メディアの話その112 レイヤー思考(16号線も)。

レイヤー思考という、思想がある。

いま、私がでっちあげた。

レイヤー思考とは、なにか。

それは、過去から現代、未来に向かって、文明は「レイヤー=層」が1枚ずつ増えていくかたちで進化している、という思考法である。見立て、といってもいい。

新しい文明、というのは、1枚のレイヤー=層、なのだ。

過去でいえば、「農業」なんかがそうだし、「活版印刷」もそうだし、「蒸気機関」もそうだし、「電化」なんかもそうである。そんな「層」が積み重なって、文明が地層のように分厚くなっていく。

で、新しい「層」は、過去の「層」をなんらかのかたちで文字通り土台にしているから、地層の順番が逆になることは、ありえない。

街がそうである。

街をみるときは、その街をかたちづくっている「レイヤー=層」を見る必要がある。

新宿ゴールデン街という街がある。

この街は、コロナ直前まで、海外の観光客がこぞって集まる「(海外のひとからみたら)日本的でエキゾチックな気持ちのいいい「スラム」な飲み屋街」であった。

その前は、文化人や芸能関係なども集まる、ある種の反権力的でありながらエスラブリッシュな飲み街であった。

という具合にどんどん遡っていくと、いちばん下には文字通りの地層が出てくる。

そう「地形」である。

ゴールデン街とバックの歌舞伎町は、新宿プリンスあたりを水源とする「蟹川」の源流域である。川はゴールデン街の隅を抜けて、日清の本社の脇を通り、蛇行する一方通行のルートをたどって、大久保通りをくぐり、早稲田大大隈講堂の手前から、江戸川橋商店街沿いに神田川に合流する。

ちなみこの蟹川流域上流で物語が始まり、蟹川流域下流で物語が展開する、誰もが知る映画がある。

『天気の子』である。

新宿歌舞伎町のマクドナルドから話ははじまる。日清の前のバス停からバスに乗る。そして。主人公が転がり込むライターのオフィスは、江戸川橋商店街の近くの坂道沿い。

話が、飛んだ。たとえば、新宿ゴールデン街が、業界人の飲み屋街から世界観光地に変わった理由には、まちがいなく2010年代に新しいメディアのレイヤーができたからである。スマホとSNS、そしてその2つから発信される「写真」と「映像」というメディアコンテンツの流通である。

ごちゃごちゃしたゴールデン街は、エキゾチックで魅力的で、ロストイントランスレーションでブラックレインな「映え」る「絵」として、世界のツーリストに共有されるようになったのだ。しかも、安全。もはやデフレの国となった日本の物価は相対的に安いので、価格面でもリーズナブル。ひとが集まらないわけがない。

そのちょっと前、ゴールデン街は世代交代の波があったように思う。ひとりの酔客としてそんな思い出がある。戦後から活躍してマスターやマダムが高齢化し、お客さんも年老いた。2000年代前半のころ。でも、あのときに海外からのお客さんを増やせたか。無理である。スマホとSNSという「メディアのレイヤー」が存在していなかったからだ。

街の再開発から、マーケティングにいたるまで、文明の「レイヤー」に視座を向けないと、ピンポイントの策で終わってしまう。逆に、新しい、そして息の長いレイヤーにうまく乗れば、自律的に市場が広がったりする。

1970年代の新宿の映像を映画でみる。いまの新宿を実際に歩いてみる。

一見大して変わってない。50年経っているのに、だ。では、何が変わったのか。それは50年の間に積み重なっている文明のレイヤーである。そのレイヤーは確実にあるけど、目に見えないものだったりする。コンビニの流通網、宅急便の配送網、ケータイ電話、インターネット。。。そう。1990年代からこっちに生まれたレイヤーの大半は、電波と電線と自動車に乗っかった目に見えないレイヤーなのだ。

国道16号線をみるときも、このレイヤーに注目すると面白い。

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