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数字を飼いならす

新年に入り、今年の抱負として何かしらの数値目標を設定される方も多くいるのではないかと思います。

先日、たまたま書店で「The Number Bias」という本(未邦訳)を見つけました。コンパクトにまとまっていて参考になったので、自分の頭の整理を兼ねて、私なりに受け取った内容を一部紹介させていただきます。

「言葉」と「数字」はいずれもパワフルなものだと感じますが、解釈の余地が多い言葉に比べると、数字はファクト認識を正しく行うためのツールという印象が強いです。

本書ではまず、医療衛生改革を実現したフローレンス・ナイチンゲールの事例をとりあげ、数字の力によって他者を動かし、「より良い」社会を実現していくことが可能であるというプラスの側面を紹介しています。

その上で、人間の認知能力に依拠するという点では、数字の活用にあたってはいろいろな留意事項があるとし、IQやGDPといった例を挙げながら説明を展開しています。

1。人工物である測定指標が一人歩きする

IQにしてもGDPにしても、「知能」や「経済」という抽象度の高い概念を測定するために、20世紀に入ってから生み出された指標です(IQはフランスで、GDPは米国でそれぞれ生まれたそうです)。しかし一度指標化されると一人歩きを始め、さらには自己目的化していく。異なる人々をつないでいくという指標の利点を認めながらも、そのような側面については十分に気をつけないといけない、としています。

とりわけ、「知能」、「経済」、「犯罪」、「教育」といった抽象度の高い概念の場合、その測定指標の起源を知り(知らしめ)、その指標のみならず補完的なデータや定性的な視点に対しても目配りをすることが重要だと思いました。

また、指標が自己目的化するとゲーミングが始まり、また、人間の弱さから、不正の温床にもなり得ることは古今東西の歴史が示しているところです。

英国の経済学者チャールズ・グッドハート氏が中央銀行の金融政策について言及したコメントを元ネタにした「グッドハートの法則」と言われるもの:

When a measure becomes a target, it ceases to be a good measure(ある測定指標が目標と化すと、測定指標としての有用性は失われてしまう)

(*なお、対象物がより明確な場合には指標統一による社会的な貢献は大きく、その例として「長さ」を挙げています。関連記事

2。(指標開発者の)価値判断が入っている

2007年にAI専門家が「知能」にまつわる巷間のあらゆる説明を調べ、それらを包含する以下のような定義に辿りついたそうです。

Intelligence measures an agent's ability to achieve goals in a wide range of environment(知能とは、多種多様な環境設定において所定の目的を達成する対象者の能力を測定するものである)

この定義から考えると、知能を測定するにあたっては、(中毒者のように)いかにルールを掻い潜って、あの手この手でなんとか目的のものを手に入れる巧拙を測定するような知能テストがあってもなんら不合理ではありません。

しかし、実際の知能テストは言語能力や数字の操作能力、あるいは空間認識能力といったことを試すような内容になっています。抽象的思考力も現代においては高い知能の当然の一要素のように思われていますが、そういう思考様式が最善であるという客観性はどこにもなく、それは価値判断であることを筆者は指摘しています。

3。あくまでも(現時点で)測定可能なものを測定している

知能測定を例にとると、定量化が難しいもの(たとえば、エッセイの質、ソリューションにおける創造性)、測定に長期間要するもの(新しい言語を学ぶに要する期間など)は取り込まれにくい傾向にあります。

したがって、対象物の大まかな理解を行うために指標を活用することはなんら問題ないのですが、Approximation(概算)と真実を混同してはならない、としています。

指標は、複雑な世界を理解するために補助的に活用するものであって、それを本当の姿(本当の理解)と混同してはならない。

こちらはアインシュタインが自室の壁にかけていた「とされる」言葉:

Not everything that counts can be counted, and not everything that can be counted counts(重要な物事すべてが数えられるわけではなく、また、数えられる物事すべてが重要なわけでもない)

4。単一の数字で表現されている

複雑な世界を単一の数字で補足することはかなり無理があり、多くのことを捨象せざるを得ないのですが、それでもなぜ単一の数字で表そうとするのか。

おそらくそれは、わかりやすいから。すっきりするから。

単一の数字は理解に努力と時間を要さず、また、比較を行いやすい(ランキングしやすい。指標に基づくランキングはバックテストの色彩が強いことも指摘しています)。

私自身を振り返って見ても、やはりどうしてもわかりやすい、キャッチーな情報に反応し、感情も動いているように思います。

また、各種メディアでも、指標の裏にあるニュアンスまでは伝えきれない、伝えない。ということも、筆者は指摘しています。

5。自分の先入観に合致するように数値を解釈する

大規模な数字を活用するためには、Standardization「標準化」→Collection「収集」→Analysis「分析」という3ステップを踏んでいくとのことですが、最後の「分析」においては、自分のセオリーに合致した解釈をしがちだということです。

以上のような留意点を踏まえ、数字を飼いならすためには

・その数字が表していないものは何かを意識的に考える

・数字を思考の起点として活用し、そこで思考停止しない

その数字が、自分にとって本当に重要なものを測っているのかを問い続ける

といった姿勢が重要であると説いています。

最後に、個人的に印象に残った筆者の言葉をご紹介します。

But people who are certain, by definition lack curiosity. If you hang on to your convictions at all cost, you are never receptive to new information. If we want to use numbers well - and information in general - then we have to embrace this uncertainty(超訳:断定的な言い方をする人たちには気をつけた方がいい。彼らには、もはや、本当の世界を知ろうという好奇心は失われている。自分が正しいと思うことに必死にしがみついているので、本当の意味で、新しい情報を取り込めなくなっている。あなたがそういう人になりたくないのであれば、数字、より広くは情報全般を飼いならし続け、不確実性を抱擁し続けなければならない)

自分の知る世界が全てだと思い、本当の世界を知ろうという好奇心を失った時、そこには「退屈」という恐ろしいものが待っているように思います。

ところで、本書においてはもちろん、昨今のビッグデータについても言及があります(クレジットスコアなど、ビッグデータによって行動特性を読めるとしていることに対する筆者の考え)。こちらは、「自由意志」という深淵なテーマにもつながっているように思うので、またの機会に書いてみたいと思います。

それにしても、オンラインでオススメされる本に比べると、書店や図書館といった物理的空間は、想定外の本に出会うためには貴重な存在だと思いました(それでも、自分の関心を引くというフィルターは十分にかかっています)。

本年もよろしくお願いします。

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