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マネーが表しているもの

先日、来年から某外資系投資銀行で働く予定という学生さんと話す機会がありました。「年収の高さは、社会的価値を反映しているのだろうか」という素朴な問いと考えるきっかけをもらいました。

私自身が外資系投資銀行で長年働く中で感じていてたのは、「イコールとは思えない。明らかにもらい過ぎ(でも、立場的に、何かしら連動していると思いたい)」という感覚でした。もう少し発散的にこの問いを「マネーの大小は何を表しているのか」と置き換えて「消費」の観点から考えてみると、

1。同じジャンル内の商品価格として考えると、相対的に、確かに高価な商品は機能性が高かったり、「Wow」という感動(Human experience)を感じられたりするので、反映していないことはない。例えば、より高価なAV機器の方が映像、音声共にいい。高級車の方が快適。環境が良く、広い住居の方が、そりゃいい。この寿司、高いだけあって、めちゃめちゃ美味いな。などなど

2。一方で、ジャンルを跨いで考察すると、価格とHuman experienceが全然連動していないことも多々ある。家族・友人とくだらないことでゲラゲラ笑うのは一円もかからないけど人生を豊かにしているし、ダンボールで作った秘密基地の方が既製品のおもちゃよりもワクワクしたりするし、素晴らしい小説を読んで感動するのはとても価値があると思うけど書籍代なんて知れているし(中古なら百円とかだし)、Spotifyで音楽聴くのタダだし

「社会的価値」って、人によって違うようにも思う。それに、なんで社会的価値があるか、気になっちゃうんだろう。いかにも人間的。

お金は現在と未来をつなげるものだし、間違いなく大事なものだし、人を強く動かすし、マネーゲーム自身の中にもスポーツ同様、喜怒哀楽という体験価値が内包されているけど、マネーに包含されている欲望だったり恐怖にロックインされると思うように人生を生きられなくなったりもする。

お金の囚われを思いっきりレバレッジした環境で長時間働いている頃から、お金については個人的にも考える機会が多かったのですが、改めて考えるいいきっかけになりました。

ユヴァル・ノア・ハラリが「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」でマネーについて考察していて考えさせられます(関連箇所の抜粋が「Money」という本にまとめられています。資本主義の功罪をそもそも論から簡潔にまとめていて、バランスよく読めました。読了していないけれど)。

続く

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