見出し画像

やらなきゃ負ける

絵を描くこと自体に勝ち負けはないと思う。
それでも、やらなければ負けしかないのだ。当たり前だけど。

私には今年小学生になった娘がいる。

もともと私は大学で日本画を学んでいたものの、卒業後作家として生きることをイメージできず、仕事が面白かったのもあり絵から離れてしまった。再び絵を再開するまで約9年もの間である。

娘が産まれてから、勿論娘は可愛いけれど、あまりにも娘中心の生活で自分を見失ったことが辛かった。自分が何が好きなのか?何をしたいのか?何を食べたいのかすら分からなくなっていた。欲望が見えなくなってしまったのだ。(今になって思えば、自分の娯楽も大切にしていればよかったと思うが、その時は余裕がなかった。)

少し娘が大きくなって、LINEスタンプを作ってみたり、お菓子作りに凝ってみたり、キャンプを始めたり、自分の欲望を思い出すために色々なことをしてみようとしていた時だった。大学の友人が2人展を開催するという知らせを受け、足を運ぶことにした。

そして展示を見て沸き立った感情は「嫉妬」だった。

私の原動力として嫉妬はかなり重要なものでポジティブなものだ。
嫉妬すること、それはすなわち、自分もやりたいということだ。

母親という役割を得て幸せな反面、子どもが主人公で自分が脇役のように思える人生は、なんだか子どもに対しても良くない気がしていた。自分自身がどう生きるのか?どう生きていきたいのか?その答えを見つけた気がしたのだった。

絵を描いて生きる。
絵で生きていこうなんて無謀でおこがましいと思っていた。しかし絵で生きていけるか分からなくても、絵を描いて生きていきたい。その思いが溢れて、展示からの帰り道、目の前がものすごくクリアになったことを覚えている。

今からいっぱい描いて取り戻そう。これからずっと続けていこう。
絵を描くことは、好きとか嫌いとか諦めるとか諦めないとかではなくて、いつでも辛い時の自分を支えてくれて、自分を保つことに必要なものだったのだ。何でこんな近くにあったものを忘れてしまっていたんだろう。
自分で絵を描いていく、そして沢山描いたその先を見てみたい。それが私の欲望なのだった。

その友人の一人と展示の前に雑談していたLINEの中で彼女が「やったもん勝ち、やらなきゃ負けだから」という言葉を発した。
それは彼女自身に向かっていた言葉でもあったが、私を鼓舞してくれたものかもしれないと思った。「やらない」を選択してしまってからずっと絵を描くことに蓋をしてきた劣等感のようなもの。負けの感情。それを覆すためにも、自分の欲望のためにも、私は再び筆を取ったのだった。

それから絵を描き続けている。これからもきっと、描き続ける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?