グリーン・バスケット・ケース

統合失調症の若者たちが集まって、ネットラジオを運営しようとする話。主人公の独善的な性格が原因で、サークル運営は破綻する。それでも、いろいろな人と接触し、生きる道を探していく。

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11月A
緑のアイコンを押したならわずかなノイズが生まれて唾を飲み込んだ。すぐに航太の声が聞こえたから僕は右手で合図を送る。
「大丈夫、キハラ君も招待して」
キハラ君は畳の上でノートパソコンを包み込むように胡座をかいていて、いちど視線がぶつかると彼の眼は僕を離れて所在なしにディスプレイに戻る。すぐに生ぬるいビープ音がキハラ君から発生する。彼は指先をぎこちなくスクラッチさせて航太の呼びかけに答える。聞こえてる、聞こえてる。四人とも同じ言葉を何度かつぶやいて接続を確認する。右耳を覆うヘッドセットからは、航太、シロ、キハラ君の声が聞こえる。あらわになっている左耳からもキハラ君の声はじかに聞こえるが、インターネットを経由するそれとのずれはほとんどない。
「接続に問題ないならヴォリューム・バランスを調整します。まずSaiさんから」
僕は台本の冒頭に書いておいた注意事項を読み上げる。
「緊張は必要なし。まず僕らが楽しもう」
少しリズムが乱れて固かった声を聞いた航太は早口になりながら言う。ちょっと音上げてください。航太の指示にしたがって左手で握ったマウスを動かし、音量コントロールのゲージを引き上げてゆく。また喋ってください。あ、ちょっと上げすぎ、下げて。うん、そのくらいで。じゃ、次、シロさん。
昨晩、僕が皆にテキスト・ファイルで送信しておいた台本をシロも同じように読む。
「噛んでも気にせず次へ。いつもリラックス」
抑揚がほとんどない棒読みで、たばこの自動販売機が言う謝辞を連想してしまう。僕は刹那に笑いそうになり、マイクにかかった息の音が空気となって四人に共有される。
航太は僕を無視してシロにはOKサインを出し、キハラ君を促す。
「時間を守るより、伝えたいことが大切」
元気にあふれるわけではないけれども、その落ち着いたやや低い声に僕は安心する。航太の指摘のままにキハラ君はタッチパッドを擦って音量を調節する。彼から伸びたLANケーブルは僕の目の前にあるルーターに繋げてあって、正方形の小さなランプが細かく点滅する様を見ると、キハラ君が今、考えていることも伝わってくる気がする。僕たちがこれから始めようとしていることはきっと革命的な意味を持つし、いつか話題になるだろうから、僕らがテレヴィ番組に出演することもあるかもしれない。自分の昂揚が電気信号に変換されて、それぞれの自宅で録音にのぞむ航太とシロにも感染していって欲しい。このもどかしさがそのまま音声ファイルを構築していったなら、今回の収録はきっと成功するだろう。
「もういちど流れを確認して。台本どおりにやるから」
台本には、誰が何について何秒で喋るかが順番に記してある。なるべく自然な会話になるように、話の展開をシナリオのように組みながらも、台詞そのものは書かなかった。数分のパートごとに収録して、それを編集をせずに繋げて三十分の番組にする。普通に喋っているように見せかけて、それでいて無駄がなく内容が濃くあるためにも細やかな台本は必要だと思った。四人はこれまで本当に経験がないのだから。
「リハーサルはしないので。一発本番。少し失敗しても取り直さないから」
僕がマイクに向かってそう話すと、後ろからキハラ君の不安な息が聞こえる。まじですか、できるかなあ。すると航太がカチカチとマウスをクリックさせながら言う。大丈夫、いつものように喋ればいいだけだから。
インターネット・ラジオを作る方法はいくつかあって、スタジオを設定しそこに全員が集まってもいいし、出演者が離れた場所にいてもスカイプというネット電話を使い、その会議機能を利用して、数人が同時に喋っている様子を誰かひとりのコンピューターに収録するのでもいい。今回はなるべく労力を減らすためスカイプを採用し、航太が録音することにした。ただキハラ君は不断PHS回線でインターネットに接続していてネット電話が不安定であるから、僕の部屋まで来てもらい、彼を有線LANで繋げることになった。
航太がマイクを外して部屋を出て行く。トイレから帰ってくると、またすぐに何かを飲んでいる。液体の喉を通る音が収まるのを待つ。
シロの携帯電話がメールを受信し、ヴァイブレーターの振動音をマイクが拾う。マナーモードではなく電源を切るように、もう一度彼に注意を与える。
僕は目を瞑る。ヘッドセットから右耳に伝わってくる空気に五官を集中させる。
感じるんだ、インターネットを這う音を。本当にあるものすべてが鼓膜を揺らすように。耳を塞いでいる何かを、この気持ちから取り払うんだ。
航太、シロ、キハラ君。それぞれの呼吸の波形が右耳に接着したスピーカーから振動し僕の肺機能を整えてゆく。タイミングがあるはずだ。四人の息がぴったりと合わさる瞬間が必ずある。
「航太、準備はいい?」
「いつでもどうぞ」
「シロさん、気負わなくてもいいから」
「分かってる」
「キハラ君、楽しめればそれでいい」
「頑張ります」
脳の神経細胞を行き来する電気信号が自分の身体を伝わって、インターネットの網目を泳いでゆく。ヘッドセットに意識を集める。吐く音の息。吸う音の息。うん、そろそろだ。四人の流れはもうすぐ一致する。
「じゃ、はじめよう。航太、キューよろしく」
航太がサン、ニと呟く。僕はイチを飲み込む。確実に摑んだ何かに自分の息を合わせた。

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ヤナ

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