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出雲大社だ「感田神社」摂社に( ゚ロ ゚貝塚寺町内「願泉寺」【大阪泉州シリーズ】

感田瓦大明神と称された貝塚寺内町の産土神「感田神社」と重文だらけの「願泉寺」へ!感田神社は願泉寺の鎮守社?神仏習合を感じる随身門である。で、思った・・気づいた・・ここ出雲大社のレア神様いるやん・・。「潜戸神社」忘れずに!!!

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▼HP、アクセス、祭神・本尊と脇時▼見どころ

▽感田神社: 大阪府貝塚市中町10−1

 貝塚寺内町の土地の守り神・産土神「感田瓦大明神」が祭神。1587年に町民に建てられ、感田神社の境内には町中にめぐらされていた環濠跡がある。 という感じで、後述の寺目的だったのだが、行ってビックリした神社。

  • 祭神はアマテラス、スサノオ、菅原道真、産土神

  • 創建年代は不明

  • 海塚村の牛頭天王社、堀村の天神社から勧請し、陶器のほこらを造ったのが始まり

  • 1648年、本殿などが再建

  • 境内にあった神宮寺である天台宗寺院「宗福寺」の住職が神事にあたる

  • 当初は「河原大明神」と称し「河原」を「瓦」に変更

  • 田瓦大明神」から「田瓦明神」に変更

  • 1768年、「田瓦大明神」とする

  • 1813年、落雷により本殿などが焼失したが、翌年には再建

  • 1868年、神仏分離により「宗福寺」は廃寺

  • 1907年、貝塚町北にあった「海幸神社」を合祀

  • 1945年、7月の貝塚空襲で、本殿、神饌所、神楽殿、潜戸神社が全焼、神馬舎が一部被災

公式HPによると「年寄衆が山城国愛宕郡八坂郷の感神院から須左之男大神を、伊勢より天照皇大神を、京都の北野より菅原道真公をお迎えして氏神としてお祭りしたのが始まりです。」とある。

もとは感田瓦大明神と称し、貝塚寺内町の産土神である。創建は明らかではなく、天照大神・素戔嗚尊・菅原道真を祭神とする。1648年に社殿が再建され、宗福寺の住職が社僧として祭祀にあたるようになった。1766年に大明神の号を授けられる。明治の神仏分離令で神職をおかれ、1872年に郷社とされる。

↓由緒

 創建は明らかではないが、今の境内には一之社から七之社まで摂社・末社があり、アマテラス住吉三神、オオモノヌシ、スクナヒコなど祀られている。小さいながらもこの地域の中心的な神社なんだろうと思った。毎年7月には「太鼓台祭り」が行われ、泉州地域では最古の太鼓台祭りといわれている。

→拝殿・本殿

 1648年、社殿が再建され、宗福寺の住職が社僧として祭祀にあたるようになったようだ。神仏分離によって神職を取ったようだ。

 祭神は、アマテラス、スサノオ、菅原道真、貝塚寺内の産土神。

 本殿右へ!

→本殿右:七之社「海幸戎神社」

 オオクニヌシの長男坊ですね。恵比寿様ですね。

 この摂社・末社右奥に祠が・・だれか分かる人いますかね・・?

→本殿左:「二之社「潜戸神社(くけとじんじゃ)

 祭神は𧏛貝比売神、須世理比売神、オオクニヌシ、ウカノミタマ。って、出雲大社やん!!!

𧏛貝比売神(きさがいひめ)は赤貝の神様で、オオクニヌシがオオナムチ時代に兄弟に命を狙われて死んでしまったときに、蘇生させた神様。出雲大社の本殿前に大事に祀られていますよね!

○脇宮三社:摂社・神魂伊能知比売神社(かみむすびいのちひめ。天前社(あまさき))
 御向社東側にあり、祭神は蚶貝比売命(キサガイヒメ)と蛤貝比売命(ウムガイヒメ)の二柱。この二柱はオオクニヌシが兄神の八十神に虐められて、大火傷をされたときに治療をして助けた女神「赤貝」「はまぐり」です。
 前の写真の一番左ですね。その昔は「雨崎社」と表記されていたそうな。雨乞いは流石にないと思うのだが・・。
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○脇宮三社:摂社・大神大后神社@重文(おおかみおおきさき。別名:御向社)
  本殿東側にあり、祭神はスサノオの娘&オオクニヌシ妻・須勢理比売命(スセリヒメ)。下の写真の真ん中です。
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○釜社
 釜社は「お稲荷さん」こと宇迦之魂神(ウカノミタマ)が祀られている。スサノオの子で、大歳神と兄弟です。本宮は伏見稲荷大社ですね。って、やはり秦氏も出雲系なのか??

スセリヒメ
 オオクニヌシとスサノオの娘・スセリヒメは結婚するが、国譲りで離婚か別居することになる。スセリヒメの最終の地は唐王神社。

オオクニヌシとスセリヒメは今でも仲睦まじく同じ社に祀られる神社がある。それが、意外や意外!?奈良・春日大社の摂社・末社「夫婦大国社」である!

→白馬、神楽殿

→濠

 貝塚寺内町は元々環壕に囲まれた町で神社も昔は壕の中に有ったようで、環壕の殆んどが埋めれてしまい残っているのはここだけのよう。

→一之社「八品神社」「金毘羅神社」「淡島神社(淡嶋神社)」

 「八品神社」の祭神は天櫛玉命、「琴平神社」の祭神はオオモノヌシ、崇徳天皇、「淡島神社」の祭神はスクナヒコ、オオナムチ、息長足姫命。

天櫛玉命
・ニギハヤヒの天孫降臨の時に属神となった
・鴨県主等の祖で、御子神に天櫛耳命
・『伊勢国風土記』に「伊勢と云うは、伊賀の穴志の社に坐す神、出雲の神の子、出雲建の子の命、 又の名は伊勢都彦の神、又の名櫛玉命、此の神、昔、石もて城を造り、 其の地に坐しき。ここに阿倍志彦の神、来り奪えど勝たずして還り却りき。因りて名を為しき」とある。
・大己貴神の前に出現した奇魂神と同神

→三之社「神明神社」、四之社「住吉神社」、五之社「春日神社」

 ここは出雲に国譲りを求めた神様たちですね。
 「神明神社」の祭神はアマテラス、トヨウケで、「住吉神社」の祭神は
底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長帯姫命で、「春日神社」の祭神は
建御賀豆智命(タケミカヅチ)、伊波比主命(イバヒヌシ)、天之子八根命、比咩神の春日大明神ですね。伊波比主命(イバヒヌシ)はフツヌシです。

→六之社「初姫稲荷神」

 祭神はウカノミタマ、大宮女命、猿田彦命ですね。伏見稲荷大社祭神集合ですね。だが、田中大神などはいないですね。

→随身門

 本当はここから入るのが正しい参拝でしょうね。ここから「願泉寺」に向かいます。元々は寺のものだと思います。

 って、神社に同じタイミングで入った年配の夫婦も、同じコースを歩いていますね(笑)

▽願泉寺(貝塚御坊):大阪府貝塚市中町5−1

 774年創建で近所の方が守り続けた寺。「ぼっかんさん」として親しまれ、室町時代に大きくなり、江戸時代の本堂・太鼓堂・鐘楼・表門が重文に指定されている寺。

→表門@重文、目隠塀@重文

→本堂@重文

→築地塀@重文、太鼓堂@重文・鐘楼@重文


→そのほか


▼満泉寺:願泉寺横

▼旅行記

▼セットで行くところ


▼仏像展


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