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「どう書くか」ではなく「誰が書くか」だと気づいてしまった私は


何かを表現したいとか、誰かを救いたいとか
もっと自分を認めて欲しいとか、好きになって欲しいとか

世界観を作りたいとか、なんとかかんとか

私の中に渦巻く欲望はどうしたら満たせるのかを
やらしいくらい考えていた


でも
面白いnoteを読んでみて気づいた

「面白い文章を書ける人」が書いたから面白いんじゃなく
「面白い人が書いた文章」だから面白いのだ、と

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私は 面白い だろうか


面白いってなんだ?



考えてみたんだけど


きっと自分にはできないようなことをやっている
ということだったり

自分もこうなりたい
と思わせられる姿だったり

どこかぶっ飛んでいて
でもそれがカッコ良くて
憧れてしまったり笑ってしまったり
自分や自分の周りには存在しない
「新鮮さ」「斬新さ」なのだろうと思った



今の私は

一般企業に勤める会社員で
それなりに友達もいて家族も優しくて
収入は多く無いけど少なすぎず
容姿も普通、学歴は高卒
23歳の女で来月から一人暮らし

どこにでもいる女だ

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でも、変だと自分で思う部分もある

どこで働いていても楽しいけど
「この仕事が一番楽しい」と思える仕事が世の中に無いと思っていて

だったら自分でそういう仕事を作ろうと思っていること


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SNSのいいねやフォロワーなどの他者評価で自分の価値を測ってしまうこの世界が
怖くて怖くて 嫌で嫌で 仕方なくて
そんな世界から、救うべき人を救いたい
そんな仕事をしたい



こうやって文字にしたって人に伝えられる文章にならないのは
まだ、自分の中で言語化できていないからだと思う。


自分の中で考え続けたって、まとまらないから
誰かにとって「面白い」文章では無いけれど
今はただ「面白い人になるため」
noteを書いて、少しずつ言語化していこうと思う。

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