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栗屋敷のユリ【第2章】朝

グリーク:「ペール・ギュント」組曲 第1番「朝」 
 鳥の鳴き声で目が覚めた。二人ともまだ寝ているので、そっと外に出てみる。ちょうど朝日が差し込んで庭の草を照らしている。
 白いワンピースに長いベストを来た女の人が、となりの家の前で朝日に向かって両手を広げていた。手首にたくさんしているブレスレットが光を反射している。こちらを見ると軽く微笑んで、また元のように両手を広げている。
 とても気持ち良さそうだったので、私も同じように深呼吸してみる。太陽って暖かいな。足元をふっと何かが通る。黒い猫が女の人の足にまとわりついていた。となりの住人は魔女? 家の中には大きな鍋、はた織機、動物の死骸や何かが吊してあるに違いない。家の中をそっと覗いてみたが、窓にイルミネーションがぶら下がっていて、中はよく見えない。女の人は私を気にする様子もなく、猫と一緒に家の中に入っていった。
 挨拶くらいすれば良かったと思いながら、庭をしばらくうろついていると、突然、目の前にさっきの女の人が現れた。若く見えたけれど、顔をみると目じりに少しシワがある。
「いま焼き上がったスコーンだけど、良かったらどうぞ」
「おはようございます」
 差し出された紙袋を受け取る。ふんわりと甘い香りが漂ってくる。お礼を言おうと顔を上げるともう姿がない。
「ユリ?」
 うちの方からママの呼ぶ声がする。お礼は今度にして、とりあえず家に戻ることにした。
「となりの人がくれたよ」
 ママに紙袋を渡すと中を覗き込んで不審な顔をしている。
「何これ?」
「焼きたてだって」
「学校に行くのにお腹こわすといけないから、昨日パパが買ってきたパン食べて」
「えー、せっかくもらったのに?」
 ママはずぼらなくせに、妙なところにこだわることがある。
 まだ寝ているパパを残して、私はママと一緒に学校に向かった。家は学区の境目にあって、学校までは十五分くらいかかった。学校の桜はまだ散り切っていなくて、校門を通った時に風が吹いて花びらが舞った。ママが両手を広げて花びらをつかもうとしている。ただでさえ目立っているのにちょっと勘弁してほしい。
 ママは茶髪のロングヘアで、Tシャツに膝が破けたジーンズをはいていてお化粧も朝からバッチリ。アクセサリーをじゃらじゃらつけている。受付に行くと事務の人が担任の先生を呼んでくれた。
「お姉さんですか?」
 なぜ母親がついてこないのだというように先生が聞く。
「母です」
 私が代わりに答える。いつもこう言われるのがママの自慢なのだ。私は先生と一緒に教室に行くように言われ、ママは手続きをするために職員室に残った。
 とにかく笑顔。最初が大切。私は緊張しながら教室に入った。みんなにママと一緒のところを見られていませんように。
 休み時間になると、背の高い男子が話しかけてきた。
「どの辺りに引越して来たの?」
 かっこいいことを自覚している苦手なタイプだ。誰もが自分の話に聞き入ると思っているのだろう。まわりに人が集まってくる。
「新松町ってとこだけど、まだこの辺のことがわからなくて」
「幽霊屋敷のあたりか」
 まわりの人たちが一瞬かたまった。大家さんの家のことかもしれない。  「池があってさ。溺れて死んだ子どもの幽霊が出るんだよ」
 やっぱりそうかも。さらに話しかけてくるので、よくわからないふりをした。適当にごまかしておこう。そのうちにリョウと呼ばれているその男子は、まわりの子を引き連れていなくなった。良かった。無理をして笑顔でいるのは疲れる。
 帰りに同じ方向だという女子二人が声をかけてくれた。私は幽霊屋敷の奥の借家に住んでいることはだまっていた。私は二人と別れる時、本当はまっすぐ行くところを、左の新しい住宅街のほうに曲がった。きれいな戸建てが並んでいるところだ。
 家に着くとママは片付けに追われていた。
 「お昼は適当におにぎりを食べて」
 そう言ってビニール袋ごと渡すと、また奥に行ってしまった。私は庭に積み上げてあるプラスチックの衣装ケースの上に座った。ちょうどその時、となりの魔女が家に帰ってきた。
「こんにちは。クッキーありがとうございました」
「スコーンね」
 やんわりと訂正される。ママが玄関先に現れた。
 「昨日越してきた青江です。なんかうちのユリがビスケットもらったみたいで…」
「スコーン」私と魔女が同時に言った。
「金元です、どうも」
 魔女はそれだけ言うと玄関に向かったが、くるりと向き直って私に言った。
「えーっと、ユリちゃん。暇だったら、うちで一緒にお茶する?」
「いい?」
 ママの方を見て聞く。
「すみません。まだ片付けがいろいろあって…」
 ママが答えるのを聞いているのかいないのか、魔女はもう玄関のドアをあけていた。

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