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思い出したくない過去に蓋をした先に末永い幸せはあるだろうか?


漫画『聲の形』を全巻読んだ。

元いじめっこでいま陰キャの高校生の男の子と、元いじめられっこで耳が聞こえない女の子を軸にした、過去や今を受け入れて前に進むための悪戦苦闘を描いた物語だ。

自分の心、他人の心と向き合うきっかけをくれる素晴らしい作品だと思う。

子どもも読んでおいた方が良いと思うが、それ以上に大人こそがこれを読んで、いま一度立ち止まってしっかりと向き合うべきなんじゃないかと感じた。

だって、大人が変わらなければ子どもは変われないから。

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僕は学生時代、誰かを直接的にいじめたことがあるし、間接的にいじめに加担したこともあるし、ただただ傍観していたこともある。

恋愛の話でいえば、僕に告白をしてくれた女の子の想いを踏みにじる行為をしてしまったこともあるし、当時付き合っていた彼女に深い心の傷を負わせてしまったこともある。

それらの諸々に対して、成長と共に罪の重さに気づき後悔の念に駆られて、はじめは「謝る」という行動を取った。

ただ、その「謝る」は、突き詰めていくと「自分が許されたい」がためのものだった。結局中途半端に相手の傷痕を引っ搔いてしまっただけだったように思う。

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そこから更に時が経って、「背負い続けなければいけない罪もある」ということを理解し、「傷痕に触れないことがお互いのためになることもある」と思い至るようになった。

相手にとって、それが一生忘れたい傷痕なのであれば、こちらが安易にそこを触るべきではないと。

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ただ最近、また思考が少し変わってきた。

「果たして傷痕を一生忘れることなどできるだろうか?」という疑問が湧いてきた。

それって結構難しいんじゃないか、と。

何らかのタイミングでふと傷痕の存在を思い出した時に、蓋をした感情があふれてしまうこともあるのではないだろうか。

加害者の償いとは、被害者に「傷痕を思い出させないこと」ではなく、「傷痕を受け入れる気持ちになってもらうこと」なのではないだろうか。

※ ※ ※

「じゃあそのためにどういうアプローチをすればよいのか?」という問いに対する明快な回答を僕はまだ持たない。

ただ少なくとも、相手の心に土足で踏み込むようなことはしていけないし、こちらの気持ちを突きつけただけであとはどうぞご勝手にみたいな当て逃げ的なこともしてはいけない。

イメージとしては、相手が意思を持って手を伸ばせば届くところに手紙を置いて、相手がアクションしてくれたら文通をするような感じなのかなぁと思ったりする。向こうが納得するまで。

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すごくデリケートなことだし、きっと全てに共通する正答などなくて、個別に回答は異なるんだろうけど、ひとつひとつ向き合ってより解答に近いであろう回答を探していきたい。慎重かつ丁寧に。

少なくとも、「断続的であれ向き合うことを放棄しない」というのが自分のやるべきことだと認識しているから。

もしめちゃめちゃ満足して頂けるようなことがあれば!