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プリンスは生きている。

プリンスが死んじゃった。


70代のブライアン・ウィルソンのコンサートに行った

わずか2週間後。

このいつ消えていなくなってもおかしくないおじいさんの歌に

消えない光を見たばかり。


プリンスが死ぬ、ということは、

考えたこともなかった。

なんだかずっと生きている気がしていた。


プリンスが最後に日本にやってきたのはたしか2002年だ。

日本武道館だったろうか。

その後、竹芝のクラブでギグをやるらしい、という噂を聞いて

顔を出したけど、結局会えずじまいだった。


いま、

プリンスの地元のミネアポリスの放送局が

プリンスの曲をアルファベット順に延々かけている。

それをインターネットで聴いている。


プリンスは、

1999できらめいて、

パープルレインで制覇して、

アラウンド・ザ・ワールド・イン・ザ・デイで虚をついて、

パレードで魅惑して、

サイン・オブ・ザ・タイムスでひざまづかせた。


1999に出会ったのは

小林克也さんのおかげだ。

高校3年生。1982年。

ベストヒットUSAだけが頼りの時代。

(ちなみにタモリ倶楽部はこのころからやっている)

「いま、アメリカで一番過激なミュージシャンです。ビデオも音楽も」


克也さんが紹介したプリンスは、

きらきらぎらぎらぬとぬとさらさらべとべとしていて

突き抜けているのに密室に籠っているようで

要するになんだかわからないけど、体がすごい、

と降参しっちゃう音楽だった。

比較する音楽はほかになくって、

「これがメジャーなんです」と自分自身で王道宣言、

いや王子さま宣言して、

こちらは、

はっ、殿下のおっしゃるとおりでございます、

と傅いて聴くのであった。


というわけで、プリンスのアルバムはすべて買うことになった。

王子さまのいうことはきかねばならない。

王子さまが「やーめた」と放り投げたアルバムは

こそこそと北新宿に大枚を叩いて手に入れた。


プリンスはその後、いろいろな王子さまならではの気まぐれをおこして、

あっちへいったりこっちへいったり投げやりになったりしたけれど、

絶え間なくアルバムを作り続けた。


いま、ミネアポリスのラジオ局から

アルファベット順に間断なく流れてくる、

時代もアルバムもばらばらなプリンスの曲すべてを聴き続けて、

改めてびっくりした。

古びた曲もなければ、

衰えた曲もない。

アルバムで聴いたとき、(あれ?)

と思った最近の曲が、

かつての大ヒットの次に流れてきても、

まったく遜色がない。

同じ力で光っている。


かつてプリンスには都市伝説があった。80年代半ばのことだ。

プリンスは、すでに数万曲をとっくに作曲し終わっていて、

あとは気が向いたら、

それを適当にピックアップしてアルバムにしているだけなんだと。

膨大な海賊版の存在が、

この都市伝説の根っこにあるわけなんだけど

プリンスの曲をばらばらで聴いてわかった。

あれは、伝説じゃない。真実だ。

プリンスは、すべてつくりあげていたのだ。

いまだ世に出ていない膨大な曲もふくめて。

とっくのむかしに。

肉体としてのプリンスは死んだかもしれないけど

音楽の王子さまとしてのプリンスは未だに生きている。

私たちは、これからも

肉体なき王子さまから

あの世からの手紙のように、まったく新しい曲を受け取るだろう。


その登場からリアルタイムで一番観てきたプリンスが亡くなったと聞いて、

不思議なくらい喪失感を感じないのは

音楽の王子さまとしての彼はまだ「生きている」から、なのだ。

ばりばりの現役、なのだ。

少なくとも私はそう信じている。









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