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現代ドイツの合唱事情 vol.1 アマチュア合唱団 -聖歌隊から炭鉱夫まで-

※この連載は2017年〜2018年にSalicus Kammerchorのサリクス通信に掲載されていたものに修正を加えた再掲となります。

多様極まるドイツのアマチュア合唱

欧州内各宗派のキリスト教会内における合唱活動の長い歴史に加え、世界最古の市民合唱団と言われるSing-Akademie zu Berlin(ジンクアカデミー・ベルリン 1791年創立)を擁するなど、ドイツのアマチュア合唱は他国のそれに比べてもとりわけ歴史が長く、それだけに独自の形態・伝統をもった合唱団が各地に林立し、ひとつの「合唱界」なるものを形成することも、おそらくその必要すらもないまま、各々の興味深い活動を謳歌しています。

 今回はそれらのうち、私が現地で見聞したとくに癖の強い(笑)2つのグループを紹介します。


アマチュア合唱団としてのカトリック聖歌隊

-Kath. Kirchenchor St. Cäcilia Oggersheim
(オッガースハイム・聖セシリアカトリック教会合唱団)-

 19世紀におこったカトリック音楽の復興運動「Cäcilianismus(聖セシリア主義)」は、作曲技法上の復古運動としてよく知られていますが、運動の実践体のひとつとして、アマチュアのカトリック教会合唱団がこの時期に各地で多く創立されたのも重要な歴史的事実のひとつです。こういった合唱団はのちにAllgemeinen Cäcilien-Verband für Deutschland(ドイツ・一般セシリア連盟)という1868年設立の組織(いわば、カトリック教会合唱専用の「合唱連盟」)に取りまとめられることとなり、現在組織下には全国16000の合唱団と40万の歌い手が所属しているとか。

 私が留学当初から帰国直前まで指導していたKath. Kirchenchor St. Cäcilia Oggersheim(オッガースハイム・聖セシリアカトリック教会合唱団)もそのひとつで、1832年創立、185年の長い歴史を持つ合唱団です。オッガースハイムはプファルツ地方東部にあり、現在はルードヴィヒスハーフェンという都市に吸収され行政的にはその一部となっている小さな村ですが、Wallfahrtskirche Mariä Himmelfahrt(聖母被昇天巡礼教会)という初期古典様式建築の立派な教会を中心に3つのカトリック教会をもつカトリック文化の根強い地域で、教会合唱団もその中で充実した活動を重ねてきました。

 2次大戦後の全盛期には、150名近い団員を擁していたようですが、私が指導しているときには落ち着いており、30名ほどの規模でした。

 取り組む典礼音楽のレパートリーは、それこそ「聖セシリア主義」にのっとり、パレストリーナを中心とするルネサンスのアカペラ・ポリフォニーに積極的に取り組むという伝統が戦後にわたって続いており、私の先々代の指導者であるLeo Bader(レオ・バーダー)が1945年から2008年という超長期の指導期間の間、そのレパートリーに徹底的に取り組み、合唱団の響きの礎を築きました。こういったレパートリーへのこだわりは、今となってはドイツのカトリック教会合唱界にあっても珍しいことと言えるかもしれません。

 その内実は現代の、いわゆるピリオド的な演奏態度からはある種かけ離れている面も少なくはないし、パレストリーナもビクトリアもドイツ発音のラテン語で堂々と歌われるのですが、こういった類の音楽をまごうことなく「身体化」している教会合唱団の面々のうたは、指導者としてそこに立つ私にいつも示唆を与えてくれたし、また今後の音楽活動のために、大学での勉強以上に大切な体験をさせていただいたと思っています。

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Wallfahrtskirche Mariä Himmelfahrt(聖母被昇天巡礼教会)

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教会内部の様子 (c) Eiji Yamamoto


炭鉱で働く男たちの合唱

-Saarknappenchor(ザールクナッペンコア/ザール炭鉱労働者合唱団)-

 「炭鉱で働く男たちの合唱」…オペラの役柄の話ではなく、実在する男声合唱団の話です。

 20世紀前半にドイツでおこるSingbewegung(歌唱運動)に呼応するように、ドイツ炭鉱労働者のあいだでも音楽の楽しみと炭鉱労働者同士の連帯・交流のための合唱活動がさかんに行われるようになりました。こういった類の男声合唱団はKnappenchor(クナッペン・コア)あるいはBergmannschor(ベルクマンズ・コア)という名称で各地に今も存在しています。

 私が留学していたドイツ・ザールラントはルール地方に並び鉄鉱石の国内一大産地であり、かつてはその権益からフランスとの間で領土争いの絶えない地域でもありました。そんなザールラントの炭鉱労働者も例に漏れず、Saarknappenchor(ザール炭鉱労働者合唱団)という名称の男声合唱団を1948年に設立しました。

 合唱団はSaarbergwerke社(のちにRAG Deutsche Steinkohle社)という鉱山企業の傘下に属して潤沢な資金で運営されてきており、設立当初から世界各地に演奏ツアーを行うなど、炭鉱労働者と聞いて想起されるイメージとは正反対とも言えるなかなかに華々しい活動が行われているのが特徴です。遠征活動に際しては団員にお小遣い程度の報酬も出るようで、若いプロ音楽家よりよっぽど「プロ」していたりして…。そして、このかっこいい衣装を御覧ください。この姿で鉱山の男の団歌「Steigerlied」を歌われたときには、惚れてしまいます。

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現在のSaarknappenchorの集合写真
黄色い羽帽子が指導者のMatthias Rajczyk
(マティアス・ライチュク 私の指揮科同級生)

 70年代には東京に演奏に訪れたこともあり、そのときは「男声合唱団 東京リーダーターフェル」と交流が行われたとか。私がSaarknappenchorへ単発の合唱指導に訪れるときには、当時の東京ツアーに参加したメンバーがいつも嬉しそうにその話をビール片手にしてくれたものでした。

 実はザールラントの炭鉱は2012年に完全に閉山し、またドイツ全土でも2018年までには全炭鉱の撤退が予定されています。炭鉱の歴史と文化を語り継ぐ存在として、これからの彼らの合唱活動の発展を祈りたいです。

 ザール鉱山閉山式での映像。彼らがいかに街の人に愛されてきたかわかります。


歴史をつくる合唱活動

 ドイツの有象無象に立ち上がっては消えてゆく多くのアマチュア合唱団をみていくと、今回の2団のように歴史の深みをもち存続する合唱活動は、それが成り立つだけの十分な地域社会的背景があること、一方で「業界」のことはほとんど気に留めていないこと、また長い時間をかけて活動を続けてきたことそのものを我田引水に誇ることはなく、むしろ現在的な存在としてその時その場所のニーズを満たし続けていることが言えるでしょう。

 日本でひとつのアマチュア合唱活動を考えるときにも、大いに参考になる事例があるドイツのアマチュア合唱事情。本文章がそれらの片鱗を垣間見る一助となっていれば幸いです。



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