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西宮神社と廣田神社の間にある「昌林寺」と「津門神社」【兵庫県】【兵庫県西宮市】

多田源氏の出身地である川西市・満願寺と小童寺と同じ美女丸伝説がある。源満中の家臣である仲光は、主君の子「美丈丸」の身代わりに我子である幸寿丸の首を刃ねて美丈丸の命を助けた。それを知った美丈丸が供養のために建立した寺院とのこと。

変更履歴
2021/11/20 初版


▼HP なし

▼アクセス

昌 林 寺:兵庫県西宮市津門西口町14-12
津門神社 :昌林寺の隣

▼見どころ

本尊は阿弥陀三尊で阿弥陀如来は上品下位で快慶発案の安阿弥様である。

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昌林寺横に津門神社があった。津門神社は祭神「アマテラス」となっており、確かに鳥居が神明系で納得。で、由緒によると毘沙門天とオモイカネを祀るって、神仏習合の生き残り、ここにあり!!

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▼セットで行くところ(旅行記)


▼再参拝に向けて

 以降、参拝後に家で調べたメモです。やはり事前準備は大事だな・・。

 この神社は「松原天満宮」の隣に鎮座していたようで、昌林寺の山号は「松原山」なので、松原天満宮はかなり大きかったと予想する。ちょっと調べて、松原天満宮とここをもう一度行こうかと思う。

・メモ1:ここまで海?
 「津門神社の発祥は務古の里で、務古の里は古来、自然の良港であり、津登、津奴、津門との名称がありました。」とあるので、やはりここまで海だったのかもと思う。今では内陸部だが、昔は港だったとか結構あるんですよね。つまりは今より海面は高かった、もしくは陸が隆起したのいずれか。

・メモ2:池田市のハタ系神社もつながる「漢織(あやは)」「呉織(くれは)姫」

「昔は京都と山陽四国地方との間を行き交う舟の出入りも繁しく摂津の国唯一の良港でした。漢織(あやは)、呉織(くれは)姫が百済より渡来し、わが国に初めて機織又は染物などを教えた場所に彼らが外来渡来の神(大日如来)を勧請して創立したといわれています。」とあり、大日如来が本来で、神仏分離などで、神道の最高神「アマテラス」にしたのだろう。

・メモ3:道真
 「今から1000年以上も前の平安時代の延喜元(901)年、京都追われた菅原道真公が太宰府に赴く途中、白砂青松を愛でられ、小祠で休憩され、その祠が津門大明神と称されて里人が崇敬する津門の氏神です。」とあります。

こんな感じで用意して参拝するand周りの神社仏閣をチョイスしています。


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