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人を鈍器で殴らないために。

幼稚園児〜小学生の頃、非定型発達児らしく集団生活が全くできなかった。
幼稚園からも小学校からも脱走して家に帰ったことがある。
自分の中で筋が通っていないと思うと、いじわるをした相手をとにかく打ちのめさないと公平では無いと思っていたので、
どんなものを使ってでも一発殴ろうとしていた。
時代が時代だったので、発達障害児のためのケアなんて受けたことがなく、この気性は自分でどうにかする他ないまま育った。

そして、「なあなあ」とか「みんな仲良く」とか「集団の和」とか、どれも反吐が出るほど嫌いなまま大人になった。

まあ、そんな人間が思う話。

つい今さっきこのAbemaPrimeに関する感想ツイートを目にして、非常に愕然とした…いや、感情を煽るような演技がかった言い方はやめよう「薄々そうだとは思っていた」。

そういうときにスッと
「女性*1であることに誇りを持っていること」
って言えないんだなあ、学者先生が。

(もし、たまたま上記の感想ツイートに書かれていないだけで、ちゃんと「誇りをもつこと」といった主旨の発言があったなら、以下は読まずに無視しておいて欲しい)

誇りがないままで、はたして正しく男尊女卑に怒れるのだろうか。

誇りも矜恃もないから、実に気安く「男の所有物」とか「被害者」とか言えしまうのだと、最近わかってきた。
フェミニストらが言う「女性は歴史の中で常に被害者であり、男性は男性というだけで加害性があるのだ」という言葉に軽い違和感を覚えたのが、これに気づいたきっかけだ。

はたして、本当にそうなのだろうかと、知りうる限りで歴史上の日本人女性のことを振り返ってみた。

最初に本などで読んだ際に、記憶にあまり留めていなかった物事もあったが、思い返せるだけでも「日本人女性」は他国と比べても驚くほどに自立して自由を謳歌してきた。
(もちろん貧しい者、地域格差、飢饉などの有事においては例外もあろうが、それこそ単純な男女問題に落とし込んでいいものではなかろう)

それで、とてもではないが先人の誇り高い生き方を前にして、
女性全体をまとめて卑下した上で「所有物」「被害者」「奴隷」といった言葉で表現する傲慢さを自分は持てなくなってしまった。
(正直にいえば、誇りも何もない卑しい身分であった方が楽なのだ。これは全く私個人にとっては望む所ではなかったことも申し添える)

しかし、女性の解放と女権の拡張を訴える人たちには、「誇り」という意識はすっぽ抜けているらしい。

「我々は誇りを持てないようにされてしまったのだ」というなら、
「ではまず、絞り出しててでも、人間として女性として、男性と同等かそれ以上の誇りを持ちなさい。それがフェミニストの条件です」と言えないものだろうか。いや、これを言わないと誠実ではないと思うのだ。

尊厳や誇りは他人に用意させて、その身に付け方までを教えてもらえるものではない。こればかりは自前で用意せよと、厳しかろうと言わねば不誠実だ。
何故なら、カルト教団やモラルハラスメント、DVの加害者など、
「人を惑わしてやろう」「利用してやろう」という人間ほど、
たやすく「これを誇りにしたら良い」と言って、自分に都合の良い価値観を寄越してくるからだ。

誇りのありかを他人に握られるというのは、心臓を握られているのと同じだ。

「誇り」を第一条件にするのは精神論じゃない。
自分の身を守り、そして他人の身を守るために必要な命綱みたいなものだ。
これは他者に公平であるためにも大事な綱だ。

「絞り出しててでも、人間として女性として、男性と同等かそれ以上の誇りを持ちなさい」と言ったが、
「男性と同じかそれ以上の誇りってなんだ」という視点で世の中を見てみることは、自分が誰かを踏みにじらないためにも必須だろう。

そうしたら「思った以上に、男性も誇りを奪われたり踏みつけられたりしているな?」と気付けるはずなのだ。
いや、これも自分自身の誇りと同様、気づかなくて済むなら気づかずにいた方が楽だったと個人的には思う。だが、気づかずにいられなかった。

以前に書いたとおり、自分は無性愛者を自認しているので特別に好意を持ったり優遇したいと思う男性は一人もいない(芸能人相手でも特段誰かを贔屓したいという気持ちは非常に薄い)のだが、それでも「ちょっとそれはあまりではないか」という出来事がたくさんある。

たとえば、男性は30歳もすぎると不審死していてもニュースにさえならない、とか。
これは事故物件公示サイト大島てるの管理人である大島てる氏の話である。

上記のサイトにアクセスしてもらうと、日本地図に大量の炎のアイコンがあるのが見えるが、あれが全て事故物件である。
縮小された状態では見やすくするためにアイコンをひとまとめにして表示しているが、地図を拡大していくと、全国ありとあらゆる場所に事故物件があるとわかる。
「そこで人が死んだ」という印だ。
そして、大島氏いわく「ほとんどの事故物件はニュースにならない」
「若くない、有名でも無い男性が死んだとしても、女性と比べるとニュースや新聞記事にしてもらえないから登録するのが大変なのだ」という。

「男女とも異性の最下層のことは互いに見えていない」と指摘する人がいるが、私はこの炎のアイコンの大多数こそが自分に見えていなかった誰かなのだと、そのとき少しだけ認識した。
ニュースにはならないまでも、もし遺族や友人知人らが悲しみ「彼はこんな死に方をしたのだ」と語っているとしたら、おそらく大島氏の活動はもっと楽なはずなのだ(実際身内や関係者からの報告で調査を始めることはままあるそうだが、そういった例に漏れる事故物件の方が多いようだ)
彼らの多くは誰にも顧みられずに孤独に死んでいる。

事故物件を表すアイコンになってしまった、私に見えていなかった誰かの中で、孤独に絶望して誇りを奪われて死んだ人がもしいたなら、一体だれが彼/彼女らをそうさせたのだろうか。
男性社会が全て悪いのだろうか。社会の半分を構成する女性は一切そこに関与していないんだろうか。

誇りを不当に奪ったり毀損しているのは、誰なのかを考えていると、目眩がするほど大きくて複雑な「世間」としか言いようのないものが見えてくる。

「世間」は魍魎だ。京極夏彦が表現したような意味での魍魎だ。
見る人によって姿を変えるし、告発されればぐにゃりと捻れてトカゲのしっぽよろしく人柱を立てる。
捕まえようとしても捕まえきれない。四方にいて、一つ一つを潰そうとすれば他の三方に隠れるものだ。

私はこいつをこそ憎む。
どうにかして引きずり出して、ぐにゃぐにゃと歪むその体を一つ一つ解体して、どんな道具を使ってでも全部を叩きつぶしたい。
そのためにはいま首根っこを捕まえた目の前の誰かに振り上げた鈍器を床に下ろしたっていい。
腹は立つが、本当に憎いのはこいつではないのだ。

そう、こいつではないのだ。
私がずっと一発殴り飛ばそうとして追いかけ回しているものは、まだ殴れていない。拳はまだ掠ってさえもいない。


*1「女性」という性別の区分が不適当というご意見もあろうが、「体が女性、心が女性、嗜好の一部が女性、とにかく自分は女性だと思う者は全員女性」ぐらいの意味で使う(この考え方でまた学者は荒れるようだが)

サポートくれた方、本当にありがとうございます。 絵の資料とかうまい棒を買います。