだ。
なんとなく「沖縄どう?」と聞かれる度に沖縄の過酷さばかり話してしまうようになっていた。
「開放的で最高よ!」と言えば良かった。
が、なんだかどうしても違うのだ。開放的で最高なのは当たり前なんだけども。

沖縄は優しくも厳しくもなく、別にあんまり人間を気にしていない神様そのもののような畏れが私にはある。
歴史をどんなに紐解こうとしようが、戦争の凄惨さを辿ろうと努力しようが、
「人間のしたこと」と答えが出てしまう。沖縄が生きていて、沖縄自体が神様だから。
だから毎晩恐くて畏れ多くて、でもあまりにそこに宝が多くて帰れなかった。

髪を振り乱すようになんとか東京に帰って来てからは、子を産もうがなんだろうが気づけばまだ沖縄のことばかり考えている。

これが島人ぬ宝なのだと言われたら、沖縄の人が羨ましくて仕方がない。
たくさんの拝み処があり、御嶽※2があり、いくつもの神事があったのだと思うが、きっぱりと断られたような感じがして、私は夜の海にただただ想うだけとしていた。

多分だけど、今の時期くらいから大地の神様がごろんと寝返りを打って目を開けてこちらを見てくる季節が始まると思う。

そうなると花は咲き三線が唄い鯨が踊り蝶柱が立つ。

私は蝶が大嫌いだが、いつかの国際通りのエイサーで大量のシャボン玉に交じって大きな大きなオオゴマダラが1匹ゆらり、ゆらりと大見得を切って人前を舞ってくれていたのはサーヴィスだったと信じている。

今ではない、いつか必ず
「子供が産めますように」といつも願った神様に娘を会わせに行きたい。

※1 鹿児島、沖縄地方で信じられている魔物、化け物の呼び方。
※2 琉球の信仰における祭祀などを行う施設

#saveokinawa #沖縄 #うちなんちゅ

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アルトサックスプレイヤー/コンポーザー コラムや日記、短編小説を書きます。 演奏動画もアップしていきます♪ 機嫌の取りづらいヴィンテージ楽器の操作と幼児の育児に奮闘中!よろしくお願いします。

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